永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)
「畜生、斎藤一め。奴が浮気をする等変だとは思っていたが、奴は女と一緒に逃げたのでは無く、我らの計画を新撰組に告げに帰ったのだ。奴は間諜だったのだ。我ら御陵衛士がこんな目にあったのも、全てあの斎藤一の所為よ。見とれよ。必ず形勢を逆転し、あの斎藤に目に物見せてくれる。」
一方すぐ近くでかつての仲間達の惨劇があった山口次郎は、その惨劇の物音が聞こえ無かったはずは無いのだが、事件の顛末を木又と土方の使いの二人から、御陵衛士三名の最期を別々に聞いても、
「そうか。死んだのは藤堂と服部さんと毛内さんだけなのか。後は逃げたというわけだ。」
と言うだけなのだった。
一方こちら天満屋では、首謀者の坂本龍馬と実力者の中岡慎太郎が斬られたことにより、もはや土佐からの襲撃は無いものと云う雰囲気が広がっており、また長い警護で人々の気も緩み、毎晩酒宴となっていたのだった。だが実際は、海援隊と陸援隊の頭が殺されて、その下手人が紀州藩なのではないか、との憶測が飛んでおり、紀州藩許すまじ、天満屋にいる藩士達の責任者である三浦許すまじ、と云う機運が土佐藩内に高まっていたのである。またこの時、山口も人には言わなかったが、かつての仲間であった藤堂や服部が死に、生き残った篠原ら御陵衛士と完全に敵対したことが何となく面白くなく、しかもそれがあのかつて聞いた物音であったことを考えると、何もしなかった、いや出来なかった自分が不甲斐なく、生まれて初めて酒でも飲んで紛らわしたい気分になっていたのだった。何回か皆と共に酒宴を開いている内に、酒量も段々と嵩み、その日十二月七日、酒豪の山口次郎が珍しく意識が朦朧とするまで飲んでしまい、冬だと云うのにまた鎧に慣れぬせいか身体がひどく熱く感じて、それまで肌身離さず身に付けていた鎧を、まず手甲から脱ぎ始めてしまったのである。その時運悪く、彼らが飲んでいた天満屋の一室に、海援隊士ら十六名が斬り込んできたのだった。彼らの首領の坂本や実力者の中岡を暗殺されたことにより、八つ当たり的に斬り込みを決行したのである。普段は圧倒的な異能力を見せる彼も、この時あまりに酔っていたためにその能力を少しも使えなかったばかりか、普段なら海援隊士の奇襲を事前に知らせてくれる木又も、大事件が日を置かずに次々と起こり、他の永井十訣のメンバー同様任務で出払っていたのだった。いきなり山口に斬り掛かってきたのは、海援隊と行動を共にしている十津川郷士中井庄五郎である。彼は、
「三浦氏はそこもとか。」
と言いながら障子を蹴破っていきなり斬り込んで来て三浦休太郎に傷を負わせ、返す刀で立ち上がって臨戦態勢を整えたものの、身体が言うことを聞かない山口次郎へと襲い掛かったのだった。山口が、自分はこんな所で果てるのか、時尾、せっかく身に付けていた物を売り払ってまで贖ってくれた武具を役立てぬままここで口果てようとは、済まぬ、とあわや思った瞬間、新撰組の三番隊士梅戸勝之進が中井に斬り掛かり、九死に一生を得たのである。山口はようやく身体が目を覚まし、中井を刺殺したのであった。こうして三浦休太郎は負傷したものの何とか命は取り止め、海援隊らは撤退したのである。これは単純に両者の死者と負傷者数を比べれば、海援隊側の死者は中井一人で負傷者は二、三人であるのに対し、新撰組側は、守るべき三浦休太郎が負傷したのを始めとして、新撰組が二人死亡し、負傷者も後三人いて、新撰組側の完敗だったのである。海援隊が引き揚げた後、急を聞きつけた土方ら新撰組と紀伊藩士らも駆け付けたが、最早やることは何も残されていなかったのだった。山口にとってみれば、初めての失態だったのである。
第八場 凋落
同年十二月九日、大政奉還から二ヶ月後、この日王政復古の大号令が発令されるのであった。
この大変な時に大目付から若年寄格に出世していた永井玄蕃守尚志は、同月十五日、若年寄に任命されたのである。因みに若年寄格になった時、主水正から玄蕃守に戻ったのであった。さらに同月十七日、二条城に途上した局長近藤が御陵衛士の残党に狙撃され、当分身動きの取れない程の重傷に見舞われるのである。
明けて慶応四年、後に明治元年と呼ばれるこの年の正月三日、王政復古の号令に気を良くした薩長の連合軍が大阪に上陸し、これに京にいた土佐藩も加わって、幕府軍と激突したのであった。本来戦を避けるために受け入れた大政奉還は、幕府側にとって何の意味も無くなってしまったのである。永井はこの時伏見奉行を兼任することとなり、守りの要の一人と期待されていたのであった。近藤が怪我で、沖田が倒れた新撰組は、永井の指揮下に入るべく、土方歳三の指揮の元不動屯所を出動し、伏見奉行所へと向かったのである。開戦後、薩長の攻撃の主流は銃火器と西洋式に良く訓練された兵士達であり、新撰組にも銃や大砲は少しあったが、元々数が少ないのに加えて、それは下の隊士が一部使っただけなのであった。隊長を始めとする腕に自信のある者は、あえてそれを使わず、薩長の連発銃の飛び交う中、新撰組の大部分は無謀な斬り込みを繰り返すだけなのである。そんな中、山口次郎は永倉と共に永井十訣の者を駆使して銃に不利で切り込みに有利な夜襲を掛け、薩長をさんざんに痛めつけたのであった。永井十訣の者達は黒い忍者装束に黒皮の上着をつけ、頭には鍔付き野球帽のような兜に黒布で顔を隠したものを被ったのである。この格好をするのは井伊忍軍と戦って以来だったが、山口次郎だけはそれに加えて、時尾がくれた鎧と手甲足甲を一人全身に装着しての出陣であった。しかし、彼らの攻撃で奉行所は炎上し、辺りは昼間のように明るくなり、夜襲の意味が無くなってしまったのである。得意の無外流奥義三則玄夜刀を駆使して暴れまわっていた木又は、奉行所が炎上したことを機に、辺りに異様な気が満ちたのを感じたのであった。目の不自由な彼は、五感を研ぎ澄まし、何かが自分に向かって突進してくるのを感じたのである。彼はその時、連れていた狼や梟をそれに向かわせると、動物達は見る見る内に退治されていってしまったのであった。木又は心の中で中心のやそを急ぎ呼び出して、こう言ったのでる。
「姉さん、何かやべえもんが来る。ここは一度撤退した方がいい。」
木又に言われるまでも無く、やそもまた異様な気の存在に気付いていたのであった。自分達以外にこの様な気を持つ者がいる等、しかもそれがどうやら敵方で、姿形さえはっきりしないことに、やそは言い知れぬ不安を感じていたのである。とその時、比較的遠くで戦っていた山口次郎に黒い影が纏わりつき、しばらく防戦をしていたが、ついに足甲の隙間に傷を負わされたらしく、その場に肩肘を付いてしまったのだった。
「一様(今彼の名は山口次郎だが、やそがとっさに出た名前は、以前の一の名であったのだ)。」とやそが叫ぶと、こうがそこへ、
「無外真伝剣法五則、虎乱入。」
と叫びながら乱入し、黒い影を蹴散らしたのである。また別の方で馬に乗って戦っていた勝蔵が突如、
「無外真伝剣法九則、相無剣。」
と叫び、同じ黒い敵が彼に触れる瞬間、身を翻したのであった。その時、ほんの一瞬ではあったが、奇妙な短刀を持った黒い彼らの姿が、微かにやその眼は捕らえたのである。
「撤退!」
作品名:永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記) 作家名:斎藤豊