鉄の馬で日本を駆けろ!
八月二日 ありがとう!師匠
紋別のライダーハウスを後に、僕たちは網走に向けてオホーツク海沿いを東に向けて走った。道東地区に入ると気温はさらに下がる。雨が降るまでは至らないが気温を上げない曇天の下で防寒のためにカッパを着て単車を走らせる。暦は8月なんだけどね。
網走といえば「網走刑務所」ベタではありますが、ここへ来たので見学。明治時代の北海道開拓に一役は買っている。
* * *
刑務所を出所(出口にそう書いてある)すると、その時は確実に近づいている――。
昨日から分かっていたことであるが、ここまで一緒に走ってきてくれた藤井さんと別れるのだ。
昨日船の段取りを模索していたところ、藤井さんにこれからの行程を質問したら、
「もうちょっと北海道を走ろうと思う」
との事だった。もちろん反対はしなかった。というよりもここまで自分の予定に合わせてくれたこと自体が感謝であり、奇跡である。それは言葉などでは言い表せるものでは、ない。
網走で昼食をとったが僕は辛くて、言葉が出ずっと黙っていた。口数の多い関西人が冗談も言わずに黙っているから藤井さん困っていたに違いない。
その時が来た。食事を終えて駐輪場へ、僕は釧路(南)方面へ、藤井さんは知床(東)方面へ。いよいよお別れだ。
「ありがとうございました」
僕は手を差し出した。
「こっちこそ、楽しかった」
僕たちはがっちり握手をした。やっぱり言葉が出ない――。
「感謝しているんだったら、三つだけ聞いてほしい」
「はい、何を……ですか?」
手を取ったまま藤井さんは話を続ける。
「単車に乗り続けて、俺はいいからその経験を自分より若い者に教えてやって欲しい。それと限定解除は必ずすること。最後に……」
僕から藤井さんの手が離れた
「日本一周、成功したら俺に教えて欲しい」
「……はい」
「ありがとうな!」
藤井さんのゼファーに魂が入った。大排気量らしく低いエンジン音。その場で動けない僕に手を振って知床の方へ向かって颯爽と走り去った。その姿は涙でぼやけた、辛かった、でもそれ以上に感謝の気持ちでいっぱいだった。元々一人で旅に出たのに元に戻っただけだ。なのに、とんでもなく悲しい。
暫しの間、自分が許すまで感傷に浸り、気を取り直したところで僕も藤井さんに遅れて相棒に魂を入れた――。
* * *
一人になった僕は釧路を目指して北の大地を南へ。今まで藤井さんのゼファーを追い掛けていたのが、それもおらず、自分の経験と計算で進むことになる。大きな穴が空いたようだ。でも、ここで負けてはいけない。
網走から南へ、屈斜路湖を越えて摩周湖へ。摩周湖といえば霧、湖の真ん中にある浮き島は霧でなかなか拝めず、見えると出世しないと言われる。今年の北海道は曇りの年、行ってみるとこれ……。ガッツリ見えるのです、それもクッキリ。皆さんご安心を、それから20年近くが経ちますが、至って平均的にやっております。大丈夫ですよ、浮き島が見えたという方。
釧路に着いた時はもう夕方近かった。これから根室、さらには納沙布岬を目指そうと地図を広げて距離を見積もったが、どうも遠い※。昨日北海道を離れる時間と場所を設定したので、ここは無理できない。
僕は泣く泣く最東端探検を諦め、この周辺でライダーハウスを探すことにした。ライダーハウスなのに決まりが厳しく、仕方なしに泊めてやってるオーラが出ている。気分が滅入ってることも重なってあまり良いところとは言えない夜を過ごすことになった。
* * *
※根室(納沙布岬)は八年後の七月に到達しました。諦めたうえ、もう行くことないだろうと思ってただけに感慨無量でした。
作品名:鉄の馬で日本を駆けろ! 作家名:八馬八朔