永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)
と静かに断りながら、背中から心臓目がけてそれを突き刺したのである。氷の如く冷静な斉藤の刺した御倉は一言も言わずに息絶えたが、隊士の林の刺した荒木田はまだ息があり、自分も刀を抜いて抵抗しようとした。しかし斉藤は御倉を刺した刀ですばやく荒木田にも斬りつけ、その喉元を斬り裂き、息絶えさせたのである。一方待合室の越後三郎と松井龍次郎に斉藤が御倉を刺した気合いの声と同時に、沖田と藤堂が襲い掛かったのだったが、二人は最初から逃げ腰だったので、取り逃がしてしまったのだった。さらに隊士室にいた楠小十郎と松永主計(かずえ)は、騒ぎが始まるとすぐに逃げ出し、見張っていた原田は、槍を投げて楠は討ち果たしたが、松永には逃げられてしまったのである。逃亡した越後三郎と松井龍次郎、松永主計の三人は、京の長州藩邸に逃げ込んだのだった。そこに待っていた桂小五郎と村田蔵六の二人は、逃げてきた間者に事の顛末を聞くことにしたのである。
「ずいぶんはやばやと見抜かれたものだな、君達。一体どういうことなのかね。何か言うことがあるなら、言ってみたまえ。」
三人の内越後は、代表してこのように言ったのだった。
「どうして分かったのか、新見さんのことと言い、全く見当もつきませぬ。敵はどうやら、もっと前から我らの動きを探っていたようで、縁側と待合室で襲われた四人は、新見さん同様既に確証を掴まれていたようです。我ら二人は、確証が無いだけで、今回の粛清には数に入っていなかったようなのですが、間者であることは知られていた模様です。重ねて申し上げますが、一体どのような手段を使って、新見さんを含めた我ら全員の正体を掴んでいたのか、全く見当も付きませぬ。隊士募集の折には、あんなにすんなりと入れたのに、一体いつから怪しまれていたと云うのでありましょう。それにしてもあの我らと同時に入隊した斉藤と言う男、並々ならぬ腕と見ました。他の隊長や隊員が我らの始末に手間取っている間、彼奴は自分の獲物を仕留めて、余裕で仲間の粛清も手助けしており申した。新人でありながら、局長の近藤や副長の土方の信頼も厚く、どうやらただ者ではござらんようです。以前、村田さんから聞いた斉藤一の風貌とその男のそれは完全に一致致します。そればかりか、永井十訣の一人の木又と云うものが、一の側に従者として常におりますから、まず同一人物で間違い無かろうかと存知ます。」
この報告を聞き、桂は、
「うーんあの斉藤なら、中島三郎助先生に聞いた話では、読心術が使えるはずだ。こりゃいくら間者を送っても、皆知れてしまうぞ。どうする、村田君。」
と言うと、村田はそれに対し自分の意見を述べたのである。
「桂さん、とにかくこれで我らの放った間者七人全員が早々に駄目になってしまいました。このまま同じ手を使っても同じ結果となりましょう。しかし、以前出会った斉藤一が新撰組に入隊したことは突きとめられました。後は奴の弱点を探るべきかと思います。」
二人の心の中に、まず永井十訣をどのように始末すべきか、この時から深く考えるようになってしまったわけなのだった。
ところで当時永井主水正尚志は辞表を提出していたが、それは受理されず、彼は壬生の一角に屋敷を借り、処分保留のまま自主謹慎の日々を送っていたのである。そこに家族も呼び寄せ、養子の岩之丞の剣の師として近藤局長自らが呼ばれたのだった。この時期、そんなことをしている余裕が、両者にはあったのである。
そんな年も差し迫ったある日、江戸から一橋
慶喜公が将軍家茂の先駆けとして上洛し、そのお供で神農のお芳と、何故だか分らぬが江戸の大奥にいるはずの天通眼の藤田こと幾島が吉田道場に尋ねてきたのだった。芳は幾島に先駆けて、道場の入り口でこう叫んだのである。
「頼もう、頼もう。神農のお芳と幾島様がお着きであるぞ。誰かおらぬか。」
すると、たまたま掃除をしていた時尾が取次に出て、まず懐かしい二人と再会したのであった。
「あらお芳様と幾島様ではございませんか。お久しゅうございます。はるばる江戸からお越しとは、どうしたのでございますか。」
これに対しお芳は、相変わらず元気一杯にこう答えたのである。
「時尾さん、こんにちわー。久し振りです。あたいは慶喜様のお供で上洛したんです。何しろあの人あたいと一時も離れたくないなんて仰って。それから幾島様は…。」
するとそれまで後ろに控えていた顔に大きな瘤のある老女は、前にずいと出て、こう話を遮ったのだった。
「えーい、お芳。私にも少しはしゃべらせろ。おや、やそ姫も出てきたね。久し振りじゃ。」
「お婆様、お久しゅうございます。お芳のことは今聞きましたが、お婆様は大奥のことはどうされたのですか。」
慌てて出てきたやそに続いて、他の永井十訣の面々も、道場の入り口に集まって来たのである。
「おおう、やそも皆も久しいな。実はな。随分前に井伊の味方をした篤姫様とは仲違をしておってな。最近大奥には居辛くなっておったのだ。そんな時芳が上洛すると言うので、江戸のことは川井亀太郎一人に任せて来てしまったのじゃ。私は取りあえず近衛家にも戻り辛いので、ここで厄介になることとした。これから宜しゅう頼みますぞ。」
再び芳がしゃしやり出て、こう述べたのだった。
「あたいの父ちゃん(新門辰五郎)が、会津の小鉄って仲間と自分の家を京に作って慶喜様にいつでも御役に立てるようするんだって、張り切ってるんだ。その家が出来るまで、ここを使わせておくれよ。慶喜様の所でも良いんだけど、あの男(ひと)しつこくてさ。仕事なんかできゃしないんだ。頼むよ、お願いだからさ。寝床は皆と雑魚寝でいいから。」
「よし、それじゃ今夜は二人の歓迎会だ。時尾ちゃん、頼むぜ。それと一様の酒もたっぷりとね。」
と木又がこう言うと、時尾は耳まで赤くしながら、
「あいよー。」
と武家娘とも思えぬ言葉で答え、一同は再び明るく笑ったのである。何時もは無表情のやそと一もうっすらと笑みを浮かべて笑っていたのだった。
第五場伊東甲子太郎
年号が変わって斎藤一が副長助勤を拝命し、名実ともに土方の補佐に務めることとなった元治元年六月の五日のこと、新撰組の名を全国に轟かせた池田屋事変が起こり、桂や村田を始めとする長州人は、深く彼らを憎むようになったのである。それで、その守りの要とも言うべき斉藤一を始めとする永井十訣を粉砕すべく、村田蔵六の頭脳は目まぐるしく動き始めたのだった。もっとも肝心の斉藤一は池田屋事変の時、副長土方歳三の身辺警護をしており、肝心な時何一つ活躍できなかったので、まことに歴史の皮肉と言う他は無かったのである。同僚の沖田や永倉や藤堂はそれぞれ活躍し、新撰組にその人有り、と名を挙げたが、斉藤や原田の名は逆に誰も知らない結果となってしまったのだった。
この頃斉藤は、腐った原田を慰めるため、永倉に誘われて良く飲みに突き合わされたので、原田ともごく親しい間柄となっていたのである。もっとも、斉藤は相変わらず酒の席でも正座して黙って飲んでいるだけなのではあったが…。
作品名:永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記) 作家名:斎藤豊