永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)
船路で江戸に着くと、新撰組はしばらく休養と云うこととなり、そこで山口次郎は懐かしい山口の自宅へ戻ったのである。自宅に戻ってみると、養父佑助、養母ます、義兄廣明は元よりいたが、義姉勝は水戸に嫁に行ったのでここにはいなかったのだった。そしてさらにこの家にはこの他にも妻のやそ、幾島、川井亀太郎、母こう、神農の芳が居て、あと何故か元永井家家臣で現新撰組隊士の田中律造と他に見知らぬ武士が二人も交じっていたのだった。田中は近頃入隊し、先に入っていた清水宇吉と云う者と共に共に近藤付きになったのだが、色男な二人は共に小姓と見られていたのである。しかし実際は、二人とも永井三十忍の一員で、若くして凄腕の忍びだったのだ。
「養父(ちち)上、養母(はは)上、義兄(あに)上、ただ今戻りました。私、この度名を変えまして、山口次郎と名乗っております。それから十訣の皆、無事江戸で会えて良かった。」
と山口次郎が挨拶をすると、懐かしい家族の皆が、次郎の肩を叩いてその無事を祝ってくれたのだが、仕事の客も来ているので、それは早々に切り上げ、皆がここに集結している理由(わけ)を聞かなければならなかったのである。彼の問に対し、首領のやそでは無く、若い田中律造の方から話があったのだった。
「実はな、話は長くなるが最初から話すと、殿様(永井尚志)は大阪城で幕府軍撤退の指示を出した後、頃合いを見計らって加納藩士で永井三十忍の一人奥谷文吉(伴造)と漢升、勝蔵、木又と共にそこを脱出なさったのだ。その後は殿様は奥谷と別れ、一人船で江戸に戻って来られ、一方奥谷は、故郷加納へと向かったのだ。何故なら当時殿様はご御家族加納の地に疎開されていらっしゃる事を御存知無かったので、奥谷に探索を命じたのだ。殿が江戸に戻ってくると、赤報隊とか申す者達が、近頃『薩長様が天下をお取りになれば、年貢半減に致す。』などと言う法螺を吹きつつ江戸に迫り、彼らの進む中仙道には加納宿も在り、恐ろしくてそこを離れられない、と云う一報が入っていた。藩主永井尚典(なおのり)様は官軍に恭順した振りをなさっておられるそうだから、手荒な真似はされますまいが、永井尚志様ゆかりの者がいると分かれば、赤報隊二番隊長のあの伊東甲子太郎の弟鈴木三樹三郎が、放っておくわけが無い。二番隊には鈴木の他にも、篠原泰之進や新井忠雄等、新撰組に恨みのある元御御陵衛士達で構成されていると云う。そこで殿様はこの私と永井十訣の皆々様を加納に遣わし、奥様とお子様の岩之丞様をお救いするよう命じられたのだ。」
田中がそう言って一息つくと、今度は幾島が替わって話し始めたのである。
「そこでわしらは、お主がここに必ず寄るだろうと思い、慶喜公の所からここへ集結したと云う訳じゃ。幸い我も江戸に来てから、再会した天璋院様から正軍参謀の西郷隆盛へ当てての書状を預かっておる。これを口実に江戸を発ちましょう。京にいる者達には奥谷文吉様の方から連絡してあるので、加納宿で落ち合うことになっておる。」
「分かりました。ところでこちらにいる御仁はどなたなのでしょう。」
山口次郎に尋ねられた男の内年配の方の男が、頭を掻きながらこう言ったのだった。
「私をお忘れですか。でもまあ無理は無いか。随分昔の話ですし、まああれ以来一度もお会いして無いのですから。拙者は以前講武所の道場で打ち据えられた八人の剣士の内の一人、神陰流山岡鉄太郎殿でござるよ。覚えてらっしゃらないのに、厚かましくも自宅まで押し掛けてしまって恥ずかしゅうござる。もっとも新撰組とは、共に京へ上った者同士。貴殿はあの時いらっしゃらなかったようなのでな。拙者は幾島様と同じ目的で西郷殿と直談判するため、東海道を上りたいのだ。そう云うことでよろしくお願いし申す。何しろ、お主ら永井十訣に警護されれば、万が一にも薩長軍と巡り会う前に討たれるようなことにはなるまいからな。それとここには連れて来なかったが、益満休之助と言う者も連れていきたいのだ。ここに連れて来なかったのは、実は奴は薩摩の破壊工作員でな。こんな時のために勝(海舟)先生が捕虜にして恩を売っておいた奴で、この度薩摩の西郷に遭うための案内を頼んだのだ。勝先生は、何でも貴殿のことを知ってござったぞ。何でも以前、講構武場で叩きのめされた八人の剣士の一人だとか。その益満が裏切ればわしの命は無いが、西郷に遭うためには奴の回心に掛けるしかないのだよ。それからこちらは心形刀流伊庭八郎と申し、打ち据えられた八人の内伊庭軍兵衛と申す者の倅だ。奴は箱根まで出向き、薩長を迎え撃とうと考えているそうだ。まあ私の目的とは水と油だが、こ奴も同道させて欲しい。ほれ、八郎。お前からもお願いしろ。」
と紹介されて続けて若い方が、自ら進み出てこう名乗ったのである。
「今紹介されました様に、私は伊庭軍兵衛の一子、八郎と申します。拙者も箱根まで同道させて下され。箱根で薩長を迎え撃つのでござるよ。」
その後、一同は軽い親睦会となり、次の朝早く、江戸のことは山口次郎の父裕助に託し、永井十訣が再び全員終結すべく美濃国加納を目指したのである。むろん、田中律造や山岡鉄太郎、伊庭八郎が一緒なのは元より、山岡の言っていた益満休之助も一行に加わっていたのだった。途中お芳が大きな欠伸をしながら、大きな独り言を言ったのである。
「あーあ。せっかく江戸まで戻ったのに、近江守様と結局会えなかったなあ。」
それを聞くともなしに聞いていた幾島は、相変わらず遠慮の無いお芳の言葉にあきれ返りながら、川井と木又の担ぐ駕籠に揺られながら、こう言ったのであった。
「おい。二言目には近江守様、近江守様って。色男の現将軍様の愛妾にまでなったお前が、山口近江守のどこが良いって言うんだい。」
その問に対し、芳はまったく悪びれずにこう答えたのである。
「うーん、強いて言えば顔かな。」
幾島はその答えに再びあきれ返りながら、こう返事をしたのだった。
「顔ってねえ、お前。近江守様って言えば、奥女中の私でも聞いたことのある強面の方だろう。決して美形とは言い難いはずだ。どこに惚れたのか、もっと分かりやすく言っておくれでないかい。」
「そうですね。きっとあの方は、生まれた時からあのお顔なのですよ。」
「当り前じゃないか。」
「でもね。赤子の時からあの顔って云うのは、相当怖いですよ。きっと親にも兄弟にも愛されず、友と呼べる人もいなかったんじゃないかなあ。だからあの人はあんなに頑張っていて、他人に隙を見せないようにいつも緊張しているんです。奥さんと褥を共にする時もあの顔なのかなあ。それでね。たぶん私に愛されたのが、直邦様が生まれて初めて愛されたことになるんですよ。あの人ったら、それはそれは嬉しそうな顔をなさってね。芳が好きって言ってあげたら、あの顔で照れてるんですよ。」
「あぁ、そうかい、そうかい。近江守様の家庭を壊すのだけは止めておくれよ。」
作品名:永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記) 作家名:斎藤豊