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孝馬 友嘉
孝馬 友嘉
novelistID. 52486
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宵待

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「あの方が何かに興味を抱く事は、とても珍しい事だったのでしょう。傍に居たお父様は一生懸命自分が知る限りの私についての情報をあの方に話されました。私が蛍袋という名前である事、その名前の通り花の中に蛍が入って灯りを燈せば美しい姿である事、自分も幼い頃に一度見た事があり、とても感動した事などを熱心に話されました。あの方もそんなお父様の話に頻りに耳を傾けていらっしゃいました。目をきらきらと輝かせて。そして、自分も蛍が花の中で灯りを燈す姿を見てみたいと、そう言って笑ったのです。それを聞いたお父様は、すぐに私を庭へ移す事に決めました。そうして私は、野道からあの方が暮らすこの家の庭へと植えられました。あの方がよく見えるようにと、縁側から程近いこの場所に」
 蛍袋はすぐ傍の縁側を見つめ、小さく息を吐いた。
「あの方は毎夜縁側を訪れます。来る夜も来る夜も縁側を訪れては私を眺め、蛍が来ていない事を知ると寂しそうにされます。それでもすぐには諦められず、暫くの間縁側に留まって一頻り私を眺めた後、寂しそうな微笑だけを残して部屋に戻られます。そしてまた次の夜に縁側を訪れるのです。きっと今夜も訪れるでしょう」
 蛍は蛍袋が示す縁側を見遣る。確かに蛍袋を眺めるにはいい位置にある。蛍袋が言う通り、彼の人の父が態々彼の人が見やすいように蛍袋を縁側の近くに植えたのだろう。今は人の気配も無く、縁側はしんとしている。蛍袋が言うには、今夜も彼の人は縁側を訪れるという。蛍は縁側をじっと見つめた。
「私は、私を見つけて下さった時のあの方の微笑みを、可愛らしい花だと褒めて下さった時のあの方の甘い声音を、今でも鮮やかに思い出す事が出来ます。私は、あの方の望みを叶えて差し上げたい。あの方が望む姿を見せて差し上げたい。心から。そうして、あの方にもう一度微笑んでもらいたい。寂しそうな微笑ではなく、ちゃんと。あの方が寂しそうにされると私は苦しい。とても、とても苦しい。私は、あの方が最初に向けて下さったような微笑みをもう一度見たいのです。あの方にもう一度、ただ一度でも、微笑んで頂きたいのです」
 蛍袋の声は震えていた。嗚呼、止めてくれ、と蛍は思う。そんなに切実に願われたら、叶えてやりたくなってしまう。蛍袋の身を切るような想いは既に十分過ぎる程に伝わっている。それこそ蛍の心臓にまで手を伸ばし、そのまま潰してしまいそうな程強い力で訴え掛けてくる。蛍袋はそうとは知らず、到頭震える声のままで懇願した。
「ですから、どうかお願いします、蛍さん。貴方の灯りを少しの間貸して下さい。あの方が見ている間だけでいいのです。どうか、どうか、花の中で灯りを燈して下さい。その光景をあの方にお見せしたいのです」
 蛍は閉口した。本当なら今すぐにでも頷いて、花の中で灯りを燈してやりたい。しかしそれが叶わぬ事である事を、他ならぬ蛍自身が知っている。蛍は歯噛みしてやっとの事で首を横に振った。
「すみませんが、私には出来ません。貴女の願いを叶えて差し上げる事は、私には出来な
いのです」
 絞り出した声は或いは蛍袋のそれよりも痛切だったかもしれない。瞬間、蛍袋が短く息を呑んだのを、蛍は聞き逃さなかった。
「…何故、ですか?私に至らぬ点がありましたらどうか仰って下さい。出来る限りの事は致します。ですからどうか、どうか…」
 蛍袋は取り縋るように言った。そのか細い声に、蛍の心は引き裂かれんばかりに痛んだ。蛍袋が必死に願えば願う程、蛍の心は悲痛に揺れる。蛍は痛む心を抑えつけ、緩々と頭を振った。
「そうではないのです」
 え、と蛍袋が声を上げる。蛍は一度深く息を吸った後、またすぐに深く息を吐いて重い口を開いた。
「私は、不出来な蛍なのです。灯りを燈す事は出来ますが、他の仲間が燈すようには灯りを燈す事が出来ません。私の燈す灯りは、他の仲間の灯りと比べて極端に弱いのです。私程灯りが弱い蛍は、他に見た事がありません。仲間からも散々馬鹿にされ、私自身何故こんなにも弱い灯りしか燈す事が出来ないのかずっと悩んでいました。ですが、答えは見つかりません。恐らくは生まれつきなのでしょう。私達が灯りを燈す事が出来る時間は限られています。その短い時間の中でせめてもう少しましな灯りを燈す事が出来るようにならないものかと今まで必死に灯りを燈し続けてきましたが、灯りは一向に強くなりませんでした。そして、到頭私はこうして一人で彷徨い飛ぶようになりました。仲間の許を離れ、その灯りが見える場所から出来るだけ遠くに、遠くに来るようにと。そうして今日、貴女と出会ったのです。私が不出来な灯りを燈すようになってから今日で三日が経ちます。しかし、どんなに努力を重ねても灯りは強くなりませんでした。貴女の願いを心から叶えて差し上げたい。ですが、まともな灯りを燈す事が出来ない私では、貴女の願いを叶えて差し上げる事は出来ないのです。私の余りにも脆弱な灯りでは、貴女の淡い紫色の花の下であっても霞んでしまうでしょう。不出来な蛍の私では、貴女のお役に立つ事が叶わないのです。どうか、どうかお許し下さい。貴女の願いを叶えて差し上げる事が出来ない私をどうか…」
 蛍は深々と頭を垂れた。それは深々と項垂れるのと同義だった。蛍は脆弱な灯りしか燈せない自分を恥じ、蛍袋の願いを叶えられない事に打ち拉がれ、無力な自分を心の底から呪った。そのまま暫く顔を上げる事が出来なかった。蛍袋は蛍の切々とした告白に静かに耳を傾けていたが、やがて細く濡れた声を上げ始めた。頭上から降り注ぐその声に、蛍は漸く顔を上げた。
「嗚呼、何という事でしょう…。どうかお謝りにならないで下さい。謝るのは私の方です。貴方のお心も知らずに勝手な事を言ってしまい、すみませんでした。知らなかったとはいえ、私は何て不躾な願いを口にしてしまったのでしょう。私が身勝手な願いを口にする度に、どれ程貴方のお心を傷付けた事でしょう。それなのに、貴方は最後まで私の話に耳を傾けて下さったのですね。貴方は、とても優しい方。そんな貴方に最後まで私の不躾な話を聞いて頂けた、ただそれだけで私は満足です。ありがとうございます。私の話など、私の願いなど、どうか忘れて下さい」
 蛍袋の声は弱々しく震え、淡い紫色の花は薄闇の中でひっそりと青褪めて見えた。元々俯いている釣鐘型の花が、一層悲しみに沈んでいる。蛍袋はただの一言も蛍を責めたりはしなかった。それどころか不躾な願いを口にした自分を心から恥じ、その非礼を詫びさえした。悲しみに暮れるその姿も、自らの願いが叶わない事よりも、蛍を傷付けたその事実に因るものに見える。だからこそ、蛍の胸は尚痛んだ。
「ですが、貴女はどうするのです?どうしてもその方に灯りが燈る姿をお見せしたいのでしょう?もう一度、その方に微笑んで頂きたいのでしょう?」
 それを尋ねるのは余りに酷だと解っていたが、それでも、切実に願う蛍の直向きさを知ってしまった今、そうと解っていながら尋ねずにはいられなかった。仲間からも馬鹿にされるような、不出来で脆弱な灯りしか燈せない蛍に、蛍袋の願いを叶えてやる術など無いというのに。
 蛍袋は気丈にもやんわりと返した。
作品名:宵待 作家名:孝馬 友嘉