鉄の馬で日本を駆けろ!
七月二六日 師匠との出会い
まだこの辺りも朝は涼しい、気温の低さで目を覚ます。後々のことになるのだが、SAで野宿をするという作戦は後半の道中を生き抜く上で重要な経験値を積むことになった。
SAは基本的にドライバーしか入ってこないし、酔っぱらいに絡まれることも、悪いガキんちょが来ることもない。案外安全なところなのだ。といっても野宿する奴そんなにおらんねんけど……。
とにかく、バイクは高速道路で水戸市まで行く。朝イチで日本三大庭園・水戸の偕楽園を観覧し、水戸と言えば納豆、ということで本場の納豆をいただく。現在では広く受け入れられている納豆だが、当時関西人には敬遠されがちだったので、珍しいとまではいかないまでも、あまりお目にかからない食材ではあった――。
そして国道123号線を西に進み宇都宮市を越えてさらに西、日光市に到着、ココにも一度は見てみたかったものがある。ご存知、日光東照宮だ。後の世界遺産となった日光東照宮、中学の時歴史の教科書で見たあの豪華絢爛でいて荘厳な建造物を一度は見てみたかったので、今日はそれを目標に相棒を走らせた。
すると、入り口前の車道に行列と人だかりが。
「さすが観光名所」
と思っていたらものものしい車列が……、なんと僕の前を通り抜けたのはなんと天皇皇后両陛下ではありませんか!この日はたまたまこちらに来られていたんですね。テレビのない生活をしていたので知りませんでした。にしてもこれは嬉しいハプニング。ご利益あるかもです。
あの「三猿」も「啼龍」も見ることができ、満足して日光をあとに宇都宮から東北道に入ると大きなトラブルが発生した。
* * *
高速道路を走ると、エンジンの噴けが急に悪くなり、どれだけアクセルを開けても時速90/hを越えないのだ。明らかなマシントラブルだ、僕は最初のPAに不時着した。
駐車場で相棒の点検をするが文系の学生には機械の細かいところはわからない。旅行四日目にしてはやくもゲームオーバーか、と途方にくれていると天の声が聞こえた。
おそらくこの出会いが泣ければ僕の旅はどこかで終わっていたに違いない――。
「こんにちは」
「あ、こんにちは」
30過ぎくらいのその男性は僕の横にある単車のライダーのようだ。単車はゼファー1100、ということは当時ではなかなか取得できない「限定解除」※の免許を持っている人だ。すなわち「バイクマスター」と呼ばれる人で、そんな人が250のしがない駆け出し単車乗りが声を掛けるなんて……、という心境だ。
「単車、調子悪いんか?」
「はい……」
そんな不安気な顔を見てほっとけなかったのか又は無謀な計画に呆れてるのか、僕の話を聞いて相棒を確認している。
「吸気系統かな。しばらく休めてまた走ればいい」
「ありがとうございます」
それから僕は単車をしばらく休め、その間雑談をした。
ゼファー1100を駆るこの方は、藤井さんといって山口県から来たそうだ。訳あって仕事を辞めて、次の仕事を始める前に退職金と失業保険を使って遠乗りを決め込んだと。目的地は北海道、それ以外は何も決めていない、風(ゼファー)のみぞ知るといった感じの方だ。
バイク歴は15の時から20年弱(「計算合わないけど気にするな」本人談)、まさにバイクマスターの称号にふさわしい。
「そうか、日本一周か」
「はい、学生の時に何かやってみたかったんです!」
僕は壮大な旅行計画を語った。といっても大まかな事だけで詳しいことは決めてもいないのだけど。
しばらくお互いに沈黙し、流れ行く車を眺めていると藤井さんは口を開いた。
「一緒に行かないか?」
「えっ?」
「目的地は同じじゃないか」
確かにお互いに目指す先は北海道だ。そして藤井さんの話では僕のペースで旅を進めてもらって構わないという。時間もお金も、そして経験にも余裕がある堂々とした言葉だ。
「いいんですか?」普通なら声も掛けられないようなレベルの人が道中ついてくれる事に断るという選択肢などどこにもない。
僕は藤井さんとガッチリ握手をした。どこまで一緒になるかは決めていない、だけどこれも旅だからいいのかなと思った。
この日僕たちは結局次の那須高原のPA迄進み、そこで野宿を決め込むことにした――。
* * *
本日到達した都道府県。
栃木 (13/47)
※平成8年7月当時、自動二輪免許(限定なし)は飛び込みの試験でしか取ることが出来ず、合格率も1割に満たなかったほどでした。かなりの単車好きかつ技術がないと取れないまさに選ばれた者のみの免許でした。
作品名:鉄の馬で日本を駆けろ! 作家名:八馬八朔