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孝馬 友嘉
孝馬 友嘉
novelistID. 52486
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宵待

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宵、蛍はふらふらと彷徨い飛んでいた。仲間から離れ、宛ても無く。仲間の光が見える場所から出来るだけ遠くに、遠くにと、蛍は彷徨い飛んでいた。そこへ、か細い声が掛かった。
「あの…あの、蛍さん、すみません。少しの間、私の話に耳を傾けては頂けませんか?」
 その声の切実さに蛍は思わず立ち止まり、誰だろう、と辺りをぐるりと見回した。ふらふらと彷徨い飛ぶ内に、いつの間にか人の家の庭に入り込んでしまったらしい。手入れは行き届いているものの、何処か物寂しいがらんとした庭が蛍の視界に映り込む。すると、自分を呼び止めたのは人だろうかと、蛍は辺りをきょろきょろと見回す。しかし、家から漏れる明かりにぼんやりと照らされる庭に、人の姿は無い。
「こちらです」
 首を傾げようとした蛍に、もう一度か細い声が掛かる。切実に呼ぶ声に首を巡らせると、そこには宵の薄闇にぼうと淡い紫色を浮かび上がらせ、ひっそりと釣鐘型の花を俯かせて蛍袋が咲いていた。儚げに咲くその花が、蛍に声を掛けたらしかった。がらんとした庭にぽつんと咲く蛍袋は何処か余所余所しく、ひっそりと咲くその姿が一層儚げに見える。
「どうかなさったのですか?」
 蛍は広い庭の中にぽつんと咲く蛍袋に近付いた。
「嗚呼、良かった。やっと蛍さんが来てくれた」
 近付いた蛍に、蛍袋は心底ほっとした様子で言った。
「蛍さんに、少しの間私の話に耳を傾けて頂きたいのです」
 次いで、蛍袋は再び切実な声を出した。お願いします、と露骨に口にしたりはしなかったが、それは明らかなる懇願だった。ただならぬ痛切さに、蛍は真摯に頷いた。
「ええ、私で宜しければ」
 途端、蛍袋は嬉しそうな声を上げる。
「今日は何て良い夜なのでしょう。漸く私の話に耳を傾けて下さる蛍さんが来てくれた。何て、何て良い夜なのでしょう」
 蛍はまだ話を聞くとしか言っていないというのに、その声は心から嬉しそうだった。一体いつから話に耳を傾けてくれる蛍を待ち続けていたのだろう。そして、どれ程の夜を蛍を待ち侘びて孤独に過ごしてきたのだろう。心から嬉しそうな声色はそのまま蛍袋が過ごしてきた幾つもの孤独な夜を思わせて、蛍は神妙に蛍袋を見上げた。
「実は、私の話に耳を傾けて頂くだけでも大変に恐縮なのですが、更に蛍さんにお願いしたい事があるのです」
「お願い?」
 蛍袋の切実な声を耳にした時から恐らくはそう言われるだろう事は分かっていたのだが、蛍は敢えて尋ねた。蛍の問い掛けに、蛍袋ははいと頷く。
「そんなに難しい事ではないのです。ただ少しの間だけ、蛍さんの灯りをお借りしたいのです」
 蛍はえ、と声を詰まらせそうになるのを懸命に飲み込まなければならなかった。蛍袋は蛍の些細な揺らぎになど気付きもせずにそのまま続ける。それもその筈である。蛍袋はたった今自分が口にした『そんなに難しい事ではない』願いが、蛍にとってどれ程難しい事なのかを知る由も無いのだから。
「少しの間花の中に入って、灯りを燈しては頂けませんか?」
 もう一度、今度は具体的な願いに言葉を変えて、蛍袋は懇願した。蛍は言葉を詰まらせた。
蛍袋はその名前の通り、花の中に蛍が入って灯りを燈せばランプのように美しい釣鐘型の花をしている。蛍の柔らかな灯りに淡い紫色の花を透かせば、それは見事だろう。ただ、その美しい姿は当の蛍にも、蛍袋にも見えないのだ。つまりはその美しい姿を見せたい他の誰かが居る、という事だ。蛍袋の尋常ではない切実さから、蛍袋が決して自己満足の為だけに懇願しているのではない事くらい十分に伝わっている。蛍は何処か遠い所で思いを巡らせた。出来る事なら今すぐにでも首を縦に振ってやりたい。幾つもの孤独な夜を越えてきただろう蛍袋を安心させてやりたい。しかし、蛍にはそれが出来ないのである。蛍は無駄と知りつつも震えそうになる声で尋ねた。
「どなたか、私が貴女の花の中で灯りを燈す姿をお見せしたい方がいらっしゃるのですね?」
 解っている。この問い掛けが蛍袋に期待を抱かせるだけの酷なものである事を。そして、聞いてしまえば蛍自身も後悔するだろう事も、先の蛍袋の切実な声色から分かりきっていた。あれ程切実な声で懇願するからには、それ相応の事情がある筈だ。それこそ、聞いてしまえば今よりもずっと蛍袋の願いを聞き入れてやりたくなるような事情が。しかし、そこにどんな事情があろうと、蛍には蛍袋の願いを叶える事は出来ないのである。蛍は問い掛けた事それ自体を早くも後悔し始めていた。が、後悔した所でもう遅い。後悔した時には蛍袋は既にはい、と頷いてしまっていたのである。
「この家には、とても美しい方が住んでいるのです」
 蛍袋は庭にぼんやりとした明かりを漏らす家を見上げ、熱の籠る声で言った。
「その方はお父様と二人で暮らしていらして、とても長い間病の為床に伏せっておいでです」
 蛍はのろのろと視線を蛍袋が見上げる家に映した。家には明かりが灯っている。あの明かりの中に、蛍袋が言う彼の人は居るのだろう。そしてしっとりと熱を帯びた蛍袋の声色から、蛍袋が彼の人に恋焦がれている事が分かった。
「あの方は既に生きる事を諦めていらっしゃいます。いつか訪れる死を恐れもせずに、ただ静かに来るべきその日を待っているのです。見ているこちらが切なくなるような、儚い微笑を浮かべて。あの方は、覚悟を決めていらっしゃいます」
 蛍袋はそこで一度言葉を区切った。短い沈黙の中で彼の人の事を想っているのだと、蛍にも伝わった。蛍袋は彼の人に想いを馳せた後、またすぐに熱の籠った声で続ける。
「でも、でも…何も望まず、何もかもを諦めて過ごされているあの方が、唯一つ淡い興味を向けるものがあったのです」
「それが、貴女に蛍の灯りが燈った姿なのですね?」
 蛍の確認の問いに、蛍袋は静々と頷いた。
「私は元々此処ではない野道に咲いていました。そこへ、体調が良い日にお父様と散歩に出ていらしたあの方が、偶々通り掛かったのです。そしてあの方は私を見つけて、そっと微笑んで下さったのです。可愛らしい花だと、褒めて下さったのです」
 再び蛍袋が短く沈黙する。彼の人が通り掛かった日の事を、浮かべてくれた微笑みを、褒めてくれた甘い声を、その細部に至るまで思い出しているのだろう。そうして何度も何度も、未だ鮮明に残る彼の人の最初の思い出を繰り返し繰り返し反芻してきたに違いなかった。目を閉じれば、蛍にもその時の情景が浮かんでくるようですらあった。そして蛍袋の声に宿る熱がその温度を増せば増す程、蛍の胸は捩れていく。が、蛍袋が捩れていく蛍の胸の内になど気付ける筈もない。悲鳴のような音を立てて軋む蛍の心になど気付きもせずに、蛍袋は尚も続ける。
作品名:宵待 作家名:孝馬 友嘉