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永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)

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「五代綱吉様の御代に彗星の如く世にお出になられたのが、我らが無外流の祖辻無外様だ。かの方の人ならぬ極意の数々は、人々、特に武家を魅了し、さらに当時赤穂浪士の討ち入りのことがあって、各大小名家ではにわかに尚武の気風がもてはやされ始めた。そこで、型を重んずる柳生よりも、実践的な無外流を剣の指南役へと招く家が後を絶たなくなったのだ。その規模、大小名三十数家、直参百五十余人、陪臣にいたっては千人近くにも至ったと云う。特に徳川にとっては獅子身中の虫たる土佐山内家のお留流にまでなると言う快挙をなしとげた。この辻無外、実は大目付まで出した板倉家の庇護を受けており、なるべくしてこうなったとも言えよう。ところが、いよいよ辻無外と綱吉様が対面し、徳川宗家のご指南役に任ぜられる段取りまでつけたところで、肝心の無外様が急な病で亡くなられてしまったのだ。まあ齢八十に手が届くかという年齢でいらっしゃったので、致し方の無い次第ではあったのだが、その後が悪かった。無外流の数々の奥義は、皆「気功術」を身につけていなければ出来ぬにも関わらず、二代目、三代目になるに従って、その「気功術」が極端に弱くなり、ついには、無外流を名乗る者の中で誰一人その奥義を使える者がいなくなってしまったのだ。本家無外流の者達さえ諦めてしまった奥義の習得を、板倉殿の依頼で今日に至るまでの百年間、工夫し続けてきたのが、他ならぬ我が永井家というわけなのだ。もちろん、我らが刺客の技を見込んでのことなのだがな。そこで加納永井家の藩祖永井直陳(なおのぶ)公は、その諜報組織総掛かりで辻無外殿の落とし種を探し申し上げ、我が藩であずかりなさったのだ。さらに各地に仕官していた無外流の皆伝者を集めなさり、辻家代々の血筋の者に流派を仕込みなさったのだ。さらに各地より「気功」の技を天より授かりし者を集め、百年の時を隔ててそれを極めつくした結果、無外殿の血筋の者の末にあの斎藤平兵衛殿と言う奥義を九つまで体得せし者が現れたのだ。しかし、あの平兵衛殿でさえ、最後の奥儀『万法帰一刀』」だけは極められなんだ。そこで我ら一同、最後の禁じ手にうって出たのだ。それがあの一(はじめ)に施した『死人』の鍛練法と呼ばれるものなのだ。これは自らに暗示をかけ、痛みや悲しみなどの一切の苦しみを、苦しいと感じさせぬよう自らに暗示をかける方法でな。これさえなれば、たとえ死すとも、鍛練をやめぬということになるのだ。そこでまず、加納随一の暗示術を身につけし我に一(はじめ)を預けることとなった。『万法帰一刀』」の会得のためやがて斬りあわねばならぬ定めにある平兵衛殿とは、師と弟子の関係ということとし、実の親子の間柄であることは故意に伏せたのだ。」
 そう言い終わると、祐助はほーと深く息を吐いたのである。藩命とは言え、二人の武士の生き方をここまで左右してしまったことへ後悔の念が彼の心の片隅によぎったのかもしれない。芳もまた、祐助の長い話をずっと神妙に聞き入っていたが、彼のため息につられ、自分も続けて大きくため息をついたのである。そして急に何かを思いついたように顔を上げ、ポンと手を叩いたのだった。
「ありがとうございました。祐助様。これで全て合点がいきました。ところで、浜町の永井様の所には誰か使いを向かわせたのでしょうか。」
「そうか、芳、良い所に気がついた。此度の井伊様のお仕置きで、永井様は蟄居仰せつけられ、ここに来ることも叶わず、座敷で我らの知らせを待っているのであったな。これはしくじった。芳、すまぬがここはお主に任せるぞ、私はすぐに永井様のお屋敷まで行ってくる。」
「それならば、ここにいるこうさんが永井様の所へ参りましょう。祐助様は一度お家にお戻りになって、今後のことを家の方に伝えておいた方が良くはありませんか。一様とやそ様は私がお守り申し上げますのでご安心ください。たぶん、斎藤様の葬儀には間に合うかと思います。こうさん、それで良いかい。」
 おこうは黙って頷き、すぐその場からかき消えたのである。
「そうか。それならばそうさせていただく。では。」
と言ってその場を立ち去ったのだった。既に斎藤の遺骸は片づけられ、祐助が去ってしまうと、河原には三人が残されたと言っても、内二人は身動き一つ出来ぬから、実質一人取り残されたようなものである。芳は改めて物言わぬ二人をじっと見つめながら、そっとこう呟くのだった。
「姫様、頑張って下さい。芳は信じています。」
(第三場) 心の中
 その頃、一(はじめ)の心の中に入ったやそは、まるで夜の暗い海に潜っていくような感覚に襲われていたのである。
「深い。」
 潜っても潜っても、一(はじめ)の自我の陰は見いだせないままであった。やそ自身、これ程深く人の心の中に潜った経験は無かったのである。やそは自分がこれ程一人っきりであることを感じたことはなく、言い知れぬ恐怖が彼女を包んでいたのだった。もう駄目かとあきらめかけた時、彼女は遥か遠方に何か気配を感じたのである。ここで見失えばもう一度気配を見出すのは不可能だと思った彼女は、残り少ない気力の全てを意識に集中したのだった。するとぼんやりではあるが、白いふわふわしたものが見えてきたのである。そしてそれは、だんだんと足を抱えてうずくまる裸体の男の形へと固まっていったのだった。
「一(はじめ)様、一(はじめ)様、目をお覚ましください。」
 いくら声を掛けても彼はぴくりともせず、実際には実態のないそれを揺り動かすことももちろん不可能である。その時彼女は、江戸へ向かう途中立ち寄った京の近衛家で指示を受けた「幾島局」に申しつけられたことを思い出していたのだった。
 京の近衛家の奥まった部屋で向いあう、老婆とやその姿。老婆は高貴な女性の姿をしていたが、顔に大きな瘤のある特徴のある顔をしていたのだった。
「良いか、やそ、こたび、そちが心の殻に閉じこもってしまった者を救うことになってしまった時、これから申しつける私の言葉をよっく思い出すのじゃぞ。」
「はい、お婆様。」
 彼女は幾島に育てられ、幾島は実は母方の祖母なのである。 
「もしも一(はじめ)様がお主の呼びかけに少しも応ぜぬ場合は、これから教えるかの者の真名、つまり真の名前を呼びさえすれば良いのじゃ。そしてさらにはお主の真名をもって呼びかければ、確かであろう。」
「何故私の真名に効果があるのですか。」
「それはな。一(はじめ)様の真名が、ある方の前世の御名でいらっしゃり、そしてそなたの真名はその方の最愛の人、そなたはその女(ひと)の生まれ変わりだからなのじゃ。」
 場面は一の心の中の風景に戻る。自分の気力ももうそんなに長くは持たないことを感じていた彼女は、あらかじめ用意してあった奥の手をすぐに使うこととしたのである。それはもちろん、幾島に教えられた通り一(はじめ)の隠された真名(本名)で彼を呼ぶことであった。
「望月三郎頼方様、あなた様はこんな所で終わる方ではありません。どうぞやその手をお取り下さい。望月三郎様。」