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永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)

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「藤田殿、わしら親子も主も、もう互いに学ぶべきことはなくなったようじゃの。主の話によれば、残りの十番目の奥義の万性帰一刀は、九番目の奥義までを会得した者同士が立ち合い、勝った者に発動するそうじゃの。主は会津でわしに一度敗れ、口にこそ出さなんだが、その汚名挽回の機会を虎視眈々と狙っていた筈じゃ。この老いぼれがその役目を果たす時が来たようじゃの。」
 すると、横でそれを聞いていた吉十郎が、藤田が何か答えるのを遮って、こう答えたのである。
「お待ち下さい、父上。誰かと誰かが戦わねば奥義の取得が出来ぬのだとしたら、私と藤田殿を立ち合わせて下さい。そして勝てば、奥義を物に出来るのでしょう。ここは私にお譲り下され。」
「しかし、主は…。」
と言ったきり、頼母は言葉を失ってしまったのであった。ここで無理に息子の言い分を退ける理由は、何も思いつかなかったのである。
「ではよろしいですね。藤田殿、参りますぞ。」
「しからば。」
と言って、藤田は差し料を抜き放ち、いつものように脱力した青眼に構えたのだった。それを見た吉十郎もまた腰の刀を抜き、脱力した青眼に構えたのである。
「父上、始めの合図を出して下さい。ごほっ。」
「心得た。」
と頼母は言い、二人の間に立って右手を挙げたのだった。頼母がその右手を下げて試合開始の合図を告げようとしたその瞬間、吉十郎の身体は一瞬かき消えたのである。しかし藤田はそのほんの少し前に刀を下に落とし、握っていた両腕を少しだけ上に浮かしたのだった。次の瞬間現れた吉十郎は、存在するはずの藤田の小手を斬る代わりに、何もない空を切ったのである。その次の瞬間、少し挙げられた藤田の腕が手刀となって、吉十郎の刀を持つ腕を軽く叩いたのであった。藤田はほんの少し叩いたはずであったが、吉十郎は手にしていた刀をぽろりと落としたのである。それはまるで、かつて近藤勇が得意とした『抜き小手』の形を取っていたのだった。抜き小手は、相手が打って来くる小手を腕をよけて外し、逆に相手の小手を取る技のことである。
「そこまで、勝負あった。」
と頼母が叫び、藤田の所に駆け寄って、彼の両手を握ってこう言ったのであった。
「倅の命を救ってくれてありがとう。奴は、わしが負けるのを見たくなかっただけなのじゃろう。」
 いつの間にか吉十郎も二人の中に入って来て、三人で手を握り合ったのである。
「藤田様、ありがとうございます。あれは万法帰一刀による読心術ではなく、御自分の頭で読み切られたのですね。私にはそれが出来なかった。」
「あぁそうだ。万法帰一刀は、吉十郎殿の閉心新術で防がれておったのでな。自分の頭で次の動きを読み申した。帰宅が遅れたのは、どうやって縮地の法を破るか、工夫をしていたからにございます。頼母殿、本当にご指導かたじけなくござった。
お陰で望みのものを手に入れましてございます。」
 藤田が手に入れたものは、縮地の法と閉心術だけでは無かったかもしれない。
 第三場 西南戦争
 その後藤田五郎は時尾の待つ東京へ戻ったのだが、何時までも新婚の身で実家に同居しているのは心苦しいので、同じ本郷の真砂町の木造二階建ての新居に引っ越したのである。新居に移った彼は、永倉新八と前に約束していた新撰組の慰霊碑を建てるため、まず彼と共に奔走し、因みにこの時、その後明治八年九月十八日、神農の芳の父親で、江戸火消しの大侠客新門辰五郎が没したのだった。
 明治九年五月のとある日、永井尚志からの呼び出しを伝えに、古閑?次(こがたんじ)が藤田の真砂町の新居に尋ねて来たのである。古閑の案内のままに向島に行くと、そこには例によって田中律蔵や清水宇吉もいたが、今や政府高官の勝海舟、懐かしい山口直邦や彼と同姓の山口直毅まで揃っていたのである。藤田はこの顔ぶれに驚き、まず古閑に事の次第を尋ねたのだった。
「まあ、お待ち下さい。たった今お殿様(永井尚志)が仔細を語ってくれましょう。」
 折り良く永井は藤田の到着に気付き、今日召集した仔細を語り始めたのである。
「藤田、急に呼び出して済まなかった。今日はわしが、無念の内に死んだ我が友岩瀬忠震(ただなり)の旧宅を買い取って、ここに移り住んだ記念なのじゃ。岩瀬の功績を再評価する式典は、日を改めてまた行うとして、今日は取りあえず内輪の者だけを集めて祝おうと思っての。お主は預かり知らぬことと思っておったので、今日まで呼び出す気は無かった。しかし今日川合久幸に指摘されたのじゃが、そもそもお主ら永井十訣が最初に結集したのは、岩瀬の無念を晴らすため、憎き井伊大老を討つためであったのだったな。よって藤田、ここにお主ら永井十訣の任務も終了したとも言えるのじゃ。面識は無かろうが、お主も岩瀬のために冥福を祈ってくれ。」
「承知致しました。」
 藤田は永井が亡き友の屋敷を買い取ったことに驚き、そこまでやる彼の義理堅さに感動していたのであった。そして、友だちにここまで想われて、亡き岩瀬忠震も果報者だ、と思われてならなかったのである。
 同年十二月十五日、新居に移った効果がすぐに表れたのだった。五郎と時尾の待望の長男「勉」が誕生したのである。この「勉」と云う名は、佐川と共に五郎と飲みに来た山川浩が、五郎が自分には名を付ける才能が無いからとまたもや請われて付けたものである。
「あなた、山川様に名を付けて頂いて、本当に宜しかったのですか。『勉』と云う名は、剣豪の子には相応しからぬと思われるのですが…。」
「なんの時尾。山川殿には以前一瀬伝八の名を付けて貰ったこともある。それに勉は学問で身を立てるのだ。わしのように剣一筋では無くな。今年の三月には、廃刀令も出されたのだ。例えこれから何が起ころうと、勉が生きている間はわしが守ってやり、勉には無外流の辛い修行をやらせぬ積りだ。わしの代で、この無外流奥義も終わりじゃ。永井家百年の宿願も、肝心の永井の殿様があのざまでは文句も言われまい。」
「でもあなた。あなたはそれで、本当によろしいのですか?」
「何良いのだ。それにわしは、勉の顔を見て想ったのだ。この子には、わしのやってきたことをやらせるわけにはいかぬと。人斬りはわしの代でやめだ、やめるのだ。」
 そう言って、五郎は寂しく笑ったのだった。その時同時に佐川が遊びに来ていたのだが、こんな提案をして来たのである。
「おい、藤田、ものは相談だが、お前もわしと同じ羅卒(巡査)にならんか。実は大警視川路利良様が、薩摩の西郷の動きが不穏だと、警視隊の臨時大募集を始めるのでな。主もどうかな、と大警視自ら私にお尋ねになられたのだ。大警視殿は一体どこで主のことを知ったのかな。それはともかく、羅卒ならその『池田鬼神丸国重』も軍刀風に拵えて大威張りで持てるぞ。どうだ。」
 そう言われても、五郎は佐川のようにあっさり割り切ることが出来ず、官軍の仲間におめおめと成り下がるような気がして躊躇されたのであった。