小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)

INDEX|39ページ/67ページ|

次のページ前のページ
 

 江戸に向かって新撰組と合流した山口次郎は、主君の永井尚志が官位を没収され、任命されたばかりで実質上幕府筆頭の若年寄のお役も御免となり、さらに蟄居処分となっていることを知ったのである。だがこういう扱いに慣れている彼は元気で、蟄居も無視してあちこち動き回り、実は甲陽鎮撫隊と云う組織を勝安芳(海舟)に組織させたのも彼だったのだ。勝安房とは、かつて麟太郎と名乗っていた。この名の時講武場で、山口一と名乗っていた頃の山口次郎に叩きのめされた八人の剣士の一人でもある。甲陽府鎮撫隊とは新撰組のことであり、山口は懐かしい仲間と共に加納で会った田中律造とも再会したのである。彼の話によると、あの後女手形も手に入れ、無事永井の家族全員を江戸に送り届けたとのことであった。十二使徒の頭ナザレに受けた傷も癒えぬ山口次郎は、こうして気功の技も使えぬまま、甲府城防備の遠征の旅に出たのである。三月三日、あの赤報隊の相楽総三が薩長自身の手によって処刑され、その盟主であった公卿綾小路俊実らは何のお咎めも無く、二番隊は薩長の軍に編入され、伊東の弟の鈴木三樹三郎は無事であることを聞いたのだった。その後の三月六日、甲州勝沼の戦いにおいて甲陽鎮撫隊は、山口にとって不本意な負け戦となってしまったのである。因みにこの戦において、副長土方は横浜奉行所の与力隊、通称「菜っ葉隊」を援軍にすべく動いたのだが、伊東甲子太郎の部下の元横浜奉行所関係者の篠原泰之進らのこともあり、援軍はとうとう望め無かったのだった。その後山口は江戸に帰ると、やそに自分が身重であることを知らされ、新撰組の田中律造や負傷兵と時尾と共に、やそを連れていち早く会津へと行くこととしたのである。
 江戸城は幾島や山岡や勝安芳(海舟)らの活躍により、無血開城されるのだった。その後永井尚志は、榎本武揚の誘いで、彼らと共に開陽丸で幕府艦隊を率いて江戸を脱出するのである。        


第三幕 陸奥 第一場 新門辰五郎
 慶応四年四月二五日、新撰組局長近藤勇は下総の流山で投降し、谷干城(たにたてき)ら土佐藩士によって斬首されたのであった。これは、この頃土佐では坂本龍馬を暗殺したのは新撰組であると思い込み、その局長であった彼を極端に恨んでいた所為なのである。また副長の土方は、残った新撰組隊士と共に大鳥圭介の幕府陸軍に加わり、元幕府家老板倉勝静親子の幽閉される宇都宮城を攻めていたのだった。洋装となった土方は作戦指揮に非凡の才能を見せ、板倉親子の奪還に成功するのである。しかしそのまま城を保つことが出来ず、日光を通して会津を目指して落ちて行ったのであった。永倉・原田は三月には既に近藤と袂を分かち、靖共隊(せいへいたい)を組織して自ら戦いを求めるのである。最後に沖田は、江戸の潜伏先の植木屋で寝たきりの日々であったが、ついに五月三十日、病のため帰らぬ人となってしまうのであった。
 一方、芳の遺骨を持ったその養父の川合久幸は、彼女の実父新門辰五郎こと町田辰五郎のいる浅草の火消しを組を訪ねたのである。取次には、たまたま組の表を掃除していた小金井小次郎と云う博徒に頼み、彼に要件を告げると早速奥から妻らしき女と共に辰五郎が現れたのだった。
「刀鍛冶の川井様、芳が厄介になっていやすが、奴がどうかいたしやしたでしょうか?」
 火消しの親分と言っても、貫禄充分な凄味のある男が、川井にそう尋ねてきたのである。さすがに川井は度胸が据わっていて、少しも怯まずにこう言ったのである。
「親分さん、申し訳無いことを致した。芳様は任務のため美濃の加納に赴き、そこで敵の刃に倒れ、僭越とは存じましたが、ご遺体を江戸まで運ぶこともできず、火葬してこうしてここに御持ちした次第でござる。」
 辰五郎は川井の言葉を聞き、しばらく白い布に包まれた箱を見つめていたが、黙ってそれを受け取ると、突然辺りも憚らずに号泣し出したのだった。
「芳、芳よお。こんなに小さくなっちめえやがって、お父っつぁんは一体どうしたらいいんだい。おめえには小っちぇー頃からおいらの趣味で忍者修行やら花魁の真似ごとまでさせっちまって、苦労の掛け通しだったな。それがお父っつぁん、お前が慶喜様、将軍様のお妾になったって聞いて、喜んでたらこの始末だ。許してくれ、芳よお。お前を世間様のように、普通に育ててりゃ良かったんだ。皆俺が悪いんだよ。待ってろ。お前が二言目には言っていた近江守様ににもすぐ来てもらうからな。くそ、こんなことなら、あの情けない慶喜の殿様なんかにやるんじゃ無かった。可哀想に芳はあの細腕で、一人薩長の野郎に健気にも立ち向かって果てたんだ。こんなことなら、近江守様の妾に貰ってもらうんだった。あの人は未だに薩長に抗っておいでだ。やい、小次郎。急いで山口近江守様のいる講武所まで行って来て、このことを知らせて来やがれ。もしも多摩のお屋敷にいるようだったら、そこまで一っ走り行って、必ずお連れして来るんだぞ。分かったな。」
 小金井はそう命じられて、
「へい、親分合点でさあ。」
と威勢よく答えると、もう表につっ走っていってしまったのだった。
 もう遺骨になっているとはいえ、僧も呼び、山口近江守や山口祐助一家の他、お忍びで徳川慶喜公も現れ、また辰五郎と親しく、かつての講武場の八剣士の一人勝安房守(海舟)もその供をして来たのだった。慶喜は上野で謹慎中だったので、他の来客にさえ来訪を告げず、形式的に愛妾の菩提を弔うと、そそくさと勝と共に帰って行ったのだった。肝心の近江守は、声こそ挙げはしなかったが、葬儀の間中涙を流しっ放しで、川井が彼女からの遺言を話すと、あの狐のような顔のまま、畳に突っ伏し、人に聞こえる独り言をこう言ってしまったのである。
「芳、芳、済まない。わしもお前と同じ気持ちだったのだ。それなのに、お前の気持ちを疑ってしまって、江戸に一度戻って来た時も、すぐに会いに行かなかったのだ。あの時、一目お前に会ってさえいれば…。芳、愚かなわしを許してくれ。」
 もちろん、その時はもう徳川慶喜は帰っていて、その場にいなかったのだった。ところがそこへ、慶喜公と共に帰ったはずの勝安房守が、息を切らせながら戻って来て、新門辰五郎に目配せして、一目に付かない部屋へ二人っきりで入って話をしたのである。
「勝の旦那、なんでござんしょう。」
と辰五郎が二人きりなると、早速尋ねて来たのであった。
「おう、大切なお嬢さんの喪中だって言うのに済まねえな。実はあんたの娘さんの仇でもある薩長の参謀の西郷と、おいらは今度和平の為の談判をすることになったんでえ。この話がまとまればいいが、交渉決裂ってことなりゃー、おいらもう容赦しねえ積りなんだ。そこでだ。薩長軍が江戸の町に攻め込んだら、あんたの子分とお仲間を総動員して、まず町人どもを誘導して安全な所に避難させ、それから町に火を付けて奴等に総攻撃を掛けるんだ。見てろよ、アーネストサトウを通して知り合ったエゲレス国総領事パークスに、江戸の町を薩長が攻めたら、エゲレスも薩長の敵に回るように約定を取り付けたんだ。奴等、肝冷やすぜ。」
と勝は答え、辰五郎はこう言ったのである。
「勝の旦那、あっしゃ嬉しいんだ。全てあっしに任せておいておくんなせえ。」