永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)
「さっすが勝(海舟)先生も一目置く御仁ぜよ。わしがその坂本龍馬ぜ。宜しゅう頼むぜよ。今日は秦氏の末裔長曽我部の臣として、同じ秦氏の大目付様と見込んで話を伺いに来たがぜよ。」
永井は、坂本のギラギラとしてそれでいて人懐っこい矛盾した笑顔に絆され、思わず自らも機嫌良くなり、こう答えたのである。
「ほう、秦氏とな。わしは養子故、秦氏の永井の家とは血の繋がりは無いのじゃが、同族の好と言われては話を聞かぬわけにはいかんな。深夜で茶も出せぬが…。」
と言っている所へ、やそが三人分の茶を運んできたのだった。彼女もまた、たまたま永井の元に来ていたのである。
「いや、済まぬ。それで話とは何なのかな。」
坂本はやそから受け取った茶を少しすすると、いきなりこう切り出して来たのだった。
「大目付様は、大政奉還がなされた後のこの日本はどうなると思うがぜよ。」
「ふむ、どうなるかは分からぬが、幕臣のわしとしては、何とか慶喜公が政治の中心となってくれれば良いと思っておる。」
「そこぜよ。ここにわしが今考えちゅう政治担当責任者の人事が書かれちゃる。」
そう言って坂本は、懐から取り出した新政府綱領八策を永井に披露したのだった。そこには坂本の同士に見せた物とは違い、○が書かれているだけだった空欄の盟主の欄に徳川慶喜の名も新たに書き加えてあったのである。
「ふむふむ。この通りになれば良いがのう。じゃが、あの公卿の岩倉や薩摩の大久保が承知せんじゃろう。」
「そりゃそうじゃが、ほうしたら幕府のもんも承知せんで、また戦(いくさ)になりましょうが。そん時、エゲレスやフランスに治安維持の名目で付け込まれれば、日本国は清国と同じ目に合うが。わしゃーそれが許せんぜよ。大目付様、薩長は今、幕府を攻める口実を何とか探しちゅう。こんな戦をせんと、慶喜公のような有能なもんが政治の中心とならにゃ、日本は終わりぜよ。そこんところを幕府の連中にも、薩長の連中にもわしは分かって欲しいがぜよ。大目付様、わしの話が間違うてたら、遠慮のう仰ってつかーさい。」
こうして意気投合した永井と坂本の話は、呆れて帰ってしまった後藤を尻目に、四日間も続き、二人はお互いを信頼しきって別れることとなるのだった。今後の日本を永井と共に導くはずであった坂本龍馬は、この後恐ろしい悲劇に見舞われるのである。
第七場山口次郎
この後、斎藤一は一度新撰組を抜けて戻った矛盾を解消するため、名を山口次郎と改めたのだった。新たな任務で彼が旅立つ前、彼はその支度をするために吉田道場へ行ったのである。道場には珍しくやそだけがいて、何時もいる時尾も含めて皆永井の役宅の方に出掛けていて不在だったのだ。見ると、彼女は滅多に付けぬ白粉をはたき、口には紅を引いていたのである。またこれもいつもとは違うが、ひどくそわそわとした様子だったのだ。そして彼女は彼の名がまた変わったことを彼から聞き、こう言って笑ったのである。
「元々が山口一ですから、その姓に戻り、名まで一に戻せばまるで同じになってしまいますから、今度は『次郎』ですか。随分手を抜いた変名なのですね。今回は御自分で考えられたのでしょう? 山口次郎様。」
山口次郎は笑いながら、こう答えたのだった。
「そう言うな。あまり違う名前にしてしまうと、お前達も新撰組の仲間や部下達も、分かり辛いだろう。」
やそは久し振りに山口と二人きりになり、いつもの氷のような顔とは違って喜びでほころばせながら、こう言ったのである。
「そんなものでございましょうかねえ。まあこれでまた、晴れて新撰組三番隊隊長にお戻りになられたのですね。我ら永井十訣は、言ってみれば新撰組裏三番隊と云った所ですか。ところで次郎様、今夜はこちらにお泊りでございますか。」
「あぁそうだ。久し振りに二人きりだな。それにしても今宵はどうしたのだ?そんなに御粧(おめかし)をして。」
その問に対し、やそは答えずにこう言ったのだった。
「あの、それで言い辛いのですが…。」
「何だ、やそ様。そなたらしくも無い。」
その時やその心の中に、何故か時尾の影がチラついて困っていたのである。若い彼女に対し、自分が年を取ってることへの引け目が、彼女を突き動かしていたのだ。
「今夜、情けを頂戴したく存じます。」
さすがに山口次郎も、露骨なこの言葉には照れてしまったのである。
「やそ様。そうはっきりと言われると照れるが、貴女様さえその気なら、私に異存はございません。」
それを聞いたやそは、珍しく赤い顔をしてこう続けたのだった。
「それで一つお願いがあるのですが…。」
「願いとは?」
「その昔、私達の初めての夜、一様(興奮のあまり、既に変名のことは忘れている)は死人故、自らの意思で自在に子種を扱えると仰られたことがございました。私はその時、任務に差し支える故、子供は当分待って欲しいとお願い致しましたが、覚えておいでですか。」
次郎は怪訝そうな顔をして、こう答えたのである。
「覚えておりますが、それが何か?」
「その願いを、今夜は無きものと致したいのです。昨今の御時勢、二人のいずれかの身に何が起こるやもしれません。ましてや私は、お婆様に貴方様と添い遂げられぬと予言されているのです。何かが起こる前に、何としても二人の子を儲けておきたいのです。」
こうして二人の夜は静かに更けていくのであった。
ところで山口次郎の新しい任務とは、紀州藩士三浦休太郎らと坂本龍馬の海援隊がいろは丸沈没事件で対立関係にあり、その休太郎達がいる天満屋へと三番隊士七名と共に行き、彼らを護衛することなのである。これは、続けて行われる御陵衛士達の粛清に、一時期とは言え仲間であった山口が加わるのはやりにくかろうと、土方が配慮したものだったのだ。
こうして山口次郎が京の油小路の天満屋に行っている間の十五日、あの坂本龍馬が同じ京の近江屋に潜伏していた所、何者かに襲われてたまたま共にいた陸援隊の中岡慎太郎と共に暗殺されてしまったのである。大政奉還の一ヶ月後、王政復古の号令がなされる一カ月前のことであった。
さらに十八日、龍馬の死んだ同じ京で、再び血生臭い事件が続いたのである。伊東は近藤の妾宅に招かれて二人差し向かいで痛飲した後、徒歩で帰ろうとしてたまたま山口次郎のいる天満屋のある油小路に差し掛かった時、新撰組の大石鍬次郎らよって惨殺されてしまったのだった。彼らは伊東の死体を油小路の四つ角まで引きずっていき、残りの御陵衛士達が駆け付けるのを、土方達他の隊士と共に待ち受けたのである。程無く駆けつけた篠原、服部、藤堂ら七名は、新撰組との壮絶な斬り合いの末、服部、藤堂、毛内が命を落とし、残りは薩摩藩邸へと逃げ去ったのだった。その日は御陵衛士達にも出張が多く、たまたま難を逃れた者が多かったのである。命の助かった篠原は敗走の途中、こう呟いたのだった。その形相は、切羽詰まった他の仲間達からでさえ奇異に見える程凄まじいものだったのである。
作品名:永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記) 作家名:斎藤豊