永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)
「それではここに道場は無いようですので、庭にて立ち合いましょうか。」
やそは横にいて、何も言わずにすましていたのだった。近藤は太刀をつかむと、顔を真っ赤にして庭に下りたのである。一もまた庭に下りると、まずスラリと刀を抜き、こんなことを言いだしたのだ。
「ときに近藤殿。一つ拙者の技をお見せする為にご協力願いたいことがあるのですが…。」
「何だ。」
と、彼は吐き捨てるように答えたのである。
「拙者の刀と近藤殿の刀と交換してくれませぬか。」
「それでどうすると言うのか。」
「それは後のお楽しみということで、鞘は腰にさしたまま、抜き身を交換したいのです。」
「何をたくらんでいるのかは知らぬが、そちの思う通りにしてやろう。」
「ありがとうございます。」
二人は抜き身の刀のみを交換すると、それを中段に構えて対峙したのである。もちろん、一(はじめ)は左利きで刀を握り直していたのだった。そしていつものようにへなへなに脱力すると、こう呟いたのである。
「無外真伝剣法二則、翻車刀。」
すると、一の手をするすると抜け出した近藤の刀は、そのまま近藤の方へ飛んでいったのである。
「刀を投げるとは卑怯な。」
と近藤が言いかけた時、とんでもないことが起こったのだった。刀はただ近藤の元へ飛んでいくのではなく、近藤の周りをぐるぐる回り始めたのである。
「近藤殿、じっとしていてくだされ。動くと危のうござる。」
近藤がじっとしていると、刀はすばやく彼の腰にさす鞘へと飛び込んでいったのだ。近藤が目を向いて驚いた瞬間、近藤の手に握られていた刀が彼の手を離れ、一の元にまっすぐ飛んでいくと、それもまた一の腰の鞘にそろりと納まったのである。
「こっこの者は人でござるか。」
一にとってその言葉は、既に聞き飽きたものであった。
ところでやそは、呆然とする近藤の元へ最初から持参していた刀を持って近づいたのである。
「近藤様。ただ今は大変失礼いたしました。これは今後一味として共に働く好を通じていただくためのほんのささやかなものに存じます。」
とそう言って手にしていた刀を捧げると、近藤は思わず受け取ってしまってからこう言ったのだった。
「この刀は?」
「これは山口が目の無い古道具屋から安く買い求めた本物の『虎鉄』だそうだ。大事に使うが良い。」
と、近江守が口を挟んだのである。
「げえ、こっ虎鉄。それは忝い。」
「いえ、このような銘刀は、近藤様のような立派な方のお腰にあってこそ価値があるというもの。とてもではございませんが、私どものような小者が持ち歩いて良いものではございません。虎鉄も近藤様のものとなりまして、喜んでいることでございましょう。」
近藤は、やその歯の浮くような口上を文字通り受け取ったらしく、今あったことも忘れて完全に機嫌が直って、にこにこしていたのだった。それを見た近江守は、今度は一の方を向いてこう述べたのである。
「両名とも良く聞け。本日は正月早々御苦労であった。試衛館への潜入報告はこのように大変参考になっている。本来なら、もう少しこのまま潜入を続けて欲しいところなのだが、事態は急を要することとなった。両名及び江戸にいる永井十訣の面々には、京にある吉田の太子流道場へ今すぐ行ってもらうこととあいなった。先程も近藤殿に申し上げた通り、試衛館の者達には、江戸で旗本を切って逃走することとなったとでも後で書面にて伝えておけば良いだろう。あながち出鱈目とは言えんことになるだろうしな。京で十人が顔を合わせ、いよいよ長野主膳ら井伊派の隠密どもを退治してもらう。」
「承知。」
それに対し、近江守は一回ごほん、と咳ばらいをしてからこう続けたのだった。
「ところで、お主は一応旗本を斬って江戸を出
るわけだから、名を変えた方がよかろう。名は
当方で決めておいた。良いか、今後は斎藤一と
名乗るが良い。」
『斎藤一』と彼女は呟き、すぐにそれが彼の
本名であることを思い出したのである。恐らくは、近江守の粋な計らいであつた。そして思わず一(はじめ)の方を振り返ると、彼はいつもの無表情でこう答えているのである。
「斎藤一、しかと承りました。」
(第十一場)近江国多賀大社内般若院にて
あれから一か月後の同じく安政七年二月二十日夜、広い般若院内の広間の中は、静然と並んで座る五十人以上の男達のひと人いきれで蒸しかえっているようだったが、外にはシンシンと雪が降り積もっており、実際の温度はだいぶ低いものとなっているはずであった。一団の最前列には、彼らの方を向いた数名の者がおり、どうやら彼らが一団の幹部のようであったが、中に年取った老女も含まれていたのである。その幹部達の中心に座る、長い総髪の男が口火を切ったのだった。 「各々方、それではお揃いになりましたな。」
この男、一味の頭目にして名は長野主膳義言(よしとき)。国学者と称し、それをもって現大老井伊直弼と知り合ったが、安政の大獄の折の隠密どもを駆使した弾圧ぶりを見る限り、とても並の人とは思えない。年齢は不詳だが、この時既にゆうに五十路は超えていたのだった。 「長野主膳様、一同いつでもここを発つ準備は出来ておりまする。下知を一刻も早く賜りますよう。」
この男、名は島田左近正辰(まさたつ)。本来は公家九条家の家令である。しかしその生まれは定かでは無く、元卑しき身分であったとも噂されている。京都における実行部隊のリーダーであった。手下を手足の如く使う一方、自ら動き、安政の大獄においても中心的な活動をしたと思われている。同じく年齢不詳だが、この時四十はとうに超えていたものと思われる。 「おう島田左近殿、京での活躍の数々、耳にしておりまするぞ。」
「いやいや、拙者が思う存分仕事をなしえたのも、偏にここに控える猿(ましら)の文吉のお蔭なのでござる。この機会にどうかお引き立てくださいますよう。」
「おぉ、そちが噂の文吉か。今度も頼りにしておるぞ。」
「へぇへぇー、お初にお目にかかります。目明し文吉にございます。こたびは手下の下っ引きを四人連れてまいりやした。どうぞこの文吉の双十手と金銭鋲にお任せ下さりませ。」
作品名:永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記) 作家名:斎藤豊