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永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)

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 そして子分達のいる広間まで出てくると、こう宣言したのだった。
「野郎共、これから芳の仇討ちだ。抜かるんじゃねえぞ。」
「おぉう。」
と、子分どもは訳の分からぬまま、全員雄叫びを挙げたのである。一方その後近江守は、彼女が町田家の墓に葬られるまで帰らなかったのである。
 三月十三日、幸い勝と西郷の話し合いは折り合いが付き、両軍の全面戦争は回避され、四月十一日、江戸城は無血で薩長に引き渡されたのだった。
第二場 会津
 同じ頃、山口次郎は身重のやそと時尾を巨馬の黒駒に乗せ、永井三十忍で新撰組でもある田中律造や清水宇吉や負傷した隊士達よりも先に、四月始めには目指す会津へと辿り着いたのであった。時尾には、京にいる間中乗馬を仕込んであったので、時尾にやそが?(つか)まると云う、まさに呉越同舟と云った構図となったのである。長い道中二人はほとんど無言で過ごし、次郎をハラハラさせたのであった。城下に着くと、やその実家の篠田家は米代にあったが、長兄の岩五郎は禁門の変で戦死し、義父内蔵(くら)は病死していたので、残る義母や義理の兄弟や姉妹とはほとんど交渉が無く、そこには頼り辛い雰囲気だったのである。そこで三人で相談をして、城下の時尾の高木家へ行き、厄介になろうと云うことになったのだった。高木家は三百石取りの家柄で、大目付まで務めた義父小十郎盛至は既に亡くなっていたのである。家には義母の克子、妹の民、弟で惣領の五郎、小十郎の妹の未亡人の磯とその息子の有賀織之助と同じく小十郎の弟の伝治が揃っていたのだった。江戸在住だったが、義父の死と会津藩士が江戸に居辛くなったことを切っ掛けに、ここ会津の伝治が守っていた家に戻って来たのである。時尾が久し振りに帰って来たので、義母克子は満面の笑みを浮かべて出迎えたのだった。
「あら、時尾さん、帰ってらっしゃったの? 京や江戸では、大変だったでしょう。良く無事で帰ってらっしゃれたわね。あら、お連れの方はどなたなのかしら。」
「お義母様、ただ今戻りました。伝治の叔父様、民、磯、元気にしてたかい。こちらにお連れしたのは、新撰組三番隊長の山口次郎様とその奥様のやそ様。私の仕事の上司でもありますのよ。この度会津へ避難しにいらっしたのですが、頼りにしていたやそ様のご実家の篠田家に障りがあるとかでお困りになり、こちらにお連れしたのです。ねえ義母様、お二人を家で面倒みるわけにはいかないかしら。と言うのも、今やそ様は身籠ってらっしゃって、四月(よつき)を超えているのです。落ちつける家が、今何としても必要なのでございます。」
 時尾の言葉に、次郎とやそが神妙に頭を下げると、姪っ子の有賀織之助がきらきら目を輝かせながら、思わず歓声を挙げたのだった。
「わあ、おじさん、あの新撰組の隊長だったの。すごいなあ。」
 この少年織之助は後に白虎隊に志願して、飯盛山の露と消える運命にあるのだが、それはともかく義母克子は、時尾の申し出を呆気なく引き受けてくれたのである。
「まあ、新撰組って言うと、あの会津のために活躍して下すった皆様方。山口次郎様とやそ様と仰るんですか。何もありませんが、どうか我が家だと思ってお寛ぎ下さい。」
 こうして次郎とやその二人は、高木の家に厄介になることとなったのだが、その間やその世話をする気でいた時尾に、数日後義母克子はこのように言いだしたのだった。
「実はね、時尾。今お城の照姫様の所で、祐筆(書記)を探しているそうなのよ。つい先日、字の上手いお前の名も挙がったんだけど、今家にはいないってお断りしたばかりなんだ。たぶん、まだ決まって無いと思うから、お前行っておくれでないかい。やそ様のお世話なら、私や磯や民がなんとかするからさ。」
「でも。」
と時尾が躊躇していると、山口次郎が口を挟んだのである。
「時尾、照姫様や容保様をお守りする良い機会だ。我らに構わず行ってくるが良い。それにこの家は、まるで我が家の様に心地よく、やそも遠慮なく過ごせそうだ。」
 やそもその時、こう口添えしたのだった。
「そうだよ、時尾。お義母様には悪いが、お城のお役にたつ滅多に無い機会じゃないか。」
 時尾はやそにまでそう言われて断るわけにはいかず、こう答えたのである。
「皆様がそれ程仰るなら、お城へ参りとうございます。ただ、城へあがる時には、次郎様も一緒に来て下さいね。」
「それなら、私も用があるので、今からでも行こうと思っていたのだが、それで良いか?」
「仕方ないねえ。少しだけ次郎様をお貸しするか。」
と次郎とやそに言われ、時尾は支度も何も無く、義母克子と次郎と共に城へと向かったのだった。城へ行くと、やはりまだ祐筆は決まっていないということで、照姫様の所に通され、直接面談することとなったのである。克子や次郎もまた、本丸御殿の控えの間に通されたのだった。その部屋で正座した途端、二人の男がその部屋に入って来たのである。見ると、懐かしい佐川官兵衛と手代木直右衛門であった。二人はほぼ同時にこう言ったのである。
「ほら見て下さい。拙者の言う通り、山口一殿ではないか。山口殿、溝口一刀流の使い心地はいかがでござる。やはりお主は、我が会津と縁があったようじゃの。」
「ほれ、見ろ。わしの言う通り、斎藤一様ではないか。斎藤殿、京で田中新兵衛を捕らえて以来でござるな。」
 二人はそう言ってから、互いの言葉に顔を見合わせたのだった。二人の言葉に、山口次郎は笑いもせず、真面目にこう答えたのである。
「拙者は山口一でもあり、斎藤一でもござる。因みに今の名は、山口次郎と申す。」
 そう言われて、二人は期せずして笑い出したのであった。
「そうか、そうか。山口一と斎藤一は同一人物でござったか。」
「そうか。今は山口次郎殿と申すのか。それにしても、あまり変わり映えのしない変名じゃの。こんな名前で変名する意味があったのか、疑問でござる。」
 二人の言葉に相変わらずにこりともせず、山口は言葉を続けたのである。
「佐川殿、手代木様、お久しゅうござる。この戦乱の世、息災で何よりでござった。」
「ほおー、お主もだいぶ人間らしい物言いをするようになったの。やそ殿の教育の成果でござるか。」
「息災と言えば、お主、新撰組の局長近藤殿のことは聞いておるか。何でも薩長に与した土佐に投降したとか。」
「な、何と。それは本当でござるか。詳しく教えて下され。」
「いや、期待されるほど大したことは分からぬのだが、何でも下総の流山で農兵を訓練していたところを、土佐藩の谷干城や香川敬三らに一味を見つけられ、隊を守る為やむなく一人投降し、わしの聞いた話ではまだ生きていると云う話じゃったが、新撰組を坂本龍馬の仇と思っている奴等のことだ。今頃処刑されているかもしれん。おい、山口氏、どこへ行きなさる?」
  山口は突然愛刀『池田鬼神丸国重』に模した『鬼切丸』を掴んで立ち上がると、それを腰に挿し、驚く時尾の義母克子と会津武士二人にこう言ったのであった。
「御母堂様。時尾のこと、後は頼みまする。拙者は所要が出来た故、急ぎ家に戻り、それから江戸へ行って参ります。」
  克子は目を白黒させながら、こう答えるのがやっとだったのである。