永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)
「お引き受け致します。」
かくして明治四年八月二五日早朝、やそは時尾に付き添われて、倉沢の家で五郎と祝言を挙げたのだった。痩せ細ったやそは、綺麗に化粧をして照姫様が下賜された着物を着て、佐川が、手代木直右衛門が、倉沢が、高木家の皆が、そして自分に両側から寄り添っている五郎と時尾が自分のために祝ってくれていることを感じるのか、落ちくぼんだミイラのような目をした顔を始終綻ばせていたのである。
媒酌は佐川が行い、彼お手製の酒を、永井十訣の黒い衣装と時尾のくれた鎧を付けた五郎とやその手の盃に注いだのだった。もっとも本来顔の前に垂らす布を、来客に対して失礼になるので五郎は頭に上げていたのである。逆に時尾は芝居の黒子のように、布で顔を隠したまま永井十訣の衣装を着ていたのだった。盃を持ったやその手は震えていたので、時尾がそっと手を添えていたのである。それを見ていた客達は、誰ひとり涙を流さぬ者はいなかったのだった。時尾の妹の民は、兄の盛之輔にそっとこう呟いたのである。
「まるで三人で祝言を挙げているみたい。」
盛之輔もまた、泣きながら黙ってうなづいたのであった。五郎が気付くと、やそは彼に寄り掛かって何時の間にか目を閉じているようである。彼は無意識に彼女の左胸に自らの手を当てると、既にそれは止まっているのに気付いたのだった。
祝言はそのまま通夜となったのである。旅立つ五郎の為に、慌ただしく昼にはそれが始まったのだった。その時五郎と時尾は、やその亡き骸の側に座り込んだのである。衣装は先程の祝言の時のまま、永井十訣の黒い戦闘服を着ていて、それがそのまま喪服の役割を果たしていたのだった。ただ顔に垂らす黒布だけは、今度は五郎だけで無く、時尾もまた上げていたのである。この時二人は触れ合うことも無く、やその前できちんと正座をしていたのであった。先程の客がそのまま残り、全員が見つめる中、五郎はいきなり髷を小刀で斬ると、委細構わず横たわるやそにこう話し掛け始めたのである。
「やそ、やそよ。思い起こしてみれば、お前とは、出会った時から助けられ放しだったな。本当にご苦労だった。そして忝い。しかし、このままでは安心して冥土とやらに旅立てまい。四郎のことはわしに任せよ。必ず見つけ出して見せる。わしの世話は、ここにいる時尾にしてもらおう。この女なら、お前も認めてくれるだろう。お前が本当に私と前世からの夫婦だったなら、来世でも夫婦となり、ここにいる時尾も生まれ変わって、また浮気をしよう。そしてやそ、また焼餅をやいてくれ。我らは三人で一つの夫婦なのだ。そしてこの髷は、徳川の世が終わったことを私が認めた証として、立った今切り落とした。私の戦いも、今名実ともに終わったのだ、お前の命と共にな。」
これを傍らで聞いていた時尾も手を合わせ、涙を流しながらこう言ったのだった。
「やそ姫様。どうぞ一(はじめ)様をお譲り下さい。そして安らかに旅立たれて下さい。」
こうしてやそとの別れを慌ただしく済ませると、後のことは時尾達に任せ、散切り頭の彼は県令容(かた)大(はる)と共に、当時もう東京と呼ばれていた江戸へと向かったのである。この時藤田は、粗末な永井十訣の着物のまま参加していたのだった。それを見た容大は哀れに思い、褒美に羽織を二着も下賜されたと云う微笑ましいエピソードも伝えられている。なお、この後人口調査が行われ、妻「やそ」の名が記録されているが、これは何らかの間違いでそう記録されてしまったものであろう。またやその死に伴い、今度は時尾が、妻子の無い倉沢の養女となったのである。
五郎は若殿の護衛と云う御役目が一段落した時、
まず久し振りに帰ったのだった。すると、養母のますは既に無く、父祐助も危篤状態で、五郎の顔を見ると、
「そうか、今度は藤田五郎となったのか。そうか、そうか。」
とだけ言って、息を引き取ったのである。こうして家に残ったのは、兄の廣明一家だけになってしまったのだった。
また翌年、一月六日に特赦により出獄していた主人永井尚志を、藤田は紅葉の盛んな頃、浜町の屋敷へと訪ねて行ったのである。永井は会津で共に戦った大鳥圭介や、何と田中律造と清水宇吉と古(こ)閑(が)?(たん)次(じ)と、あの永倉新八もそこにはいたのだった。背の低い古閑も、新撰組が江戸に入ってから入隊したのである。その後ずっと永井の護衛を務めていたので、藤田とは初対面であった。
「永井様、大鳥様お久しゅうござる。箱館にはついに馳せ参じず仕舞いで、誠に申し訳なく思っておりました。田中と清水も生きておったのだな。良かった、良かった。古関さんとは初めてお目に掛かります。それから永倉さん、本当に久し振りです。拙者ただ今、藤田五郎と名乗っております。」
と五郎が順に挨拶をすると、まず永井が懐かしそうに言葉を掛けたのである。
「山口、いや藤田と名乗っておるのだったな。お主には娘のやそを預けておったのだ。箱館に来ることは叶わなんだ。それに礼が遅れたが、加納にいた家内と息子の脱出にも尽力してくれたのだそうだな。この通り、礼を言う。ところで藤田、娘は息災か。」
永井が軽く頭を下げながらそう言うと、五郎は思わず下を向いて答えざるを得なかったのだった。
「今日はそのことを報告しに来たのでござる。去る八月二五日、やそ姫様はお亡くなりになられたのでございます。」
これには普段動じないさすがの永井も、驚きを禁じ得なかったのである。
「な、なんと、あのやそが。藤田、やそはどうして身罷ったのじゃ。」
「はい、会津落城の折の混乱のさ中、謎の暴漢どもに襲われ、凌辱された上一子四郎までかどわかされ、気が触れてしまったのです。そしてその数年後の今年、ついに衰弱して…。」
永井は涙を流し、藤田の手を両手で取ってこう続けたのだった。
「そうか。それであの娘は最期に安らかに逝けたのか。」
「はい、妻が身罷った日、挙げず仕舞いであった祝言を挙げました。まさかその日が最後となろうとは…。とにかくやそ姫様は、それをひどくお喜びになられた様子で、私の腕の中で静かに逝かれた由にございます。」
「そうか、そうか。最期は安らかであったか。それなら良い。それにしても物騒な世はまだまだ続いておるな。会津でそちと共に副長代理として戦っていたあの安富(やすとみ)才(さい)輔(すけ)も、せっかく蝦夷の辛い戦を生き延びてこの東京に引き上げて来たのに、謎の暴漢(実は篠原泰之進や阿部十郎ら)に襲われて命を落としたのだそうだ。おっそうだ。わしのことばかり話してしまったが、永倉、お主も藤田に用があるのだろう。」
永倉は何かきまり悪そうに頭を掻きながら、こう話を始めたのである。
「本当に済まんなあ、こんな時に。やそ殿はわしもお会いしたことがあるが、誠に立派な方であった。お悔やみ申し上げる。」
永倉はここで一度言葉を切り、息を一つ吸い込んでから話を続けたのだった。
作品名:永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記) 作家名:斎藤豊