永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)
「わ、分かりました。どうぞ、お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
「佐川殿、手代木様、せっかく再会出来たのに、一杯の酒も飲めずに無念でござるが、拙者これから江戸に行って来申す。」
佐川と手代木もまた、目を白黒させながら、二人揃ってこう言ったのだった。
「江戸って、まさか。近藤殿を救出しに行く積りでござるか。今からでは、到底間に合うとは思えぬぞ。あっ、あっ、行ってしまい申した。」
山口次郎は時尾の家に一人戻ると、時尾の妹の民をつかまえて、こう言ったのである。
「民殿。済まぬが、冷や飯があったら全て握り飯にして、竹皮に包んでおいてくれまいか。大至急頼む。私はこれから江戸に立たねばなりませぬでな。」
次郎のこの声を聞きつけたやそは、身重の身体を起こして、こう言ったのだった。
「次郎様、どうなすったのですか。時尾様や克子様はどうされたのです? それに私達は居候なのですよ。先程会ったばかりの民様にそのようなことを頼んで、申し訳無いとは思わぬのですか? 私がやりますから、ちょっとお待ち下さい。今から江戸とは、一体お城で何があったのです?」
民はやそにそう言われ、母の克子にそっくりな人の良い笑顔を浮かべながらこう言ったのである。
「やそ様。宜しいのですよ。それ位のこと。それよりやそ様、お身体を大事になさいませ。」
次郎は二人のそんな会話を聞いてか聞かずか、先程解いたばかりの旅支度をそそくさとまた始め、民から握り飯を受け取ると、大儀そうに起きてきたやそを尻目に、黒駒を出して来てその上にひらりと飛び乗ったのだった。
「局長が薩長に投降されたのだ。お救いしてくる。」
「近藤様が? あっ、もう行ってしまわれた。」
身重なやそを時尾の家に残し、山口次郎は黒駒を昼夜を問わず乗り続け、あっという間に江戸へと着いてしまったのである。慌てているようで冷静な彼は、まず情報収集をしようと、小石川の川井亀太郎の鍛冶屋を訪ねたのだった。家に行くと、川井の息子でもう初老の久仲が大きな馬の嘶(いなな)きに驚いて、家から飛び出して来たのである。
「久仲殿。親父殿はどうされた?」
久仲は馬の手綱を取りながら、こう答えたのだった。
「山口殿。会津では無かったのでござるか。父はあれから病に倒れ、今は危篤状態で話も出来ません。」
「そうか、それは気の毒に。本当ならゆっくり見舞いたい所なのだが、そうも言ってられん。久仲殿は御存知ござらんか。近藤局長が流山で賊軍(新政府軍)に捕縛され、その後どうなったか。」
「山口殿、近藤局長はもう間に合いません。昨日二五日、板橋で首を斬られ申した。その首は京でさらすため、即刻京の三条河原に運ばれたのでござる。まったく差し首など、江戸三百年の治政でも例の無きこと。新政府のやり様と言ったら…。あっ、山口殿、いかがされた?」
「久仲殿、かたじけない。拙者はこれより実家に行って、一休みしてから京を目指しまする。それでは失礼。」
山口は例の『死人暗示』のせいで何とも無かったが、馬の黒駒の方が休まなければ死んでしまうのであった。もっとも、人間の方も感じぬだけで、もう相当疲れている筈だったのである。その後山口は養父達の家へ赴き、例によって簡単に事情を話すと、馬と自分を休めるため一泊だけし、次の日には京へと向けて旅立ったのであった。
山口は関所も何も破って黒駒を急がせ、数日後、もう京に辿り着いたのである。もっとも、薩長の通った関所は全て崩壊していたのではあったが。京ではまず吉田道場へ行き、口の利けぬ漢升の心の中を得意の読心術で読んだのだった。それによると、首は既に三条河原にさらされているとのことで、その場所も案内してくれたのである。山口達は一度道場に戻り、そこで一泊して疲れを取ると、次の日、深夜まで待って二人はまた三条河原へと向かったのであった。漢升の手には、昼間の内に手に入れた首桶があり、徒歩で河原の向こう岸まで来たのである。月も無い夜中、夜目の利く二人は、提灯を持たずにここまで来たのだった。目的地に着くと、漢升は見張りが反対側を見ているのを確かめると、心の中でこう呟いたである。
『無外真伝剣法二則、翻車刀。』
すると、河の向こう岸に晒してあった首がふらふらと浮き上がり、川を越えてこちらまでそのまま飛んでくると、漢升の構えていた首桶の中にすっぽりとそれは納まってしまったのであった。山口はそれを見届けると、首桶に蓋をして風呂敷で包み、黙って漢升と共に道場に帰ったのである。山口は物言わぬ漢升に礼を言うと、すぐさま黒駒に飛び乗り、そのまま会津までまっすぐ戻ったのであった。
閏四月四日、山口が会津に首桶と共に帰還すると、家に懐かしい土方歳三と田中律造、清水宇吉、手代木直右衛門が来ていたのである。土方は見たこともない洋装の軍服姿で、足を負傷しているらしく、包帯を巻いた痛々しい姿であった。土方は大鳥圭介率いる伝習隊と共に宇都宮城等各地を転戦していたのである。宇都宮城の戦いでは、彼の非凡な指揮能力が遺憾なく発揮されたのだが、後に彼は足の指に重傷を負ってしまったのだった。
「おう、斎藤(新撰組での名)、帰ったな。こりゃ運が良いな。せっかくこの足でお前を訪ねてきたのに、留守でいつ帰ってくるか分からねえって言うんで、どうしようかと思っていた所よ。ところでその風呂敷包みはなんでえ。」
「これは副長、田中、清水。御無沙汰しております。手代木様、先日は失礼しました。それから土方さん、私は山口次郎ですからね。忘れないで下さい。驚かないで下さいよ。たった今、京の三条河原にあった局長の首を取り戻して来たのです。」
横にいた手代木がそれを聞いて、こう小さく叫んだのである。
「何と、まさかとは思いましたが、本当にあれから京まで行って、もう戻って来たのでござるか。まったく信じられぬことでござる。あっそれから、時尾殿は見事祐筆に採用されましたぞ。あの時、突然山口殿がいなくなって、今後はもう会えないのではないか、とひどく無念がっておられましたぞ。まったく罪なことをなさるなあ。」
土方は山口次郎から受け取った風呂敷包みを開け、中から出てきた首桶の蓋を開けたのだった。土方は涙を流し、それを隠そうともせずに、それに向かってこう言ったのである。
「近藤さん、こんな変わり果てた姿になっちまって。何でもさらし首何て言うのは、江戸三百年間例が無かったとか。畜生、こんなことをしたのも、今ここに迫っている土佐の野郎共だな。それと御陵衛士の加納鷲雄が、大久保大和と名乗っていたのを近藤さんと証言したとか。あいつも許せねえ。待ってろよ。あんたの仇を討って、すぐにおいらもそっちに行くからよ。」
そこにいた者達の中で一番冷静な田中律造は、こんなことを言ったのだった。
「そう言えば、近藤さんの従弟の金太郎が来てますから、あいつに首を持たせてやりましょう。喜んで供養致してくれましょう。」
「そいつぁいい。だが、せっかく斎藤、おっと違った山口が会津まで持ってきてくれたものを、そのまま渡しちまうのは少々惜しいな。そうだ。せめて髷だけでも切ってもらっとこう。それなら首桶から首を出さずに、頭の上から切れっからな。近藤さん、ちょっと失礼するぜ。」
作品名:永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記) 作家名:斎藤豊