永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)
「斎藤君、私は君が金のことを口にするなんて少々意外だったよ。いかにも御褒美は思いのままだが、申し訳無いが、我らも薩摩様に援助してもらっている身故、奴らの首を見せてからでないと、薩摩様からのご褒美はもらえぬのだ。今手元にあるのは、我ら同士を養うための資金だけでね。本当なら、この度の君の働きに対し、何らかの報酬を出さねばならぬのだが、新撰組の内輪もめの始末を我らが勝手にやったことを、薩摩様に褒美をねだるわけにもいかんのだ。それにしても、君は何故そんなに金が要り用なのかね。」
「いや、お恥ずかしい話なのですが、島原に馴染の女が出来まして、その女を見受けするのに少々金が必要なのでござる。しかも女房には内緒でね。」
すると、篠原は心底驚いた顔をして口を挟んできたのである。
「何、あの君より怖いやそ殿に内緒で女を見受けしようと言うのか。それは豪気だ。その果報な女の名は何と言うのかね。」
嘘をつきなれていない斎藤は、篠原に突っ込んだ質問をされ、思わず知っている女の名を口にしてしまったのだった。
「まだ若いので御存知ないかもしれませぬが、時尾と申します。」
斎藤にとって、それはある意味真実の言葉だったかもしれない。
この宴会の数日後の十一月十日、斎藤は御陵衛士のなけなしの資金を持ち逃げし、乞食に変装して新撰組に逃げ帰り、伊東らの暗殺計画を告げたのである。このことに関してあの宴会に出席していた伊東や篠原や阿部ら御陵衛士達は、斎藤が女のために急に金が必要となり、盗みを働いて逃げたものと思ってそれ以上疑わなかったのだった。
斎藤一が吉田道場に戻ってくると、例によって一人留守番をしていた時尾が彼を見るなりこう言ったのである。
「一様、時尾が良いものを買ってきました。お気に召しましたらお使い下さい。」
そう言って彼女が奥の自分の葛篭から、手甲や足甲や胴当等様々な武具を取り出して来たのだった。一はそれを見て、驚いてこう言ったのである。
「こんな物をどうされたのか、時尾殿。」
時尾は一にそう聞かれ、恥ずかしそうにこう答えたのだった。
「勝手なことをして申し訳ありません。私は一様は無敵故、この様な物は不要かとずっと思っておりました。でも、京に来てからの一様を見ると、時尾の存知あげるだけでも、何度も危ない目にあっております。我等には既に特殊な兜はございますが、他の鎧や普段の任務で身に付けるような普通の武具はありません。吉田様(漢升のこと)に相談しました所、筆談でこれらをお教え下さいました。そこで会津の義母が持たせてくれた珊瑚の簪や着物を売り、今まで永井様から頂いたご褒美を貯めてあったものを併せて、これを武具屋から贖ったのでございます。手甲は、何でも一様は突き技が得意故、必要なのだそうでございます。足甲は、新撰組の必殺技が足の脛切りなので、敵にそれを真似されるかもしれないとのことでございます。どうかお気を悪くされませんよう。」
一はそれを聞き、『どうしてこの娘はそこまで妻のある自分を案じてくれるのだろう。』といぶかしく思いながら、
「かたじけない、時尾殿。」
と思わず言ってしまったのである。時尾はそれを聞き、顔を輝かせたのだった。
「一様、快く受けてくれてありがとうございます。私は留守居ばかりで、何とか皆様のお役に立とうと一生懸命考えたのです。本当に良かった。さっ一様、早く武具を身に付けて下さいませ。寸法が合っているか、確かめなくてはなりません。私が見立てましたから、寸法は合っているはずですが…。」
一は、『何故この娘は、私の寸法を知っているのだ?』と思いながら、武具を手に取って見に付けようとすると、背後の入り口の方から、突然声がしたのである。
「そんな所で仲睦まじくそんなことをしていると、やその無外流奥義四則神明剣が飛んでくるぞ。」
「母上。」
「お母様。」
と二人同時に叫ぶと、滅多に笑わないこうがにやにやしながらそれに答えたのだった。
「おやおや、いつからわたしゃ時尾の母親にもなったのかねえ。そんなことより、もうやそが戻って来る。一はその武具を片付け、時尾は勝手に下がるのだ。」
と、こうが言っている所へ、やそが部下達を連れて戻ってきたのである。
さらに十一日深夜、吉田道場から大目付の永井主水正の役宅に行く途中、近頃土佐藩士に復帰したばかりの坂本龍馬が夜の京の町を変装して二人で歩いている所を、木又と共に斎藤一はたまたま見かけたのだった。そこで彼らは密かにその後を付けると、驚いたことに自分達の目的地と同じ大目付の役宅に辿り着いたのである。すると隣にいた者が、門番の永井十訣の勝蔵と漢升の二人にこう告げていたのであった。
「夜分遅く済まぬ。拙者は土佐藩の大監察後藤象二郎と申す。大目付様にお取次ぎ願いたい。」
と声を掛けると、勝蔵と漢升もさすがに驚き、足の不自由な勝蔵に漢升が肩を貸して、二人で急いで永井へと取り継いだのだった。斎藤はそれを聞き、木又と共に永井の寝所に忍び込むと、驚いて飛び起きた永井の耳元にそのことを告げようとすると、それと同時に二人が寝所に現れ、漢升は口が利けぬので勝蔵一人で後藤の突然の来訪をたどたどしく告げたのだった。
「斎藤、お前が告げんとしたのもこのことなのか。」
「御意。お会いになりますか。」
と斎藤がすかさず答えると、永井もすぐにこう答えたのである。
「会おう。こんな夜更けに土佐藩の大監察がわざわざお越しになったのだ。余程の密談なのだろう。斎藤、お主はわしの側にいて一緒にお会いしてくれ。そしてその会談中、後藤殿とそのお付きの者の心底を探ってくれ、良いな。おい、吉田(漢升の本名)、後藤殿とお付きの方を、ここへ丁重にお通しするのだ。」
漢升が畏まって下がると、間もなく一度締められた障子がもう一度左右に開き、土佐藩大監察の後藤象二郎と見知らぬ男(斎藤が付けていた坂本龍馬)が正座してお辞儀していたのだった。障子の左右には、漢升と勝蔵の陰が微かに見えたのである。
「夜分遅く失礼致す。」
「ほう、これは後藤殿。私的にお会いするのはこれが初めてじゃな。さっさ、寝間着姿で失礼するが、部屋の中へ入られよ。ところでこんな夜更けに何用かな。また、そこな御仁はどなたでござる。」
と、横に斎藤を侍らせて、安心しきって話を始めたのだった。お付きの者と共に一礼して部屋の中に入った後藤は、永井の問に対し、一つ咳払いをしてから答えたのである。
「そのことでござる。ここに控えしは、土佐藩士にして海援隊の坂本龍馬と申す者。御存知でいらっしゃいましょうか。」
「ふむ、名だけは存じておる。何やら影で動き回って、一介の土佐藩士でありながらいろは丸の沈没事故の補償談判において、大藩の紀州藩をやり込め、薩長同盟を調停し、この度の大政奉還を成し遂げた陰の功労者だとか噂されている者じゃろう。まったくあの大政奉還の折には、上様(徳川慶喜)にそれを言上するのがわしの役目で、あの時は本当に身の縮む想いであったのだぞ。」
と永井が答えると、後藤の傍らにいた者は、いつのまにか頭を上げていて、初対面の永井に対し、何の遠慮も無くこう言ったのであった。
作品名:永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記) 作家名:斎藤豊