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永井十訣(新撰組三番隊長斎藤一一代記)

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「買いかぶりではないのか?」                            「ううん、直邦様が芳をお望みなら芳はいつなりとも直邦様のものになりまする。でももし、芳のささやかな願いをお聞き取り願えるなら。」            「拙者の出来る事なら、何なりと叶えようぞ。」                   「ありがとうございます。芳は願を掛けたいのでございます。明日一橋様の所へ参りますれば、二度と生きて帰ってこれるとは限りません。でももし仮に、私が生きて帰ることが出来ることがありましたら、どうか直邦様の囲い者にしていただきたいのでございます。」                                        「芳、そなたはそんなにも私を…。」                         「直邦様、お聞き届け願えますか?」                        「もちろんだ、芳。この直邦。生まれて初めておなごに心を動かされた。」         
「嬉しい。」                                 
 芳は近江守に抱きついたのである。近江守はうろたえながらも芳の身体を抱き、その髪を撫でさすったのだった。                                    「芳はもう心残りはありません。これで安心して明日、一橋様の所へ旅だてます。」   
「芳よ、わしはそなたのことを忘れはせぬぞ、決してな。」              
 こうして芳は、後の十五代将軍徳川慶喜こと一橋慶喜の元へ上がったのである。当時井伊直弼によって蟄居の処分を受けていた彼を、芳の力で慰めるのが目的であった。彼女は首尾良く慶喜の愛妾に収まり、歴史にその名を残すこととなるのである。しかし江戸城が引き渡され、慶喜が駿河へと移った時、芳の姿は既になく、その時以来の彼女の消息は杳(よう)として知れなかった。この時の近江守との約束は、遂に果たされることは無かったのである。     
 陽が完全に沈んだ時、二人の黒い影はゆっくりと離れ離れになるのだった。
(第十場)小野路村にて
 さらに半年後の安政七年正月、一(はじめ)達は山口近江守に連れられて、遥々多摩の小野路村にある小島鹿之助と名乗る人物の屋敷に連れて行かれたのである。もちろんやそも同行していたのだが、今回彼女は何やら細長い風呂敷に包まれていた物を持参していたのだった。それは先日古道具屋で、一が店主の心を読んで購入した掘り出し物の刀の虎鉄であったのだが、何故彼女が今回持参しているのかは、彼女は特に何も語らなかったのである。目的の家に着くと、当地の豪農である彼の家の広間には、党首である小島鹿之助の他にはその義兄弟と称する佐藤彦次郎と、山口一が潜入している道場の主、近藤勇、それと上座には、やたら顔と目の大きい代官風の男が座っていたのだった。近江守はその男の顔を見るなり、少し興奮して声をかけたのである。     
「これは江川殿、よくぞおいで下された。多忙の中、お呼び立てして誠に申し訳ござりませんでした。」                                  「なんの、なんの。この江川太郎左衛門英敏、我が農兵構想実現の為とあらば、いついかなる所へでも参上つかまつりますぞ。ところでお主が連れているそこな二人、初めて見る顔のようだが。」                                 「さすがは江川殿、前置き抜きで本題に入られたな。こちらに控えし両名こそ、書面にてお知らせした二人でござる。さっ、二人ともご挨拶申し上げよ。」          
 そう言われて、やそは一(はじめ)を突っついて、先に挨拶をさせたのだった。          
「拙者、山口一と申す者、御見知りおきを。」                   「その妻、やそにございます。」
 二人の挨拶に対し、江川が軽く会釈をすると、近江守は続けてそこにいる近藤に向かって、こう言ったのである。                         「ところで近藤殿、そなたの道場に黙って手の者を潜り込ませていたこと、この場でお詫び申し上げる。」                               「いや、それはようござるが、拙者のごとき田舎道場主の動向を探りてどうするつもりでござったか。」                                「それでござる。実はここにおられる拙者と同じこの村の代官である江川殿は、憂国の志篤く、戦国の足軽に代わる農兵構想を持っておってな。江戸の太平の世に役を離れた足軽どもを、農兵と言う形で呼び戻そうと考えたのじゃ。私も講武所などに通っておると、本来徳川をお守りすべき旗本と呼ばれる武士どもの体たらくを身にしみて感じておるのじゃ。そこで、江戸の始めに農民となったそなたら多摩の足軽達を、まずは多摩千人同心として組織しよう考えたのじゃ。その為にはその者らを率いる将がいる。そこもとには是非とも多摩千人同心を率いる将となって欲しいと思う。それもこれも、ここにいる山口をそちの道場に潜入させ、そこもとの人柄、実力をよくよく調べさせた結果なのじゃ。もちろん、そちが私の領地であるここの出身者であることが一番なのじゃがな。いずれは、そなたを講武所の剣術指南役として迎え、箔を付けようとも思っているので、その積もりでいて欲しい。」                「はは、ありがたき幸せ。」
 この時の話は、やがて横槍が入って駄目になってしまうのだった。そして天然理心流のことを諦めきれない永井は、先日山口一と立ち会った八人の剣士の一人、同流の小野田東市を講武所の剣術指南役に迎えるのである。
 「ところで、こうして山口が潜入していることもそなたに分かってしまったことだし、山口にはこれ以降そちの道場を出て、京都で別の任務につけようと思っている。道場の者には、旗本を誤って殺害し、どこぞへ逃げたとでも告げておいて欲しい。」
「承知いたしました。」
「この山口は、その任務を終えた後に、再びそちの元に預けるので、我らとのつなぎとして使って欲しい。たぶんその道場では隠しておったと思うが、奴は恐ろしく腕が立つので、役に立つと思うぞ。」
「そう申されましても、にわかに信じ難く存じまする。」
「ほう、信じられぬか。」
「道場で手合せした限りでは、そのような様子は感じられませなんだ。」
「ならばその腕で確認すれば納得致すか?」
「いかにも。」
「山口一、近藤殿がお手合せをお望みじゃ。良いか。」
「それはようございますが、拙者の腕をお見せするお積りなら、真剣に限られまするが。」
「拙者は一向に構いませぬ。小島殿、刃挽きの刀を二本用意してくださらぬか。」
「いえ、真剣でなくてはなりませぬ。」
「ぬぬ。そちはこの近藤をなぶるか。」
「いえ、一向に。」
「近江守殿。山口はこのように申しております。新しき任務前に大怪我をさせてしまうかもしれませんが、構いませぬか?」
「大いに結構。ただし、もしお出来になられればの話ですが…。」