永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)
「鼻が高かったのはお手前ばかりではござらぬぞ。貴殿らを推薦したこの手代木も同じ事。さっさ、永倉殿、斉藤殿、どんどんやって下され。」
すると周りで飲んでいた沖田もこう言ったのである。
「あーあ。永倉さんと斉藤さんがあんまり凄い試合をするもんだから。後で試合した私らが霞むこと、霞むこと。やってられませんよ。何しろ、私ら自身が感動しちまったんですから。」
斉藤は例によって黙って盃を重ねていたが、永倉は一の分も話しているかの様に饒舌だった。
「皆の衆は二人を平等に讃えて下さるが、当事者の一人として言わせて頂ければ、あれは斉藤君の剣が素晴らしかったに過ぎん。見ろ、わしは斉藤君の剛剣と合い交えたために、未だに両手の震えが止まらんのに、斉藤君は何事も無かったかのようにもう平然としている。全く彼奴が敵で無くて本当に良かった。この永倉、生まれて初めて恐ろしい思いをし申した。斉藤君の剣こそ、無敵の剣と言えよう。」
すると、遠慮してあまり今まで話さなかった藤堂が、酔った勢いでこう話し掛けてきたのである。
「斉藤さんの剣が無敵なら、沖田さんの剣はなんですか?」
永倉はそう聞かれて、小首を傾げてから盃を
一気に飲み干すと、こう答えたのだった。
「そうだな。沖田君のそれは、剛の剣だな。練習でも本番の時でも少しも手を抜かん。おい、沖田。お前の相手は皆嫌がって、相手は俺と斉藤と藤堂と山南さんしかおらんことは自覚しておるのか。なあ、原田。」
珍しく大人しく飲んでいた原田は、突然指名されて仕方なく話に加わったのである。
「いや別に、拙者は稽古の時沖田君を避けている訳では無い。ただ、拙者の専門は槍ゆえ、沖田君に責め立てられたら、防ぎようが無いのだ。」
「それを世間では避けていると言うんですよ、原田君。かく言う僕も、今日は沖田君と組まされて冷や汗が出たよ。何とか時間一杯さばくことはできたが、あれは沖田君が手加減してくれたからだろう。原田君もそんなに自分を卑下せずに、自分は槍の名人なんだ、剣は専門外だ、と思いたまえ。」
と山南も、珍しく上機嫌で会話に加わってきたのだった。宴は夜半近くまで続き、経験したことの無い暖かな雰囲気に、一は軽い眩暈を覚える程であったのである。これまで仲間と言えば永井十訣の者だけであったが、彼らは友人と云うより同僚に過ぎず、やそとは確かに一心同体だが、気のおけぬ仲間と云うわけでは無かった。一は普通の感情でさえ満足とは言えない状態であるにも関わらず、友情と云う熱い感情をいきなり示されて、戸惑うばかりなのである。その後、一同は前後不覚に成る程飲んだのだった。
宴の途中、共に憚りに立った土方と斉藤は、二人並んで立つと、珍しく斉藤の方から話しかけてきたのである。
「副長。」
酒に弱い土方は既に相当酔っていたが、斉藤に声を掛けられた途端、妙にはっきりした声で答えたのだった。
「何でえ斉藤、お前さんから話しかけてくるたあ、余程のことだな。」
「副長、以前依頼されていた件ですが、隊員の心を全員探りましたところ、御倉伊勢武、荒木田佐馬之助、越後三郎、松井龍次郎、楠小十郎、松永主計(かずえ)の六名が長州の間者のようです。どうか御調べ下さい。」
「分かった。監察に言っとこう。それにしても、本当に便利な力だな。」
第三場姉小路
永井主水正尚志が京東町奉行となってから、その下で永井十訣の七名は密かに働いていたが、間もなくとんでもないことが起きたのである。それは松平容保が京都守護職に就任した後の文久三年五月二十日午後十時頃、勤王派であったが、先頃開国派に変わったばかりの公家国事参政姉小路公知(きんとも)公が、京の朔平門外の巽の角、通称猿ヶ辻に差し掛かった時に刺客三人に襲われ、命を落とすと云う事件が起こったのだ。世に言う朔平門外の変、あるいは猿ヶ辻の変である。永井十訣の面々も小頭のやその指揮の元、早速探索に取り掛かったのだが、奉行所の調べによると、薩摩の人斬り田中新兵衛の佩刀奥和泉守忠重が現場に落ちていて、柄や柄頭・縁・鍔の特徴から、同人所有の物であることは歴然としていた。やそ達の役目は、下手人と思しき田中新兵衛なる者の居所を突き止め、人斬りとして有名な彼を無事に捕縛することであった。だが間もなく、薩摩藩邸を京都守護職の方で見張る内に仁礼源之丞(にれげんのじょう)宅に同人がいることが尽きとめられたのである。事件二日後の二二日、京のあちらこちらに咲く桜の花が散り始めた頃、この事実が奉行所に伝えられると、永井十訣の面々も奉行所の使者に呼び出されたのだった。やそ姫は高木時尾を使って八木邸に赴かせ、壬生浪士組の伍長斉藤一を至急呼びにやらせ、聞き間違いが無いように残りの者全員で大至急奉行所に向かったのである。奉行所では、待ち兼ねていた永井京東町奉行は、一同にこう告げたのだった。
「直ちに出動し、京都守護職の公用方が行く前に田中新兵衛を無傷で捕らえるべし。」
一方時尾からの知らせを受けた斉藤一は、隠れ家の太子流吉田道場に木又と時尾と共に早速到着したのである。隠れ家に着いてみると、まだ誰も帰っておらず、そこには一と木又と時尾の三人だけであった。時尾はすぐさま台所に行くと、二人にこう告げたのだった。
「一様、木又、皆が帰ってくるまでに食事を済ませてしまいましょう。どんな任務であろうと、腹が減っては戦は出来ぬと申しますからね。」
一と木又が席に着くと、手際良く三人分の食事が運ばれてきたのである。一と木又はその様子に目を丸くしながら、箸を取って食べ始めたのだった。木又は一口飯を口にした途端、
「うめー。おいら朝から何も食ってねえからたまんねえな。それに時尾ちゃんは手際は良いし、味は良いし、完璧だね。確かお武家様の娘だったはずなのに、どこでこんなことを覚えたんですか?」
時尾は少し顔を紅潮させて、こう答えたのだった。
「いやですよ。私は私生児で、幼い頃は苦労したので、何でもやらされたのです。それに養女となってからも、金髪の色は黒く染めて誤魔化せますが、容姿は偉人のようでどうしようもありません。嫁にもいけぬだろうから、一人で生きていけるように何でも仕込まれたのです。さっ、一様、お酒ばかりでは精が付きませんよ。たんと食べて下さい。」
「嫁に行けぬ等と云うことは無かろう。」
とその時、珍しく一が軽口を叩いたのである。すると、飯のお代りを茶碗に入れながら、思わず時尾の眼に涙が一筋こぼれてしまつていたのだった。時尾はそれを拭いながら、照れながら一にこう言い返したのだった。
「いやですよ、一様。おからかいになっちゃ。私は殿方にそんなこと言われたこと無いものだから、思わずこんなものが出ちまったじゃないですか。第一、一様にはやそ姫様と云う奥様がいらっしゃるでしょ。御自分の言葉に責任が持てないことを言うもんじゃありませんよ。」
その時一の頭の中には、時尾の切ない想いが鳴り響いていた。
『あぁ、私は奥様のいらっしゃる方を好いてしまいそうだ。いけない。』
その時、木又が唐突に口を開いたのである。
作品名:永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記) 作家名:斎藤豊