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永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)

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「くどいぞ、一(はじめ)。無外流最終奥義『万法帰一刀』は、究極の返し技と申したであろう。それが本当に『万法帰一刀』であるかを判断するには、防御不能と言われる無外流奥義の一つ『獅子王剣』で打ち込み、これを破れるかどうかを見るしかないのだ。その為には、奥義の九つまで会得した剣士同士が立ち合うしかない。お主は齢十六(数え)にして奥義の九つまでを会得する程の天分の才がある。既に『万法帰一刀』も身についていよう。後は一度で良い、それを使ってみるだけなのだ。それが分らぬお前でもあるまい。」
 そう言われると、一と呼ばれた若侍は、
「しかし」
と呟き、その後の言葉を続けることが出来なかった。
「では参るぞ。」
と平兵衛が一言言うと、手にしていた刀が急にぶるぶると震えだし、信じられぬことに刀身が膨張を初め、鬼の持つ金棒のように太くなったのである。それに対し一(はじめ)は、一応正眼に構えてはいるのだが、腕を初めとする全身が弛緩し、へなへなとしたへっぴり腰のように見えたのだった。それを見て、お芳はこう言ったのである。
「ありゃりゃ姫様、あれでは一(はじめ)とかいう方、斬られておしまいになりますよ。まだ荷が重かったのではありませんか。昨年元服の儀を済ませたばかりなのでございましょう?」
 それに対し姫は、二人の侍から目を離さぬままこう言ったのだった。
「いや、あれで良いのだ。剛の獅子王剣に対し、柔の万法帰一刀。見逃すでないぞ。二度と見れぬかもしれぬものが、たった今見られるのだ。我が加納藩百年の宿願が今実らんとしている。」
そして今斎藤は、静かにこう呟いたのである。
「無外真伝剣法十訣の内初則、獅子王剣。」
 しかし、その時予期せぬ出来事が起こった。斎藤の呟きが終わる直前に、あろうことか一(はじめ)の方が先に動いたのである。これでは返し技の会得には結びつかない。一(はじめ)は左腕のみで刀をつかみ、まるでフェンシングのように突いたのである。獅子王剣とは、正眼に構えたまま得物に「気」を溜め、刀身が金棒のように膨れ上がったように見えるまでになったら、そのまま踏み込んで、相手の刀を気の力で吹き飛ばして決める恐怖の技であったのだ。が、あらかじめそれが来ると分かっていたなら、距離を取っても良いし、また相手に突きを合わせるなりすれば、気の力で目に見えぬ程の速さで移動している獅子王剣の使い手は、よけることも出来ないのである。それを知りながら斎藤が予告をしたのは、これがあくまで「万法帰一刀」の会得の為の仕儀で、相手が先手を打つなどとは思いもよらぬことだったのではあるまいか。
 ところが、その刹那、事態はさらに意外なる展開を見せるのである。飛び込んでくると思われた斎藤は、一歩踏み出しただけで前に飛ばず、正眼から上段に刀を振り上げながら逆に飛び込んでくる一(はじめ)の左側に飛んだのであった。そして飛び込んできた一(はじめ)を横から斬ろうとしたのである。もちろん、気の力はいまだそのまま保っていた。いざ斎藤が一(はじめ)を斬ろうとした瞬間、彼が斬るはずであったものの姿は彼の前に無く、そのわずか一歩手前で踏みとどまっていたのである。驚いたことに、一(はじめ)もまた斎藤の横っ飛びを読んでいたのである。斎藤はその時、刀の刃を左側に寝かせて突かれた平突きの剣が、自らの胴へ入っていく瞬間を見たのであった。
「お見事。」
と斎藤は言おうとしたがそれは敵わず、彼の身体は上下二つに分断され、上半身は横っ跳びの勢いのまま少し向こう側まで飛んで行き、下半身はその場にどさりと落ちたのである。左腕一本で人の身体を分断するとは、その力ははかり知れぬものと言えよう。斎藤を切り捨てた一(はじめ)は、刀を鞘におさめることもせずほおり出すと、
「父上。」
と一言叫び、無残にも半分となった斎藤の身体に取すがったのである。それを聞いたお芳は、姫にこう尋ねたのだった。
「やそ様、一(はじめ)様は斎藤様が実のお父上であることをご存知だったのですか?」
 それに対し、彼女はこう答えたのである。
「いやそうではない。一(はじめ)様は立ち合う寸前までそれを知らなかったはずだ。無外流奥義万法帰一刀とは、相手の意を読み、瞬時にその返し技を無意識の内に判断する技。そしてそれは、相手との命のやり取りをして初めて会得できるとされている。一(はじめ)様が斎藤殿を実の父上であることを知ることが出来たのは、まさに万法帰一刀を会得した証しと言えよう。ん? 一(はじめ)様の様子がおかしい。芳、こう、参るぞ。」
と言うが早いかやそ姫は飛び出し、芳とこうもまた、
「はっ」
と短く返事をしながらそれに続いたのだった。
 一(はじめ)は、刀さえ鞘に納めぬまま既にその場に両手を地面につき、足は正坐の形で蹲っていた。やそが彼の両肩をつかみ、強く揺らしたが、その眼は虚ろで、開いてはいたが、何も見ていなかった。それを見てやそは、珍しく慌てた声でこう言ったのである。
「聞いていた通りの症状が出ている。一刻の猶予もならぬ。芳、こう、後の事は頼む。私は今すぐ彼の中に潜って、彼の心を取り戻してくる。」
 芳とこうが頷くと、やそは虚ろな一(はじめ)の瞳を覗き込んだかと思うと、そのまま固まってしまったのだった。人の気配に気づいて芳とこうが振り向くと、数人の男達が近づいてきて、その内三人が芳とこうとやその所に近づき、後の数人は斎藤の死骸を片づけ始めたのである。一人は頭巾を被り、口元を覆って顔を隠していたのだった。それにも拘らず近づいてきた三人を見て、芳は迷わずこう言ったのである。
「近江守様、山口様、義父(ちち)上。」
 山口近江守直邦(旗本)、山口祐助(一の養父)、川井亀太郎(刀工・芳の預かり親)、いずれも永井三十忍の者がそこには立っていたのだった。最初に口火を切ったのは、刀鍛冶にしては眼つきの鋭い職人の出で立ちをした片目の老人の川合久幸である。
「次第は見ていた。して一(はじめ)殿のご様子はいかがだ。」
 川井が話し終わらぬ内に、祐助は一(はじめ)の所へ駆け寄り、低い声で力強くこう言ったのだった。
「一(はじめ)、どうした。しっかりせい。」
 それに対し芳は、祐助を彼から引き離しながらこう言ったのである。
「いけません、山口様、お忘れですか。一(はじめ)は長年の死人(しびと)の鍛練に加えて、たった今人の意を読む『万法帰一刀』を会得されたため、斎藤様が実の父上であることを知ると共に斬らねばならなかった驚きにて、心を閉ざしてお仕舞いなのです。確か以前にもこのようなことになり、その時はついにその方は帰ってこなかったそうですが、この度は姫様がいらっしゃいます。幼き時より読心術をお持ちになっていらっしゃる姫様をわざわざ加納からお呼びになられたのは、この時の為なのでしょう。姫様なら、必ず一(はじめ)様の心をお開きになれると存じます。」
「それでどれ位の時がかかりそうなのじゃ。」
 頭巾の口元の布を外し、近江守がこう訪ねたのだ。現れた顔は、狐のような顔の輪郭と眼を持つ、世にも恐ろしいものである。芳はそれにひるむことなく、こう答えたのであった。
「それはいつともお答えできません。」
 続いて近江守がこう答えたのである。