永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)
見ると、幾島は村山たかと相対していた。たかは懐剣を片手に持ち、油断なく幾島をにらみつけたのである。幾島はやおら自分の顔につけた瘤をむしり取ると、相手に投げつけたのだった。投げられたこぶは地面にあたって派手な音と煙をあげて爆発し、それを避けたたかに幾島必殺の弾球が放たれたが、たかもまた同時に手にしていた懐剣を投げつけていたのである。しかし、たかの懐剣は途中で急に失速し、相手に届く前に地に落ちてしまった一方、弾球の方は目にもとまらぬ速さとなり、たかの手足に命中して、彼女の動きを完全に封じたのだった。
恋人のたかのピンチに駆けつけようとした長野主膳の前に立ちはだかったのは斎藤一である。主膳は自信たっぷりに彼を睨みつけると、こう言い放ったのだった。
「くせ者。我が目を見よ。」
長野の得意は、一瞬にして相手を意のままにする暗示であったのである。しかし、一(はじめ)は死人(しびと)だったので、そう言った類の技を一切受け付けないのだ。敵としては最悪の相性の者と、長野はぶつかってしまったのである。一(はじめ)は長野の目を見つめたままスタスタ近づいてくる。自分の技に絶対の自信を持っていた彼は、それがまったく通じないことに気付くのに一瞬遅れたのである。
「こ奴、暗示が効かぬのか。」
長野がこう叫んですばやく後ろに飛び退り、手にしていた鞭で反撃しようとしたが既に遅かったのだ。後ろへ飛びのいた長野にぴったり張り付いて飛び上がった一(はじめ)は、素早く左手の長い剣の峰で、鞭を持つ長野の手をしたたかに打った。既にそれを振り上げていたので、鞭は彼の手を離れて飛び去ってしまったのである。長野はすかさず脇差を取ろうとしたが、無論その間もなく、一(はじめ)の右腕に持たれた脇差の峰が、長野の腹を打ったのである。長野は、
「うっ」
とうめき声を発し、そのまま気絶したのだった。
一同それぞれ何らかの方法で、捕らえた者を担ぎあげて、怪我人とそれを介抱する者のいる所へ集結したのである。木又は、主を失った「蝦夷の黒駒」に文吉を乗せてやってきたのだ。おこうは、豪気にも、島田左近を自分の肩に担いで運んできたのである。幾島は、やその指令でやってきた漢升に、村山たかを担いでもらっていた。そのやそは、気絶した多田帯刀を背負ってやってきていたのである。一(はじめ)は、長野を抱き抱えて歩いてきたのだった。皆捕虜をその場に降ろすと、時尾の手元を覗き込んだのである。
「どうだ、時尾、あとどれだけ動かせぬのだ?」
時尾は、気を失ってしまっている勝蔵の方を見たままこう答えたのだった。
「今動かせば手は正しく付きませぬ。あと四半時は必要でございましょう。」
「そうか。」
と答えてやそは考え込んでしまったのである。やそは心の中でこう思っていたのだ。『勝蔵は既に片足が不自由だ。この上片腕を失えば、もはやお役には立てぬこととなる。そうなれば、彼が自ら死を選ぶことは明らか。ここは何としても動くわけにはいかぬが、こうしている間にも、多賀大社の他の者が駆けつけよう。計画では、捕虜を捉えたらすぐに引くはずであった。看護している時尾と気を失っている勝蔵、そして捕虜達を抱えたまま、この人数で多数に囲まれたら何としよう。たとえ敵を撃退できたとしても、二人の身に何が起きるか保証出来ぬ。』
とやそはそう考えながら、木又にこう命じたのだった。
「木又よ。黒駒に乗って、戸板を見つけて運んできてはくれまいか。」
「承知」
と木又が馬に乗って走り去ってしばらくすると、五十あまりの提灯が近づいてきて、すぐに彼らを囲んでしまったのである。どうやら新手の坊人らしい。しかし驚いたことに、そのリーダーらしき男に向かって、やそが大声で話しかけたのであった。
「そこにおわすは尊勝院主、尊賀少僧都様ではござりませんか。」
「いかにも拙僧がたかの実の父、尊賀じゃが、曲者が我が名を呼ばわるとは面妖な。」
「たか様始め長野主膳様達は、ここに捕えてありまする。我らに手を出せば、この者達はただでは済みませぬぞ。また、ただ今般若院の方々のご最後はご覧になられたはず。我らと本気でやりあえば、皆様方も同じ道をたどりますぞ。」
「これはこれは結構なご口上じゃ。だがこちらとしても、五十人近くの坊人を討たれ、また今生きるといえども、その囚われ人もまた、そちらに連れ去られれば命無きものと心得ておる。ここはたとえ敵わずとも、にっくき敵ばらに一太刀浴びせるのが唯一の願いじゃ。いざ覚悟せい。」
尊賀の言葉にやそが返事をしようとしたその時、突然暗闇から鉄砲の音が無数に起こり、坊人達がバタバタと倒れだしたのである。残った者が武器を抜くと、続いて暗闇から、やそ達とは違って簡単に覆面をしただけの者達が三十名ほど現れ、たちまちにして尊勝院の坊人どもを全滅させてしまったのだ。
あらかた片がつくと、三十名の最後の方にいた人物がこちらに近づいてきて、顔の覆面をはぎ取ってこう述べたのである。
「姫様、お久しゅうござる。中島三郎助と浦賀与力隊、推参いたしました。」
中島三郎助は、かつて講武場において一(はじめ)ややそと出会い、その時山口近江守から紹介されていたのだった。中島三郎助と言えば、あのペリーを相手に、浦賀において丁丁発止のやり取りを繰り広げた人物として名高いが、あの五稜郭の一戦においては、土方歳三と共に永井尚志の両翼を担って活躍したことでも知られている。
「ほんに中島殿、お久しぶりです。一瞥以来ですね。ところで今日はどなたの命でご加勢いただいたのですか? 正直大変助かりました。」
それを聞き、少し中島は照れて頭をかきながらこう言ったのである。
「いやそれがの。お主らを送りだした後、あの近江守がじきじきわしの所へやってきて、どうせわしは咸臨丸に乗りそこなって暇だろうから、近江にお主らの加勢に行ってやれ、としつこいんじゃよ。わしは何度もお主らだけで大丈夫だと言ったんじゃがな。まったく変な奴じゃ。そうじゃ、あの時一緒にいた桂を今日も連れてきておる。あいつはわしの一番弟子でな。おい、桂、ちょっとこっちゃ来て姫様にご挨拶しろ。」
中島に呼ばれ、一人の者がこちらに近づいてきたが、何故かその後ろにもう一人の男も付いてきていたのだった。
「これは姫様、お懐かしゅうござる。ところで、ここにまかり越しは、先頃私が見出したる同郷の在野の才人にて、名を村田蔵六と申します。何とぞ御見知りおきを。」
と桂が紹介すると、男は覆面を脱ぎ、その下から異様に額の大きい異相を現わしたのである。
「村田蔵六てす。今日は桂先生が、世にも珍しきものをみせてやると言うので、足手まといを承知ながら付いてきてしまいました。何卒失礼の段、お許しのほどを。」
と丁寧に挨拶したのだが、やその側で事情を知る者はもうそれどころでは無かったのだった。
やそは心の中で、『この方が村田蔵六様。時尾の実の父上の…。』と思ったのである。皆一様に背中を向けたままの時尾を見つめていたのだった。一方時尾は、こう思っていたのである。
作品名:永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記) 作家名:斎藤豊