月に吼えるもの 神末家綺談6
雨があがったようだ。少年は粗末な小屋を出て、その透き通るような空気を肺いっぱいに吸い込む。しっとりとぬれた山の緑が目に眩しい。季節は夏だった。土地を潤す美しい天からの雫が、草花の上で露となって光っている。
裸足で踏む、ぬれた草の感触が心地よい。少年は痩せた指先で葉に触れる。冷たかった。夏のほてりを冷やす雨が去った後、西の空に美しい夕焼けが現れる。
(美しいな)
少年に名前はなかった。小さな村はずれの山にある粗末な小屋で、一人ぼっちで暮らしている。
「さだめの子よ」
鈴を鳴らすような声がして見上げると、雫にぬれた大木の上から続けて声が降ってくる。
「おぬしのいもうとがふらせるあめの、なんとうつくしいことか」
子どものような声だが、これは山に住まう木の神だか、山の神だ。姿は見えずとも、孤独に暮らす少年にとっては唯一の話し相手といえた。悪さはせぬ。時折人間の内面を見抜いて意地の悪いことを言うのだが、少年は気にならなかった。
「そうとも、美しいだろう。妹の降らせる雨が、大地を潤し、命を育むのだ。この村は、飢えることを知らぬ」
少年は、雨師と呼ばれる一族の生まれだった。
作品名:月に吼えるもの 神末家綺談6 作家名:ひなた眞白