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永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)

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 猿(ましら)の文吉こと目明し文吉であるが、目明しは彼の仕事で、いわゆる今のお廻りさん、岡っ引きである。とはいうものの、彼は元々博徒であったと言うから、どういういきさつで正反対の職業に就くことと相成ったのかは不明である。島田左近に自分の娘「君香」を妾として差し出し、その部下におさまる。安政の大獄における捕縛を実際担当している。やはり年齢不詳だが、島田左近と同じ位ではなかったか。
 文吉は両腰にさしてあった十手の一つを左手で抜いたのだった。それは、普通の目明しの持つ十手よりも遥かに長くまた頑丈に作られており、その先も尖っていたのである。また左手には、その回りの研がれた金銭鋲が手の平の真ん中にあり、有名な銭形平次のそれとは違って、それが命中した相手はただですまないことを容易に想像させたのだった。
娘の君香は、忍装束で島田左近の横にはべっていたが、発言は何も無
かったのである。
「おぉそうか。頼もしき限りじゃな。」
すると、最前列の幹部席の端の方より、若い男の声が挙げられた。
「この多田帯刀もお忘れなきよう。」
 この美貌の若い男は、多田帯刀。年の頃は二十二、三。金閣寺の寺侍であったが、母である村山たかが、井伊直弼と長野主膳共通の恋人であると同時に、隠密として抜群の働きをしていたのである。多田は、懐からピカピカの短筒を取り出し、回りに見せびらかしていた。
「いかがでござる。飾りではござらんぞ。この日のために、高い実弾をふんだんに使って訓練を重ねてござった。百発百中でござる。しかも、もう一丁。」
 左手で、さらにもう一丁の短筒が懐から出され、長野はそれに目を向いたのである。
「これはすごい。これはだいぶ母上に集(たか)られましたな。」
と長野が言うと、多田の横に頭に頭巾をつけ、尼僧姿の母親、村山たかが軽くおじぎをしてこう言ったのだった。
「お恥ずかしゅうございます。」
 この女村山たか、付け加えると当時年齢は既に四十四。ここ多賀大社の尊勝院主、尊賀少僧都を父とし、同じく般若院住職の妹を母に持つ。世をはばかって同社寺侍の村山氏にあずけられたため、村山たかと称する。若い頃より井伊家に仕えたが、その後京で芸子となったこともあったのだ。金閣寺の僧との間に一子を設けたが、それがこの多田帯刀である。その後息子と共に井伊家に戻り、直弼と主膳と出会った、と言うわけなのだった。
 たかの傍らには、この般若院の主にして、彼女の母の兄に当たる慈尊が、修験僧姿をして、たかの様子を目を細めて見つめていたのである。                  「長野様、話は尽きねどそろそろ。」                        「おぉそうであった。ここにいる慈尊殿の手の者の報告によれば、いよいよ水戸藩士数名が脱藩。我が殿井伊直弼様を討つべく江戸を発ったそうだ。我らとしては、むざむざ殿を討たれるわけには無論いかん。ここは大至急ここを発ち、機先を制して水戸浪士どもを根絶やしにしてくれん。いざ各々がた、出達じゃ。」             
「おぉー。」
 多賀社の大きな提灯を二人の坊人を先頭に、慈尊がその後に続き、幹部達を中に挟んで出発したのだった。
(第十二場)多賀大社参道
 やや小降りになったとは言え、相変わらず降りしきる雪の中、やや積もり始めた雪の道をさくさくと踏みしめて、長野主膳一行総勢五十名以上が隊列を整えてしずしず進んでいたのである。しかし、一行が一分も進まぬ内に、突然前方の大鳥居の方がチカッと光ったかと思うと、雷のような光が轟音とともに一向の真ん中を押し通ったのだった。例え鍛え抜かれた防人の集団とは言え、ちょうど真ん中にいた十人程は即死し、かろうじて避けた者も無事で済んだ者は数える程だったのである。一同が態勢を整える間もなく、鉄砲の弾と矢がいくつも飛んできたのだった。さすがにこれによって死ぬ者は無かったが、手傷を負った者は数知れずであったのである。やっとそれが止んだかと思う間もなく、白く光る人間が二つ飛び込んできたのだった。その人影は飛び込んできた時、左右からこんな声が聞こえたのである。向かって左から、おこうは心の中で呟いたのだった。『行くよ、一。無外真伝剣法五則、』向かって右の一も心の中で、『はい、母上。虎乱入。』とやはり呟いたのである。
 無外流奥義の五則虎乱入は、一則獅子王剣、七則玉簾不断、九則相無剣の合わせ技となる。剣に「気」を溜めて攻撃力を増し、回りに「気」を張ってどこからでも対応出来るようにし、身体の皮膚を「気」によって硬くすることによって防御力を増すのである。欠点としては、膨大な「気」の力が必要になるので、並外れた「気功術」の持ち主でなければ不可能な技であることであった。
 おこうは双トンファー、一は両刀を持って、所構わず暴れ回り、あっと言う間に五、六人の者が打ち倒されたのである。二人は黒尽くめの忍者装束に、黒皮の上着を身につけていた。頭にはつばつきの野球帽のような兜をつけ、つばの部分には、ちょうどハンカチ大の黒いうす布が下げられ、顔が隠されていたのである。
 長野側がようやく反撃をしようとした途端、今度は真ん中から巨馬に跨った長槍の武者が飛び込んできた。ある者はその蹄にかけられ、またある者は武者の槍に突きふせられたのである。しかしさすがに鍛えられた坊人ども、仕込杖の白羽を抜き放つと、四人同時に飛びあがり、馬上の刺客に襲いかかったのだった。しかし、馬上の者が槍を一閃、ぐるりと丸く振り回すと、四人同時に吹き飛ばされたのである。ところが敵も然る者、馬上の者の態勢が整う間を与えず、さらに新手の四人が斬りかかってきたのだ。さすがのその男もそれに対応できず、四つの刃が、同時に彼の身体に横に突き刺さったのである。しかしその時、馬上の男、すなわち馬借の勝蔵はこう呟いていたのだ。                 「無外真伝剣法九則、相無剣。」