永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)
そうやそに促されても、一は黙って頭を下げただけで、一言も発しなかったのである。やそがやきもきしているさまを、漢昇や勝蔵、木又までもが何時の間にやら集まっていて、この様子を見ながらにやにやしていた。ただこうだけは、やそ同様心配そうな顔をしてこの成り行きを見守っていたのである。
「一殿、しっかり挨拶して下され。」
とやそがたまらず言うと、見兼ねた手代木が、こう言ったのだった。
「いやいややそ殿、斉藤殿がこう言う方であることは、佐川殿から聞き及んでおりますし、先だっての御前試合でも承知してござる。気にしないで下され。それよりこの場のことだが、町奉行の手の者であるお主達がいるのはちょうど良い。実は拙者がここに来たのは、殿からの御意を伝えんがためなのでござる。実は殿は、この件にこれ以上守護職が関われば、薩摩藩との関係悪化は避けられぬものと見て、兵力は割くが、下手人捕縛後は、その者は浪人者として奉行所で取り調べて欲しいとのご内意なのだ。取り方の者はそちらの手伝いに残す故、捕縛した三名は、このまま奉行所の方で引き取ってもらいたい。お願い致す。」
それを聞いたやそは、内心こう思っていたのである。『成程、京都守護職の公用方が捕らえる前に下手人を我らに捕縛させたのは、こういう意味があったのか。』と納得し、手代木の取り方の上方仙吉らを借りて、そのまま捕縛した三名と共に京町奉行所に向かったのだった。
夜半ではあったが、待っていた永井は、やそと一のみで連れてきた田中新兵衛の取り調べを行うこととなったのである。奉行所の取り調べのための土間に一の手で座らせされ、取り調べ用の一段高くなった所に京東町奉行の永井主水正尚志が尋問の為に控えていた。永井は余計な話をせずに、さっそく尋問を始めたのである。
「その方、薩摩藩浪人田中新兵衛に相違ござらぬか。」
それを聞くか聞かないかの間に、田中は後ろ手に縛られたまま、奉行にこう言って食ってかかったのだった。
「何が浪人だ。拙者は歴(れっき)とした薩摩藩士でござる。町奉行ごときに取り調べられる謂われは無いわ。」
永井は少しも慌てず、それに対しこう答えたのである。
「貴殿は元を正せば、薩摩の渡守であろう。町人にも及ばぬ賤しい身分でありながら、藩士とは片腹痛い。貴様如き人斬りは、この町奉行で十分よ。」
それを聞いた新兵衛は、肩を震わせて怒りを露わにして、こう言い返したのだった。
「な、何を言う。拙者が誰を斬ったとほざくのだ。」
「天下の人斬り新兵衛が往生際が悪いな。まあ、他の話はこの場は良い。姉小路様殺害の件、お主の仕業であろう。」
「何、何を証拠に。」
「この刀が動かぬ証拠。この現場に落ちていた奥和泉守忠重はお主の佩刀に相違なかろう。」
と言って証拠の刀を、主水正は持ち出した。新兵衛はその刀を見て顔色が変わり、震える声で静かにこう言ったのである。
「そっその刀を拙者の手に取って、良く見せて下さらんか。」
それを聞いた主水正は、こう答えたのだった。
「そうか、観念されたか。一(はじめ)、新兵衛殿の縄を解くのだ。」
この命にやそはさすがに仰天し、すかさずこう叫んだのだった。
「いけません。」
それに対し、主水正は笑いながらこう諭したのである。
「あぁは言ったが、新兵衛殿は一角(ひとかど)の侍だ。この後に及んで手向かい等すまい。」
「いかにも。拙者には最早手向かいする気などござらん。御安心召されえ。」
と新兵衛が請け負ったので、やそ姫は一の方を向いて頷くと、仕方なく新兵衛の縄を解いたのだった。主水正はそれを見届けると、刀を彼に差し出したのである。
「父上、それはやり過ぎでは…。」
とやそが再度制しても、
「良い。良い。」
と主水正は取り合わず、刀をそのまま新兵衛に渡してしまった。新兵衛は受け取ると、しばらくそれをしけしげと見ていたかと思うと、突然斉藤の脳裏に、次のような声が鳴り響いたのである。
『おのれ、俺は見捨てられた。こうなったらこの奉行を腹いせに道連れにしてやる。』
その声を一が聞いた途端、新兵衛は主水正から受け取った刀を抜いて立ち上がり、刀を振りかぶったのだ。
「きぇー。」
と新兵衛が奇声を挙げた瞬間、傍らにいた斉藤一が脇差を抜き、新兵衛の心の蔵を冷静に過たず刺し貫いていたのである。新兵衛は刀を振り上げたまま、人声ももらさず絶命したのだった。その一部始終を間近で見ていた主水正は腰を抜かすでもなく、静かに一を労ったのである。
「一、忝い。お陰で命拾いした。」
すると傍らにいたやそが、もう一度主水正を窘めたのだった。
「父上、これに懲りられたら、二度と同じ真似をなさいますな。ところで、大事な生き証人を殺してしまいましたが、宜しかったのでしょうか?」
主水正は頭を掻きながら、こう言い訳したのである。
「まあ、死んでしまった者は仕方あるまい。第一、あの状況ではあぁしなければ、新兵衛の薬丸示現流を止める術は無かったろう。それに、こ奴はこれまで幾つもの天誅に関わっておる。生きておっても死罪は免れまい。この度の暗殺の黒幕は分からなくなってしまったが、どうせこ奴が生きておっても、口を割ったりはしまいがの。」
やそは父主水正の言い訳をあきれ返って聞いていたが、さらにこう続けたのだ。
「しかし父上、取り調べ中に下手人に刃(やいば)を渡したことは隠せましょうが、死なせてしまったことは動かし難い事実にございます。どうなさるのでございましょう?」
主水正は新兵衛の遺体が片付けられるのを横目で見ながら、最期にこう言ったのである。
「うむ、私の下手な言い訳を、上の者は信じてはもらえようが、それではわしの気が済まぬ。わしは頃合いを見てお役御免を申し出る。しかしそうすると、気になるのはお主達十訣の処遇だ。斉藤は今後浪士組に合流し、わしと奴らとの繋ぎとなってくれ。わしは奉行所を退いた後は、浪士組の有る壬生辺りの屋敷を買い込み、主らを直接指揮することとしよう。良いか、後の者は道場に戻ってわしからの知らせを待っておれ。」
「承知。」
自らのことよりも自分達のことをまず案じてくれる主水正の言葉に軽い感動を覚えながら、やそと一は平伏したのだった。
第四場粛清
その年の六月三日、近藤を抜かした斎藤達壬生浪士組は、勤王浪士達を取り締まるため、芹沢と土方を先頭に大阪に出張したのだった。その日も暑い一日で、芹沢の提案で船涼みをすることとなったのである。この時斎藤は、暑くて生水を飲み過ぎ、船の上で下痢を催してしまったのだった。前から胃弱ではあったのだが、『死人暗示』のせいで我慢できたのが災いして、こんな所で不始末となってしまったのである。苦しくは無くとも、便意は他人に迷惑が掛かるので、芹沢に申し出ると、
「それは仕方がござらん。出物腫物、所嫌わずと申すでな。舟を岸に戻そう。」
作品名:永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記) 作家名:斎藤豊