永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)
そう言って土方は脇差を抜いて、首桶の中から髷だけ切り取ったのである。
「これでいい。後はもういいから、金太郎に渡してやんな。清水、頼んだぜ。それから山口、実はおいらの方にも用があるんだ。田中と清水が連れてきた負傷した隊員とおいらの連れてきた生き残りの隊員を、お前おいらの代わりに率いっちゃくんめえか。実はおいら、見ての通りしくじっちまって、足の指をやっちまったんだ。これからしばらくここの東山温泉で静養しなくちゃなんねえんだが、土佐の野郎どもは俺が治るまで待っちゃくんめえ。だからよ、頼むぜ。それから面倒かけてわりいんだが、山口次郎として率いるんじゃなくて、あくまで新撰組副長土方歳三になって欲しいだ。なーに。奴等俺の顔なんか知っちゃいめえから、俺が最近着ていねえ、新撰組のダンダラ羽織をお前に貸すから、あれを着て土方でございって馬の上でふんぞり返ってりゃ、誰も分かりゃしねえよ。もっとも、お前の顔と名前を知ってる会津の奴には、こちらの手代木さんの方から、事情を話して口止めしといてもらうがね。お願えするぜ、手代木さん。」
手代木はそれを聞いて、胸を張ってこう答えたのであった。
「任せておいて下され。と言っても、山口殿の面体を御存じなのは、会津では拙者と佐川官兵衛殿と殿様(松平容保)位のことでござるからな。佐川殿には拙者から言っておくが、殿には明日山口殿と会われるそうだから、直接貴殿自身で申し上げるが良い。また明日わしが迎えに来よう。それでは土方殿、東山の方へ参ろうか。山口殿、帰った早々申し訳ござらなかったな。奥様のやそ殿によろしくお伝え下され。」
四人が近藤の首桶を持って引き上げると、疲れもどこへやら、いそいそとやその伏せる寝所へと行ったのである。
「やそ、今帰ったぞ。具合はどうだ。」
やそは床に半身を起こし、次郎の帰りを悟ってこちらに来るのをどうやら待っていたようなのであった。
「一様(久し振りに彼に会い、感極まって名前が昔に戻っている)、お帰りなさいませ。いつこちらに来るか、今か今かと待っておりました。」
「やそ、随分気弱になったな。わしは近藤さんの首を取り戻せたぞ。やそも喜んでくれ。それに今土方さんにお会いして、今度は土方さんの影武者になって、新撰組の局長代理となることになったぞ。喜んでくれ。」
「まあ、それはおめでとうございます。あの日突然出掛けられてしまって、一体どうなるものやらと案じておりました。それに余り臥せっていても御腹に良くないそうなので、今日は一様も無事戻られて出世なさった祝いに、私も起きて手伝って、会津のおいしいお酒を一本付けていただきましょう。」
そう言ってやそが起き上がるのを助けながら、部屋の外に出ると、克子や磯や民や五郎や織之助など高木家の者達がそこで正座して待ち構えていたのである。そして二人が出てくると、全員がそのまま頭を下げて、こう言ったのであった。
「山口次郎様、新撰組局長代理就任、おめでとうございます。私共高木家、山口様をお支えして来た甲斐があったと云うものでございます。」
次郎はそれを聞き、何故か熱いものが込み上がって来て、こう答えるのがやっとだったのである。
「ありがとうございます。これも皆様のお陰にございます。御母堂様(克子)、先日は一人行ってしまいまして本当に失礼いたしました。ただ、私はあくまで土方副長の影武者になるのですから、このことは内密に願います。」
第三場 世良修造
翌日閏四月五日、城から再び手代木直右衛門が迎えに来たのだった。案内されたのは、鶴が城ではなく、隣の御薬園に案内され、そこには佐川官兵衛ともう一人、ひどく背の低い初老の重役の方がいたのである。山口次郎が部屋に入ってくるなり、容保公は立ちあがって出迎えたのであった。
「おう斎藤、久しいな。あの金戒光明寺での御前試合以来であるか。おうそうだ。今は山口次郎と申すそうじゃの。」
「殿、お久しゅうございます。この山口次郎が来たからには、薩長土どもに殿に指一本触れさせるものではありません。」
「うむ、頼もしいな。それから言い忘れない内に言っておくが、昨日土方から近藤勇の遺体の一部(髷のこと)が手に入ったから、ここ会津にも墓を作って欲しいとの申し出が手代木の方からあってな。早速そのように取り計らったのだが、聞けばそれも、山口が手に入れたものだそうじゃの。まことに天晴れな奴じゃ。」
「恐れ入ります。」
「うむ、ついては褒美の金子を取らす。頼母(たのも)、用意した金子を山口に取らせよ。あぁ、言い遅れたが、ここに控えしは家老の西郷頼母じゃ。何でも主とは遠い縁があるとかで、わざわざ連れてきたのじゃ。」
頼母は頭を軽く下げてから、山口に千両箱を授けたのである。山口がそれを受け取ってから、頼母はこう付け加えたのだった。
「覚えておいでかは分からぬが、わしはそなたの母こうの師匠なのじゃ。お前のことは、こうより文(ふみ)で聞いて知ってたし、さらにこちらの佐川から、山口次郎と山口一と斎藤一は同一人物だと昨日聞いたばかりでな。懐かしさのあまり、殿に頼みこんで、同席させてもらったのじゃ。時に母上のおこう殿は息災か。」
山口は頼母の言葉に頭を下げて恐縮しながら、こう答えたのである。
「はい遺憾ながら、母は過ぐる年、赤報隊との戦いで命を落としましてございます。」
「そうか、それは残念なことをしたな。」
頼母がそう言い終わると、山口は千両箱と云う過分な金子に驚き、こう容保公に申し上げたのだった。
「殿。私の仕事にこのように報いてくれたのは、大変有り難いことなのですが、これから薩長土と戦うに辺り、私のような者にこのような金子は無用ではございませんでしょうか?」
それを聞いた容保は、頼母と一度顔を見合わせてから、こう言ったのである。
「それはのう、山口。実は主(ぬし)と主の率いる新撰組の兵糧金も含めてあるのだ。この度恐れ多くも輪王寺宮公現法親王様を盟主に戴き、ここにいる頼母を総督として、白河城を占拠して薩長土を迎え撃つこととしたのじゃ。そこで山口は、負傷した土方の代わりに新撰組を率いて参戦して欲しいのじゃ。これはその軍資金も含まれておる。どうだ、引き受けてくれるか。」
「もったいのうござる。殿が我のような者に頼みなどせず、ただ命じて下されば宜しいのです。それとこれは昨日土方の方から聞いたのですが、今後しばらく、つまり副長の怪我が回復するまでの間、不肖山口が副長に成り済まして新撰組を率いることと相成り申した。その方が、薩長土への威圧感が増すからとのことでございます。殿におかれましても、その辺をお含みになり、今度は人前では私のことを土方とお呼び下さいますよう。」
「そうか、頼もしいな。そうじゃ。今日はせっかく気の置けぬ者達がこうして集まったのだから、久し振りに山口の剣を拝ませてくれぬか。おう、ここではまだ土方では無く、山口で良いのじゃろう。余は金戒光明寺でのそちと永倉の試合が忘れられぬのじゃ。幸いここには頼母もおる。頼母もまた、主がこうの息子と知って、また様々な噂も聞いて、どの位の腕か是非立ち会ってみたい、と申しておるのじゃ。いかがかな。」
作品名:永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記) 作家名:斎藤豊