永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)
「はい。」
「吉十郎のことじゃがのう。奴が色白なのは気付いたじゃろう。実は奴は労咳なのじゃ。この風光明媚な土地に越して来たのも、わしが校長に招かれたこともあったが、実は倅の病気のために良かろうと思っての。それでここへ親子で来たのじゃ。だから修行は親子でとは頼んだが、息子のことは大目に見て頂きたい。」
「そうですか、分かりました。でもそれならば、何故共に修行をなさろうとするのですか。」
「それがのう。本当に仇花なのじゃが、奴は天分の才がわしよりもあってな。今はわしよりも強い位なのじや。幼き時から奴にはわしの知る全ての技を叩きこんできたが、まるで乾いた土地に水が吸い取られる如く、奴はそれを吸収してきた。それが奴とわしの無情の喜びでもあったのだ。わしは一族二十一人をあの戦いで失い、たった一人残った血縁者である奴に、共に最期の喜びを味わいたいのだ。分かるか、藤田。」
「はい、分かります。御子息の修行の折、手心を加えれば宜しいのでござるね。」
「いや、その必要は無かろう。ただしあいつが仮に咳き込むようなことがあっても、見て見ぬ振りをして欲しいのじゃ。余り悪い時は医者に見せねばならぬが、ここにはそんな洒落た者はいないしな。」
「大丈夫です。無外流奥義の修行に、要らぬ体力は要りません。」
「そうか、おや、息子が竹刀を持って帰って来たようだな。では頼むぞ。」
こうして三人はまず無外流の型から始めたのだった。と言っても、無外流の型はいささか拍子抜けがする程簡単だったのである。
「良いですか。気を放つことに全ての神経を集中しますので、通常の剣の型とは違い、まず全身の力を抜いて青眼に構えます。」
このように修行が始まり、辺りが暗くなるまでそれが続けられると、それでもはや全ての無外流の型は、奥義の物まで含めて伝授し終わってしまい、そこで頼母はこう言ったのだった。
「どうやらこれで仕舞のようじゃな。それでは今度は、縮地の法と閉心の術の伝授に入ろうか。と言っても、主はやりかたさえ教えれば、閉心の術はすぐ物に出来よう。問題は縮地の法じゃ。吉十郎、わしはこれから藤田君を例の場所にお連れするから、先に学校に帰って夕餉の仕度をしてくるのじゃ。」
「分かりました、父上、ごほっ。」
そう言って吉十郎は一人建物の方へ去っていったのである。頼母は藤田の方を振り返り、こう言ったのだった。
「さあ、行こうか。」
頼母は月の無い夜道を明りもなく先導すると、やはり夜目の利く藤田は黙ってその後を付いていったのである。頼母は後ろを振り返りもせず、かなり早いペースで歩いていたが、藤田もまた健脚だったので、駆け足の様なその歩幅に難無く付いていったのだった。暗い道を何処かも分からず歩んでいる内に、藤田はふと不安になり、先導する頼母にこう聞いたのである。
「頼母様、どこへ向かっているのですか。」
「弁天島じゃ。島と云っても、海の岬に過ぎぬがな。」
やがて暗闇に潮の匂いと波の音が聞こえてくると、目的地に憑いたようであった。頼母はスタスタと暗い海に落ちそうな程岬の突端まで歩いて行くと、立ち止ってそこを指差したのである。
「ここじゃ。ここでまず禅を組むのじゃ。」
藤田が黙って言われた通りにその場に座ると、頼母はさらに続けたのだった。
「無外流は御式内お留流と修行の外見だけは似ているが、その実態は真逆の物じゃ。主はここに座って瞑想し、今までわしらがいた校庭のことを考えよ。そしてそれ以外のことは全て忘れ、ひたすらそのことばかり強く念じられるようになれば、気が付けばそこにいよう。それが縮地の法じゃ。それが出来るまで何カ月でもここに座るしかない。またそれさえ出来れば、後の修行も難無くできよう。一応、夕餉の時間までを限度とし、腹が減ったら戻って来るがいい。」
そう言って、頼母は一人帰っていってしまったのである。一人残された藤田が瞑想を始めると、最初の内は波の音や鴎の鳴き声、果ては空腹感までが彼を襲ってきたが、やがてそれは消えていき、頼母親子と共に無外流の型の練習をしたあの校庭のことが浮かんできたのだった。そして、それをひたすら強く念じていると、いつのまにか肉体は無くなるような感覚に襲われたのである。そして、身体がひどく軽くなったような気がしたのであった。彼はそっと目を開けると、そこは元いた校庭だったのである。そこへ頼母が帰って来ると、藤田のことを校庭に見付け、感嘆の声を挙げたのだった。
「さすがは無外流奥義の伝承者。もう出来てしまったのか。こりゃ参ったな。何年もかかると思って、先程金も遠慮なく頂いたが、こりゃ少し返さねばならぬな。」
「いえ、一度差し上げた物ですから、遠慮無くお収め下さい。それより夕餉に致しましょう。私は平気ですが、頼母様は講義が終わってから剣の修行と続け様でしたから、さぞ腹が減ったことでしょう。」
「はっはっはっ、ではそうするか。と言っても、そんなに豪勢なもんは出んぞ。ここの山の幸、海の幸じゃ。昨日取っておいた物の残りじゃ。さあ、学校の中に参られえ。」
三人はそれから楽しく夕餉を済まし、まるで親子のように川の字になって教室の中で眠ったのである。寝る前に頼母は、思わずこう言ったのであった。
「まるでわしが祖父で、お前が父、吉十郎が孫のようじゃの。」
と言っても、藤田からは何の返事も無かったのである。見ると彼は、もう寝息をたてていたのであった。彼は眠ると決めると、すぐに眠れるのである。しかし実際には、頼母の呼び掛けに彼は目覚めていたのだった。かつて元服の折、実の父を殺してしまい、しかも養父の山口祐助とは親子と云うより師弟関係であって、頼母のように自分を息子のように想ってくれる存在は有り難くもあり、くすぐったいものでもあって、気恥かしくて返事が出来なかったのである。こうした二人の想いが、やがて悲劇へと結びついていくとは、天通眼の力もない二人には想像も付かぬことなのであった。
次の日から、三人の修行の日々が始まったのである。昼間の内は藤田は身体を休め、頼母は学校で教鞭を取り、息子の由十郎は父の授業を受ける一方、その合間に海や山の幸を集めたり、農作業をして一家を支えていたのであった。夕方は三人が集結し、無外流奥義の修練を行ったのである。夕餉の後、藤田は一人岬に座り、縮地の法に入れるスピードを挙げる修練に励んだのだった。こうして三人は時に仲睦まじく、時に厳しく修行の日々を数カ月過ごしたのである。特に神明剣を伝授する時は、差し料がその度にぼろぼろになってしまうので、貧しい頼母親子に遠慮してそれを教えるのがためらわれたので、そこで藤田は、自身の鬼切丸を二人に貸してその奥義を身に付けさせたのであった。その後藤田は縮地の法を完全に自らのものとした後、閉心術もまた習得したのである。やがて才能ある三人は、互いの奥義を学び尽くし、河津桜が咲き誇る頃、あとやるべきことはたった一つ残されているだけとなったのである。夕暮れ時、校庭に咲き誇る桜を眺めながら、頼母は密かにその日が来たことを感じて、ついにそれを口にしたのだった。
作品名:永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記) 作家名:斎藤豊