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孝馬 友嘉
孝馬 友嘉
novelistID. 52486
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宵待

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 蛍袋はいつまで待ち続けるのだろう。彼女自身がそう口にした通り、花が枯れてしまうその時まで孤独に耐え、話に耳を傾けるどころか現れるかどうかも分からない蛍を只管に待ち続けるのだろうか。彼の人に灯りが燈った姿を見せたいが為に。ただもう一度、彼の人の微笑みを見たい、その一心で。独りで。そう思うと、蛍の胸は益々締め付けられるようだった。蛍袋が孤独を滲ませて待ち続ける姿を見るのは辛い。蛍袋の悲しみが溢れ、そのまま行き場を失くして蛍の内側にまで流れ込んでくるかのようだ。やはりこれ以上は見ていられない。蛍はこの日も音を立てないようそっと葉陰から離れた。もう蛍袋の事は忘れよう。そして、この庭に訪れるのももう止めよう。そう決心して。実際、蛍が脆弱ながらも灯りを燈せるようになってから今日で五日が経つ。蛍が灯りを燈すようになってからの命は短い。蛍の体も徐々に力を失いつつあった。もう思うように飛べない体を引き摺るようにして運びながら、蛍はもう蛍袋の事は忘れよう、忘れようと繰り返した。何度も何度も。もう命が尽き掛けている自分に、出来る事なんてない。最後まで見守る事すら出来ずに心をすり減らして、一体何の意味があるというのか。蛍は必死に自分に言い聞かせた。
 しかし翌日、宵。自分でももう止めればいいのにと思いながらも、蛍は蛍袋の様子を見に葉陰に身を潜ませた。勿論、葛藤が無い訳ではなかった。庭を訪れるまでの間、昨日よりも更に言う事を聞かなくなった体に鞭を打ち、何度も引き返そうとした。長時間飛び続ける事すら一苦労だというのに、挙句に心をも摩耗させようというのか。そこに果たして意味はあるのか。蛍袋の願いを叶えてやる事は出来ず、様子を見に行った所で何をしてやれる訳でもなく、夜が明けるその時まで見守り続ける事すら出来ないでいる無力な自分が、何の為に。そう何度も自分自身に言い聞かせた。だというのに、また重い体を引き摺って蛍袋の様子を見に来てしまったのである。昨夜も蛍袋の事は忘れようと何度も繰り返したのに、何故。そう自身に問い掛けても、答えは一つしかなかった。ただ蛍袋の事が気になって、居ても立っても居られないからだ。それだけだった。
 蛍袋は今日もひっそりと佇んでいる。今日まで蓄積された幾つもの孤独を纏い、一向に表れない蛍を、そして今夜も訪れるだろう彼の人を待って、じっと。少し離れた場所の葉陰に潜む蛍にまで溜息が聞こえてきそうな程寂しげな姿にも拘わらず、実際に蛍袋が溜息を吐く事は無かった。それすらも飲み込んで直向きに待っているのだ。その姿に蛍の胸は軋んで悲鳴を上げる。やはり見兼ねた蛍が葉陰からそっと離れようとしたその時、昨夜までとは違う変化が起こった。昨日まで蛍が居る間は人の気配も無くしんとしていた縁側に、人影が現れたのである。尤も、蛍が庭に留まっていたのは極短い間の事で、その間に何者かが訪れるというのも難しい話ではあるのだが。人影は明かりの無い縁側の窓硝子を隔てた向こうに立っている為、その姿までははっきりとは確認出来ない。細身のシルエットがぼんやりと見えるだけだ。だというのに、蛍にはその人影こそが蛍袋のいう彼の人だという事が分かった。遠目にも蛍袋がはっと息を呑んだのが分かったからだ。僅かに緊張を帯びた空気の中、からからと窓硝子が開かれ、姿を現した人影が静かな動作で縁側に腰を下ろした。家から漏れる微かな明かりの中、遠目の蛍であってさえはっきりと分かる程に美しい人だった。薄闇に映える病的な白い肌に、ぞっとする程だ。そこに薄い、有るか無きかの微笑を滲ませ、その実濃い諦念を感じさせる憂いを含んだ表情を浮かべて彼の人はそっと蛍袋を見つめる。なるほど、蛍袋は彼の人のちゃんとした頬笑みを見たいのだと、蛍は改めて納得した。蛍袋に視線を移せば、彼の人の静かな瞳に切々と、全身で応えていた。彼女もまた、彼の人を見つめ返している。彼の人よりも熱心に、薄闇にぼうと淡い紫色の花を浮かび上がらせ、俯かせた釣鐘型の花を心成しか持ち上げて、直向きに彼の人を見つめている。切に、切に。傍から見守る蛍にまで寂しいと、切ないと、愛しいと全身で叫ぶ蛍袋の胸の内が聞こえてきそうで、蛍は思わず耳を塞ぎたくなった。耳を塞いだ所で夜気を伝って浸透してくるだろう事は分かりきっていたのだが、目を逸らす事は出来なかった。蛍は蛍袋の胸の内に耳を澄ませ、それに合わせるように軋む自らの胸の内を聞くともなしに聞きながら、息を詰めて蛍袋と彼の人を見つめた。やがて、
「今夜も蛍は来ないか」
 彼の人がぽつりと声を漏らした。透き通るような声はしんと薄闇に溶ける。残念そうではあるが、落胆は感じさせない声色だった。蛍袋は切々と彼の人を見つめている。寂しそうにしている彼の人を、より一層寂しそうに見上げて。
「貴女も、寂しいだろうね」
 彼の人はそう言って蛍袋を見つめる。暫くそのまま彼の人も、蛍袋も一方的に見つめ合っていたが、その内に彼の人が微笑になりきらない曖昧な笑みのようなものを弱々しく浮かべ、それを残して訪れた時と同じようにそっと縁側を離れた。
 何て事だろう。蛍は声に出さずに呟く。こんな事を毎夜繰り返してきたというのか、蛍袋と彼の人は。毎夜縁側を訪れては蛍袋を眺め、蛍が来ていない事を知ると小さな嘆きの声を漏らし、そしてあの微笑になりきらない未完成な表情を寂しげに残して去って行くのか、彼の人は。嗚呼、それは蛍袋にとって何て、何て残酷な事だろう。どれ程胸が痛む事だろう。蛍袋から話に聞いていたとはいえ、それは蛍の想像を遥かに越える事だった。蛍袋を見ると、微かに震えているような気がした。薄闇の中淡い紫色の花をひっそりと青褪めさせ、釣鐘型の花をしんと俯かせ、蛍袋は細く、細く啜り泣くような声を上げ始めた。それに呼応するかのように、既に軋んでいた蛍の胸もまた震えた。蛍袋の想いに、引き千切られそうだった。悲しい、悲しいと夜気を伝って声が聞こえる。寂しいと、切ないと、愛しいと。もう一度微笑んで欲しいと望む相手にあんなに寂しそうな表情をさせてしまう事は、どれ程辛く悲しい事だろう。一体どれ程己の無力さを呪ってきた事だろう。蛍袋はそれを毎夜繰り返してきたのだ。そして、恐らくは明日の夜も。胸の引き裂かれる夜を幾度も繰り返し、そうして彼女の孤独は夜毎深くなっていく。それでも尚蛍袋は諦めずに待ち続けるのか。願いを聞き入れてくれる蛍を、明日も縁側を訪れる彼の人を。夜を越えて、彼の人にもう一度微笑んでもらえる日を夢見て、たった独りで、ずっと。蛍は細く啜り泣く蛍袋の声を背に、そっと葉陰を離れた。蛍袋の声が、その孤独が、想いが、いつまでも何処までもついて来た。そうして、蛍は決意した。
 翌日。宵になったばかりの頃、蛍は蛍袋の許を訪れた。もう飛ぶ事さえやっとだったが、それでも蛍は蛍袋の許へ訪れない訳にはいかなかった。
「こんばんは」
 蛍が幾分弱った調子で声を掛けると、蛍袋は驚いて声を上げた。
「貴方は、あの時の…。どうして、また此処に?」
 蛍は蛍袋の問いには答えない。一晩中泣いていたのだろうか。それとも啜り泣く声が未だ蛍の胸深くで揺れているからだろうか、蛍袋の声はまだ細く震えているように聞こえた。
作品名:宵待 作家名:孝馬 友嘉