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永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)

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 それは、長州の世良が同じく下参謀の薩摩の大山格之助に宛てたのもので、鎮撫使の兵力が不足しているので、増援を請うものなのだったが、その中に『奥羽皆敵』の四文字があり、これを見た若い瀬上らは、世良と薩長に対する憎悪が燃え上がったのだった。
「おのれ、世良。会津を我らに潰させておいて、次は我らを潰す気であったか。もう躊躇する余地などござらん。今すぐ世良を血祭りに上げ、陸奥と薩長土との全面戦争をしてくれようぞ。山口君(土方の名誉の為、今は山口と名乗っている)、手伝ってくれるね。」
 「承知。」
 こうして瀬上ら仙台藩士八人、福島藩士三人は山口次郎を伴って丑三つ時(午前二時頃)に出動し、瀬上の知り合いの目明しの浅草宇一郎の手引きで金沢屋に乗り込んだのである。浅草は目明しと言っても、子分を数十人も引き連れた当地の親分なのであった。その子分達も十名以上暗殺に加わり、金沢屋はまさに包囲されたのである。実行部隊に志願した仙台藩士赤坂幸太夫らと山口は二階にあった彼の部屋まで行き、遊女と共にぐっすり眠っていた世良のすぐそばまで近寄ったのだった。しかし世良もさる者、殺される前に飛び起き、同衾していた飯盛女を突き飛ばすと同時に、得意の短筒を手にし、赤坂の初太刀をかわした彼は、それを赤坂に目掛けて撃とうとしたのだが、それが出来なかったのである。赤坂の後ろに控えていた山口次郎が、『無外流奥義二則翻車刀』を密かに世良の銃に掛け、弾が出ないようにしていたのだ。そこで世良は二の太刀が来る前に、浴衣一枚だけ羽織って二階の窓から飛び降りたのである。しかし窓の下で着地を誤り、庭の切石に頭をぶつけ、期せずして重傷を負って窓下で待ち構えていた瀬上らによって取り押さえられたのであった。世良はその後、これでは助からない、と判断され、世良とその部下の二人は、瀬上らのいた客自軒に連れて行かれた後、最初に瀬上が世良の居場所を聞いた長楽寺まで連れて行かれ、その近くの川で首を刎ねられたのである。山口はことの顛末を見届けると、また黒駒に飛び乗り、一味と挨拶もせずに別れ、そのまま直接白河城へと向かったのであった。この事件はこの後閏五月三日、陸奥二五藩を結集させた奥羽列藩同盟として結実するのである。世良を斬った仙台藩が、背中を押されて会津の味方をせざるを得なくなったのであった。さらに奥羽の盟主と目されていた仙台藩が味方することにより、残りの奥羽各藩も、この同盟に参加する気になったと言えよう。この奥羽列藩同盟の盟主には、その直前に容保と出会っていた輪王寺宮公現法親王がなられるのであった。
 第四場 白河
 その前の閏四月二十日、長雨の降りしきる中、山口次郎は再び隊に合流し、翌日新撰組は白河小峰城へ向けて進軍したのである。白河城には今現在領主がおらず、二本松藩預かりの空き家状態だったので、二本松藩と親しい会津はすんなり入場し、宇都宮城を拠点とした新政府軍(もはや軍に参加していたのは、薩長土ばかりでは無く、大垣藩、忍藩も含まれていた。因みにこの時の兵は、薩摩軍を中心とし、長州も加わっていた)を、総督西郷頼母(たのも)は入場せずにこれを迎え撃ったのである。土方と名乗った山口次郎は、当時副長役の安富(やすとみ)才(さい)輔(すけ)と隊を二手に分け、城の南方で手薄と思われた白坂口と棚倉口の小山や丘に兵を分散配置することとなったのである。これは元々田中律造が山口に提案し、山口から西郷頼母に願い出たからそうなったのであった。頼母も、そこが重要な所とは思えず、寡兵な新撰組をそこに配置するのは相応しいと考えたから、その提案を受け入れたのである。その時、雨の中若い田中が、兜から水滴を垂らしながらこう言ってきたのであった。
「土方(山口)様、お留守の間に隊士と会津藩の方々と共に水蜘蛛を作っておりました。」
 「水蜘蛛?」
「はい。水蜘蛛とは我ら忍びの道具の一つで、水田などの湿地帯を動く為のものです。永井三十忍に白河城の回りを隈なく探索させました所、もしも仮に白河口から敵が攻め込んで来ましたら、この長雨です。あの辺は水田が多く、泥濘(ぬかるみ)だらけになってしまうでしょう。また仮に他の場所に配置されることになっても、この雨なら?は無駄にはならないと思いました。しかし、私の提案を土方様が総督に伝え頂き、私の思惑は実現することとなったのです。ここは兵に、今の内この?を履かせてしまいましょう。この地を知らないで攻めてくる新政府軍は、我らの敵ではありません。」
「そうか、良く考えたな。?はわしはいらぬから、隊士達に装備させるのだ。これで奴等を迎え撃てよう。」
 二五日明け方新政府軍七百は、案の定手薄と見たこの白河口に、降りしきる雨を黒い蝙蝠傘で全員防ぎながら奇襲を仕掛けてきたのであった。新政府軍は、参謀薩摩の伊地知正治の率いた部隊であった。しかし伊地知はエゲレスから支給された最新式のミニエー銃を擁しながら、功を焦って急がせたため兵を疲れさせた上、長雨でぬかるんだ田に黒い蝙蝠も何の役にも立たずに突貫の時足を捕られ、身動きが取れなくなってしまったのである。それに対し旧幕府軍の装備する銃器は旧式のゲベール銃や火縄銃がやっとで、それさえ長雨の為使えず、第一西洋式軍事訓練を受けていなかったが、この状態ではその差も完全に補ってしまっていたのであった。山口次郎は、軍勢全体で無数の蝙蝠傘を差した敵兵の姿を認めると、まず新撰組と会津兵の突撃を抑え、敵の最も密集する所を見つけ出し、こう叫んだのであった。
「無外真伝剣法四則、『神明剣』。」
 すると山口の『池田鬼神丸国重』に扮した『鬼切丸』が火を噴き、それが相手に届く前に彼はその鬼切丸を頭上高く上げ、それを振りおろしながらこう叫んだのである。
「新撰組、会津の友軍の方々、全員突撃。」
 その声を待って、新撰組と会津兵は?(かんじき)を履いた足で、待ってましたとばかりに抜刀して飛び出したのだった。神明剣の威力に混乱する新政府軍は、新撰組の?を履きながらもすばやい突撃に銃器を放つ暇も無く、部隊内に斬り込まれてしまったのである。新撰組と会津兵はこの機に乗じ、手当たり次第に斬りまくったのであった。こうしてこの時新政府軍は、大敗北を喫したのである。しかし山口が刀を振り下ろした途端、敵の銃弾の一つが彼の右肩を撃ち抜いたのであった。彼はその場に肩を抑えて蹲ったのである。その瞬間、山口もまた、当分傷が治るまで奥義が使えなくなってしまったことを悟ったのであった。
 二六日、新政府軍が芦野まで全軍を撤退した為、晴れて旧幕府軍千四百と共に白河城に入場した頼母も、白布で右肩を巻いた山口次郎を呼び、彼の活躍を労ったのだった。
「土方(山口のこと)君、良くやってくれた。傷の方は大丈夫かね。」
「総督閣下、私は大丈夫です。それより我ら新撰組の去った後の白河口が、再び手薄となっています。大至急兵をそちらにお回し下さい。」
 頼母はこれを聞いて、笑いながらこう答えたのである。