永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)
前述したように九月二二日、鶴が城は落城し、城の外で戦っていた一瀬伝八や佐川官兵衛や清水宇吉も、順次新政府軍に投降したのだった。一瀬伝八は、清水宇吉を始めとする投降兵達と共に、越後榊原家の高田藩(現在の新潟県上越市)東本願寺にお預けとなったのである。これは傷病兵以外の扱いだったので、この時点で一瀬伝八と清水は無傷であることを示していたのであった。しかし会津から高田藩への護送は過酷で、支給される食糧の不足から、仲間は次々と倒れたり、さらに息を引き取ったりしたのである。しかし一瀬は死人暗示の修行が役立ったのか、この試練を見事乗りきったのであった。永井三十忍の清水もまた、一瀬同様生き残ったのである。ところで一瀬はこの時、危篤の川井亀太郎が病没したことを知ったのだった。あの戦乱の江戸で、静かに病没出来たことは不幸中の幸いと言わねばならないだろう。
明治二年一月五日、新政府は元藩主で降伏した松平容保を始めとする会津投降者を全て許し、放免したのだった。この時清水宇吉は、自分の主人永井尚志や榎本武揚、土方歳三、一瀬の古い友人である中島三郎助や隻腕の伊庭八郎、元会津藩家老西郷頼母、清水の昔の同僚の田中律造や副長代理だった安富(やすとみ)才(さい)輔(すけ)が蝦夷でまだ戦っていることを聞き、他の多くの会津藩士と共にかの地へ向かったのであった。しかしこれから間も無い明治二年五月一八日、蝦夷の箱館五稜郭は降伏してしまうのである。総督の榎本武揚、西郷頼母、永井尚志、大鳥圭介、島田魁は降伏し、土方歳三、中島三郎助、伊庭八郎は討ち死にし、田中律造、清水宇吉のその後の消息は不明であった。一瀬は、やそと四郎と時尾が待つ会津へと、一人帰ったのである。
しかし、彼が一度如来堂から会津に戻った翌日の明治元(慶応四)年九月十日会津のやそと四郎の身に大変なことが起こったのだ。その日四郎を抱いたやそと時尾は、百姓から食べ物を分けてもらいに外出していたのである。もう薄暗い帰りの道で城下に入った時、時尾が小用でしばらくやそと離れた時のことであった。何の前触れもなく、彼女は前後から狙撃され、両肩を撃ち抜かれてしまったのである。犯人は元御陵衛士の秦(篠原)泰之進、新井忠雄、内海次郎(以上三名元赤報隊)、加納鷲雄、江田小太郎(赤報隊には参加せず、薩摩軍に参加)、橋本皆助(赤報隊ではなく、中岡慎太郎の陸援隊)の五人であった。彼女が倒れるのを見定めると、全員で彼女に襲い掛かったのである。彼らはずっと裏切り者の斎藤一、その改名した山口次郎を追っていたのであった。しかし彼らとて、無敵の彼を相手にするほど愚かでは無い。それよりも、彼自身を傷つけるよりも傷つくであろう彼の妻子を狙う機会を伺っていたのである。山口次郎がやそと分かれたことを確認した秦泰之進は、残りの四人に会津に集結するよう指示したのだ。五人はやそから四郎を奪い取ると彼女をす巻きにして猿轡を噛ませ、焼け残った廃屋の一つに連れ込んだのである。彼女が『私はどうなってもいいから、四郎だけは手を出さないで』ともごもごと言うのも構わず、秦は彼女を抑えつけながらこう言ったのである。
「何言ってるか分かんねえな。奥さん。だいたい俺は、裏切り者の斎藤も許せないが、澄ました顔のあんたも気に食わなかったんだよ。それにあいつは時尾って女と浮気してるそうじゃねえか。あんたも、俺と宜しくやろうぜ。」
と彼がそう言うと、五人は順番に彼女を凌辱し、逃げられないように拘束したまま、四郎をさらって逃げてしまったのであった。
用を足して帰って来た時尾は、二人が待ち合わせ場所にいないことに気付いたのである。周辺を探しても何の手がかりもないので、彼女は高木家の人々にも協力してもらって死に物狂いで暗闇の中を探したのだった。しかし彼女が見つけた時、松明の光に照らし出されたのは既に全てが終わって拘束されて身動きが取れぬ、あわれなやその姿だったのである。落城前の混乱の中、さして珍しい事件でもなく、会津の奉行所も機能していなかったので、どうしようもなかったのだった。もちろん、一瀬伝八に知らせようとも、その術もなかったのである。時尾は、見つけた彼女の両肩をすぐに能力を使って治癒したが、気が付いた彼女が既に正気を失っていたのをどうしようもなかったのだ。彼女の能力を以ってしても、人の精神を直すことは不可能だったのである。人の心に潜って治癒するのは、やその得意技であった。しかしこの場合は本人が壊れてしまったので、それは治すことなど誰もできなかったのである。思えば、夫をあまりに強く愛するが故に、暴力によって強制的に起こされた現実を、彼女には受け入れることが出来なかったのかもしれない。
よって会津に帰って来た一瀬伝八が見たのは、繋がれた黒駒に白い寝間着姿で寄り添い、お白様のようになってしまったやその姿だったのである。
彼が近付こうとすると、やそはそれに気付き、焦点の合わぬ目をしながら、こう言ったのだった。
「望月三郎様。私です。春日でございますよ。お忘れですか。」
望月三郎とは、かつて彼を救った彼の真名であり、春日とはやその真名なのである。隠していた真名が、彼女が正気を失ったことにより、表面に出て来たのであろうか。伝八は急いでやそに駆け寄って抱きしめ、こう呼び掛けたのである。
「やそ、やそ。しっかりせい。わしだ、一(はじめ)だ。帰って来たのだぞ。」
そこへ何時の間にか時尾が立っていて、泣きながらこう叫んだのであった。
「一様、お許し下さい。やそ様も四郎様もお守りできませんでした。お許し下さい。」
伝八はそれを聞き、やそを抱きながらこう言い放ったのである。
「四郎は、四郎はどうしたのだ?」
「申し訳ありません。賊どもにかどわかされたようにございます。奉行所も機能しておらず、我ら一家だけで方々を探したのですが、ついにどこに行ったのか、やそ様をこんなにした賊は誰なのか、今日まで付きとめられず仕舞いにございます。」
ただその時黒駒が、やそを抱きしめる伝八に、鼻を擦りつけてきたのであった。もちろん、それ以上時尾を攻めたとて詮無いことである。それよりも抱きしめたやそを伝八が良く見ると、彼女が褓(むつき)(おしめ)を身に付けていることに気付いてしまったのである。
「時尾、これは何じゃ。」
時尾はさらに涙を流しながら、こう付け加えたのだった。
「やそ様は、御自分で食事することはおろか、下のことももはや御自分では出来ませぬ。不肖時尾が、今までお世話させて頂いておりました。」
「そうか、時尾。迷惑を掛けたな。これよりやその世話は、拙者が致す故、安心するが良い。」
その日以来、やその食事は皆伝八がさせるようになったのだった。やそはちょうど赤子のように、伝八が箸に挟んだ物を口に入れぬと食事が出来なかったのである。下の世話も全て彼がやり、褓の洗濯もまた彼がしたのであった。悲しいことは、あの気位の高かった女が、伝八が褓を替えようと両足を広げさせると、赤子のようにそれに応じることである。彼は涙を流しながら作業を続けていると、それを見たやそがこう言ったのだった。
「あー、一ったら泣いてる、変なの。何がそんなに悲しいの、やそが慰めてあげる。」
作品名:永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記) 作家名:斎藤豊