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孝馬 友嘉
孝馬 友嘉
novelistID. 52486
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宵待

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「あれから、他の蛍は通り掛かりましたか?」
 蛍は、蛍袋と別れた夜から昨日の夜までの事を一切何も知らない振りをして尋ねる。
「いいえ。あれからは一度も」
 蛍袋は静かな声で答えた。昨夜までの孤独など微塵にも感じさせない声色で。蛍が質問に答えなかった事、蛍の声色が弱っている事については一切触れる素振りを見せない。そして答えた後で、態と明るい声音に変えて続けた。
「でも、諦めてはいません。花が枯れてしま
うその時までは、まだもう少し時間がありますから」
 言われて、蛍は蛍袋の淡い紫色をした釣鐘型の花を見る。確かに、まだもう暫くの間は咲いていられそうだ。それでも俯いた釣鐘型の花が日に日に萎れていっているのは隠しようも無い事実だった。少しずつではあるが、確実に花の瑞々しさは失われつつある。彼女の時間もまた、限られているのだ。そしてそれよりも更に、蛍に残された時間は少ない。
 気丈に振る舞おうとする蛍袋に、蛍は言った。
「私が不出来な灯りを燈すようになって、今日で一週間が経ちます。私に残された時間はもう余りに少ない。恐らくは今夜一晩保たせるのがやっとでしょう」
 余りにも唐突な告白にも拘わらず、蛍袋はうろたえたりしなかった。黙って蛍の告白に耳を傾け、次の言葉を待っている。何か伝えたい事があるのだと、薄々気が付いているようだった。蛍は真っ直ぐに蛍袋を見据えて続ける。
「それならせめて、貴女の願いを叶えて差し上げたい。私の弱過ぎる灯りでは、貴女の願いを叶えて差し上げるには足りないかもしれない。貴方の花弁の下で、私の不出来な灯りは霞んでしまうかもしれない。そもそもがこんな状態では、その不出来な灯りすら真面に燈せるかどうか分かりません。それでももし、もしこんな私の不出来な灯りでも貴女のお役に立てるのなら、どうか私の灯りをお使い下さい。どうか貴女の願いを叶えるお手伝いをさせて下さい」
 蛍袋は短く息を呑んだ。それから恐る恐る尋ねる。
「…本当に、宜しいのですか?今の貴方のお体に、それはとても応えるのではありませんか?」
「私でしたら構いません。もし私の不出来な灯りでも貴女のお役に立てるのなら、これ程嬉しい事はありません。ですから、もし貴女さえ宜しければ、私の灯りをお使い下さい」
 蛍が言うと、蛍袋は声を詰まらせてそのまま黙り込んだ。蛍の突然の申し出に、戸惑っているようだった。嬉しくない筈はないのだが、蛍の状態を慮って思い悩んでいるのだろう。蛍袋が答えを出すまでの間、蛍は辛抱強くじっと蛍袋を見つめて待った。心配そうに見つめる視線を感じたので、ゆっくりと頷いて応える。すると、長い長い沈黙の後で、蛍袋が震える声で言った。
「ありがとうございます。それではどうか、貴方の灯りを借りさせて下さい」
嬉しそうな声で礼を言う蛍袋に、蛍もはいと返した。その嬉しそうな声を聞けただけで、灯りを燈す事を決意した自分を褒めてやりたくなった。
「それでは、早速灯りを燈させて頂きます」
 言うや否や、蛍は花の中に入って灯りを燈した。彼の人がいつ頃縁側を訪れるのかは分からない。それでも、彼の人が訪れてから灯りを燈すよりも、訪れる前から燈している方がいいだろうと判断しての事だった。蛍は既に一晩中、それこそ命が尽きるその瞬間まで灯りを燈し続ける覚悟を決めていた。あとは彼の人が縁側を訪れるのを待つばかりだ。
「嗚呼、やっと…やっとあの方に灯りの燈った姿をお見せ出来る。やっと、あの方に見て頂ける」
 蛍袋の声も弾んでいる。しかし、蛍の胸には未だ濃い不安の影が残っていた。何しろ蛍と蛍袋からはどんな風に蛍の灯りが燈っているのか確認する事が出来ないのだ。自分の脆弱な灯りが花の中でどんな風に燈っているのか、蛍は気が気でない。ちゃんと蛍袋の花に灯りを燈せているのだろうか、花弁の下で霞んでしまってはいないだろうか、彼の人は、蛍袋に灯りが燈っていると気が付いてくれるだろうか。そればかりが不安だった。
「きちんと灯りが燈っているように見えるで
しょうか?彼の人は貴女に灯りが燈っていると、気が付いてくれるでしょうか?」
 彼の人が現れるのを待つ間、蛍はつい弱気になって蛍袋に尋ねていた。今は弱気になっている場合ではない。蛍袋の前でなら尚更だ。しかし、そうと解っていても尋ねずにはいられない程、蛍は不安に揺れていた。実際、蛍の灯りは余りに脆弱だった。吹けば消えてしまいそうな程淡い灯りが、うっすらと蛍袋の花の中に燈っている。それも、注意深く見ていなければそれと気付けない程に弱々しく。が、それを確認する事は、蛍にも、蛍袋にも出来ないのである。どうしたって彼の人に賭けるしかなかった。だというのに、蛍袋は不安を微塵にも感じさせない穏やかな声で言った。
「大丈夫です。あの方はきっと気が付いて下さいます。蛍さんがこんなにも一生懸命灯りを燈して下さっているんですもの。確かに、私達からはきちんと灯りが燈っているのかどうか確認する事は出来ません。ですが、私には分かります。花を通して蛍さんの温かな灯りを感じる事が出来ます。それはとても、とても優しい温もりを持った灯りです。ですから、きっと大丈夫です」
 蛍袋の言葉はすっと蛍の心に沁み入り、一瞬にして蛍の胸の内に蟠る不安を綺麗に溶かした。たとえ世辞だったとしてもそんな事を言ってもらえたのは蛍にとって初めての事で、それだけでもうこれまで過ごしてきた辛い日々が、仲間からも馬鹿にされ続けてきた不出来な自分自身が報われる気がした。
「そう、ですね。きっと、大丈夫ですね」
「はい」
 歓喜に打ち震える声で蛍が言うと、蛍袋は力強い声で返した。もうそれ以上の言葉は必要無い。蛍と蛍袋はきっと彼の人が気が付いてくれると信じて、彼の人が縁側を訪れるその時を待った。程無くして、縁側にふと人影が現れた。窓硝子の向こう側にぼんやりと細身のシルエットが浮かぶ。蛍袋がはっとして息を呑む。その緊張が花を通して余りに生々しく伝わってきた為、思わず蛍も花の内で身を硬くした。蛍と蛍袋が固唾を呑んで見守る中、からからと音を立てて窓硝子が開かれ、彼の人が姿を現した。彼の人は縁側に立つなりおや、と小さな声を漏らした。花に覆われていてもその視線が蛍袋に注がれているのが分かる。彼の人の視線に切に応える蛍袋の高鳴りが、花を通して密に蛍に伝わる。震える鼓動を聞いていると、蛍の胸まで高鳴ってくる。
 どうかこの淡い灯りに気が付いて下さい。小さいけれど、とても弱い灯りだけれど、やっと燈す事が出来た灯りなのです。どうか、どうか気が付いて下さい。そしてどうか、もう一度微笑んで下さい。胸の奥深くで切実に願う言葉が果たして蛍自身のものなのか、それとも花を通して伝わる蛍袋のものなのか、
或いは溶けて一つに混ざり合った二人のもの
なのかは、もうどちらにも分からなかった。
 彼の人は小さな声を漏らしたきり、蛍袋を見つめたままじっと縁側に立ち尽くしている。呼応する蛍と蛍袋の鼓動が幾千も繰り返される、気が遠くなる程の間を置いた後、やっと彼の人は嬉しそうに言った。
「ああ、やっと来てくれたんだね」
 その柔らかな声音に、とくんと蛍と蛍袋の胸が震える。嗚呼、気が付いてくれた。二人は同時に胸の内で呟いた。
作品名:宵待 作家名:孝馬 友嘉