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孝馬 友嘉
孝馬 友嘉
novelistID. 52486
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宵待

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「いいのです。きっとまた別の蛍さんが通り掛かってくれる事でしょう。その蛍さんが私の話に耳を傾けて下さるかもしれません。ええ、きっと貴方のように。その時に改めてお願いしてみます。私はその日を待ちましょう」
 それが精一杯の強がりであると、勿論蛍には分かっていた。最初に蛍が足を止めた時、蛍袋は言ったのだ。「やっと蛍さんが来てくれた」と、心底ほっとした様子で。そしてまだ話を聞くと言っただけの蛍に、あんなに嬉しそうな声を上げてみせたのだ。その様子から、話に耳を傾けるどころか、此処を通り掛かった蛍は自分が初めてなのではないかという気すらしていた。そうでなければあれ程までに切実な声で呼び止めたりはしないだろう。そうでなければこんなにも深い孤独を滲ませたりはしないだろう。そもそも此処は人が住む家の庭であり、蛍が好む水辺からは離れている。態々こんな所を好き好んで通り掛かる酔狂な蛍は居ないだろう。自分は仲間の許から出来るだけ離れようとしてふらふらと迷い込んだに過ぎない。言ってしまえば偶然通り掛かる事が出来ただけだ。不出来で脆弱な灯りしか燈す事が出来ない蛍であるが故に。それはこの上も無い皮肉のように思えた。これから先、別の蛍が通り掛かる可能性は限りなく低い。たとえ別の蛍が気紛れに通り掛かったとして、その蛍が蛍袋の話に耳を傾け、願いを聞き入れてくれる保証も何処にも無い。しかし、彼の人は今夜も縁側を訪れる。そして次の夜も、また次の夜も彼の人は縁側を訪れるだろう。ならば、蛍袋はどんな気持ちで寂しそうに自分を見つめる彼の人を見つめ返せばいいのだろう。一体どんな想いでその瞳に応えればいいのだろう。蛍は、別の蛍を待つと言った蛍袋が過ごすだろうこの先の孤独な夜に思いを馳せた。蛍の脳裏には、宵の薄闇にぼうと淡い紫色の花を浮かび上がらせ、釣鐘型の花をそっと俯かせてひっそりと待つ蛍袋の姿がはっきりと浮かんでいた。その姿は余りに寂しげで、見ている方が切なくなるような姿だった。
「もし、もし願いを聞き入れてくれる蛍が現れなかったら?その時はどうするのです?」
 不安から尋ねた蛍に短い間を置いた後、蛍袋は静かな声で答えた。
「その時は仕方がありません。見たいと望んで下さっているあの方には申し訳ありませんが、素直に諦めましょう。きっと、あの方が望んでいるかどうかは問題ではないのです。私はただ、あの方に灯りが燈る姿を見てもらいたいだけ。そうして、あの方にもう一度微笑んでもらいたいだけ。それは他でもない、私一人の我儘なのです。ただの蛍袋である私が、そのような願いを抱く事自体が、きっと痴がましい事なのでしょう。もし、私の花が枯れてしまうその時まで別の蛍さんが現われなかったとしたら、その時はただの蛍袋が夢見た不相応な願いだったと諦めましょう。ですから、貴方もそんな蛍袋の願いなど、私一人の我儘など、忘れて下さい」
 蛍に気を遣わせまいとして一切の悲嘆を滲ませる事無く、蛍袋は言い切った。その口調は何処までも穏やかだった。気丈に振る舞おうとする蛍袋に、それ以上掛けられる言葉は見つからなかった。蛍袋がそうされる事を望まないだろうと知りながらも蛍の胸は申し訳なさで一杯になり、胸の内だけでそっと謝罪の言葉を述べ、深く頭を垂れた。そしてゆっくりと頭を上げ、真っ直ぐに蛍袋を見据える。
「分かりました。とても心苦しいですが、私では貴女の願いを叶えて差し上げる事は出来ません。せめて貴女の願いがきっと叶うよう、切に願いましょう」
「ありがとう」
 蛍の言葉に、蛍袋はふわりと柔らかく返した。その声を背に、蛍はふらふらと蛍袋の許を飛び去った。振り返らなくても背中に蛍袋の視線を感じる。後悔と共に振り返ってしまいそうになるのを堪え、蛍は蛍袋が咲く庭を後にした。行く宛てなど無く、そのまま一晩ふらふらと彷徨い続ける。夜の先を何処までも飛んで行きたかった。だが、何処にも行けなかった。飛んでいる最中も蛍袋の話が、願いが、繰り返し思い出された。今頃は彼の人が縁側を訪れている頃だろうか。今夜も蛍が来ていない事を知り、でもすぐには諦められず、寂しそうに蛍袋を見つめているのだろうか。そして蛍袋はどんな想いでその視線に応えているのだろうか。どんなに切ない姿で彼の人を見上げている事だろうか。彼の人は今夜も寂しそうな微笑だけを残して部屋へと戻るのだろうか。蛍袋はどんなに辛い思いをしてその背中を見送る事だろうか。きっと蛍袋は、彼の人の背中が見えなくなっても暫くはその寂しそうな後ろ姿を見つめ続けているに違いない。嗚呼、考えてはいけない。止めなければ、と思うも、取り留めの無い蛍袋への思いは次から次へと蛍の胸に浮かんでは消えていった。彷徨い飛ぶ間中、ずっと。やがて夜明けの気配が近付き、漸く眠気を感じ始めた頃、蛍は適当な葉陰を今日の眠り場所に選んだ。目を閉じ、眠りに落ちて行く中で、蛍袋の切実な声を聞いた気がした。か細く震える、弱々しいその声を。

 翌日、目を覚ました蛍はどうしても蛍袋の切実な願いが、それを言葉に変えるか細い声が忘れられず、居ても立っても居られなくなり、宵になってこっそりと蛍袋の様子を見に行った。しかし願いを叶えられない手前姿を見せる事は躊躇われ、蛍袋からは見えないだろう葉陰に潜んでこっそりと様子を窺う事にした。蛍袋は昨夜同様宵の薄闇にぼうと淡い紫色の花を浮かび上がらせ、釣鐘型の花をそっと俯かせてひっそりと咲いている。その姿を見ただけで、蛍袋の胸は軋んだ。蛍袋の切実な願いを、そこに至るまでの経緯を、それを言葉に変えるか細い声を知ってしまった今、蛍袋の儚げに咲く姿は、蛍と彼の人とを待つその姿は、一層悲しげに見えた。蛍袋は待っている。蛍が通り掛かるのを、その蛍が話に耳を傾けてくれるのを、そして出来る事ならその蛍が願いを聞き入れてくれるのを、ただ只管に待っている。今夜も縁側を訪れるだろう彼の人を、静かに待っている。じわじわと浸透する孤独に耐えながら。まだほんの少し姿を目にしただけだというのに、蛍はそれ以上蛍袋を見続ける事が出来なくなり、音を立てないようそっと葉陰から離れた。
 それでも蛍は翌日、宵になると蛍袋の様子をこっそりと見に行った。眺めても胸が痛くなるばかりで、蛍袋の願いを叶えてやる事も出来ないというのに、どうしても蛍袋の事が気になって仕方がないのである。蛍袋が孤独に耐えて待ち続ける姿は確かに胸を掻き毟られるようではあるが、様子を見に行かなければ行かないで妙に胸がざわついて落ち着かない。そうしてやはり居ても立っても居られず、昨夜同様葉陰に潜んでこっそりと蛍袋を見つめれば、やはり昨夜と寸分違わぬ姿で蛍袋はひっそりと待っていた。溢れ出る孤独を夜気に滲ませ、儚げに佇んで。蛍の胸の痛みは更に増した。
作品名:宵待 作家名:孝馬 友嘉