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花は咲いたか(もうひとつの最終章)

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 すると湾の光景に気を取られていた兵たちに、一瞬にして力が漲り目に光をよみがえらせた。退却することしか頭になかった兵たちがもう一度銃を手に市中へ足を踏み出した。
 滝川充太郎から預かった伝習隊を大野右仲に託した土方は、和泉守兼定を手に関門の真ん中に立ちはだかった。
 砂埃まじりの海風が土方の右頬をかすめる。
 市中へと向かい始めた伝習士官隊、騎馬と歩兵の波の中から銃を手にふわりと滲み出た人影。
 その姿は兵士のものではない。猟師だ。
 タヌキ皮のちゃんちゃんこ、手には火縄銃、頬っかむりで顔を隠してはいるが。
 虎吉だ。
 うめ花は夕霧の腹を蹴った。
 両手で銃を構え撃鉄を起こす。
 虎吉は銃口を土方に向けている。
 左に虎吉。右に土方。うめ花はそのど真ん中にいた。
 どちらへ走っても間に合わない。
 夕霧を足だけで操り銃を構えたまま、虎吉に照準を合わせる。刹那、カン高い銃声。
 虎吉の身体は火縄ごと弾き飛ばされ血しぶきが舞った。
 その銃口を右へ返し、そのまま土方に狙いを合わせる。
 今しかない。
 この一瞬しか・・・。
 頭で考えたわけではない、身体が勝手に考え身体が勝手に動いた。

 その時、カン高い銃声がして土方は音のした方へふと目を向けた。
 その目に見えたのは雲の切れ間から差し込んだ陽の光と、天から仏が遣わした摩利支天の姿だった。背にまばゆい光背をまとい日天の前で疾走する守護神。その守護神が戦場で戦う自分の前に現れたのだ。
 その摩利支天を見た時土方は叫んでいた。
 仏の加護が光となってその身にふりそそいだ瞬間。
「我、この関門にありて退く者は斬るっ!!」
 大音声で兼定を振り上げた瞬間であった。
 摩利支天が土方を撃った。
 馬から兼定を握ったまま、ゆっくりと土方の身体が傾きどさりと落ちた。
「奉行っ!奉行っ!!」
「誰かっ!土方さんが撃たれた!!手を貸してくれ!」
 土方の傍らにいた隊士の立川主税と奉行添え役の安富才助がおろおろととり乱し、土方を運ぼうとしていた。
 うめ花は夕霧の背でその光景を見ていた。
 どこからか戸板が持ち出され、土方は近くの納屋に運び込まれていく。
 うめ花のまわりの音という音は消え去り、自分の心臓だけが狂ったように音を立てていた。そして土方のまわりのそこだけが時間を忘れたように、のろのろと動く。
 手から、スペンサー銃が滑り落ちた。
 うめ花はハッと我に返り納屋へと駆けつけた。
 夕霧の背から飛び降りる。
 納屋の扉を開け叫ぶ。
「義豊さんっ!」
「あっ、うめ花さん土方さんが撃たれた!」
 突然現れたうめ花に驚きながらも隊士らは手当てをしようと土方の服をはがそうとしている。銃創付近は血が飛び散ってはいるものの出血はそう多くはない。
「奉行っ!しっかりしてくださいっ出血は少ないですからっ!」
「うっ・・・」
 苦しそうに顔をゆがめ無意識のまま土方がうなる。
「義豊さんっ、・・・撃ったのは、私です」
 誰もが一瞬で硬直した。そして言葉もなくうめ花の顔をいっせいに凝視する。
「皆さん、聞いてください」
 土方の傷口を改めると、白いシャツに血は付着しているものの傷口は強烈な衝撃で表皮が弾けて破れているだけのようだった。うめ花は土方のチョッキのポケットに手を入れると、金属の塊らしきものを取り出した。
「これです、これを狙って撃ちました」
 ぶ厚い真鍮製の懐中時計は原型をとどめておらず、弾が当たったと思われる蓋の真ん中から金属を恐ろしい力で弾けさせ、懐中時計の本体を突き抜ける寸前までゆがませていた。
「懐中時計に当たったとはいえ、肋骨が折れているはずです。命そのものに問題はありませんが、戦場に復帰はできません」
 うめ花は両手を前に地面に額を擦り付けた。
「お願いですっ土方は死んだことにしてくださいっ」
 土方の周りを取り囲んだ隊士らは、物も言えずに顔を見合わせている。
 しばらく納屋の中に沈黙が満る。
「近藤さんと同じになって欲しくはないよな・・・」
 立川主税がポツリという。
 生きてこの戦いの終結を迎えれば、新政府軍に身柄を拘束される土方の行く末はたったひとつだった。未だに、京でおきた坂本龍馬暗殺事件の首謀者は新選組だとされている。その新選組の副長に、生きて次の時代を迎える希望は皆無だった。
 今、土方の周りを取り囲んだ隊士は、京にいた頃の副長の土方だけを見てきたわけではなく、蝦夷までついてきて初めて土方歳三という男の深さを知りその人柄を慕った者たちであった。
「新政府の奴らに副長は渡せねえ」
「そうですよ、副長には生きててもらわなきゃ・・・俺たち、俺たち苦労ばっかりかけたから・・・」
 馬丁の沢忠助はびいびい泣き出し、しゃっくりあげている。
 安富才助はそこにいる隊士らの顔をひとりひとり見回し、大きく頷いた。
「いいな」
 皆が安富才助に頷き返した。



 歳三は淡い光の中でゆっくりと目を開けた。板壁の隙間に光が差し込み、暗い色の床に短冊形のきらめきが踊っている。ここがどこかはわからないが、自分はひどく静かな空間にいるらしかった。
 鳥がさえずる声、風が木々を通り抜けるざわめき、水がほとばしるような音。これは確かに現世のものだ。
(俺は生きてるのか)
 腕を動かそうとして、激痛が走り無理に動くのをやめた。そのかわり頭だけを動かしてみる。(うっ)やはり痛む。何をやっても痛みが上半身を走る。仕方なく頭の中で、記憶の糸をたぐり始めた。
 自分の記憶はあの摩利支天を見たところでぷつりと途切れている。確かに総攻撃の真っ最中で、俺は一本木関門にいた。弁天台場が孤立したのを救うため、退却してきた兵たちを市中へ押し戻そうとして。
 そこまで思い返すと、身体中の血が頭に駆け上がろうとして血管をさかのぼる。そして胸に激痛が押し寄せ思考は一時中断した。
 新選組がどうなったのかだけ知りたい。戦の勝敗に興味はないが最後まで付き従ってくれた者達と、新選組の安否だけは気掛かりだった。たぶん、俺はあのまま戦線を離脱したのだろう。だからここに居るのだが・・・。
 大きく息を吸い込むと、また胸に激痛だ。思わず顔をしかめていると、外から小さな足音が近づく。
 乾いた音をたてて小屋の扉が開かれると、外からまばゆい光に後押しされて入ってきたのは、
「うめ花?」
「義豊さん、良かった・・・」
 うめ花は声を低くして歳三の枕元に座り込む。
「ごめんなさい、撃ったのは私です。私が私のわがままのために、義豊さんをこんな目に合わせてしまって・・・」
 肩が激しく震え涙声は途切れて続かない。
 うめ花は自分が銃口を向けた相手が歳三だと知っていて撃った。命を奪おうとか新政府軍へ寝返ったとか決してそんな理由でないことはわかっている。だが、最愛の男に銃を向けたことはうめ花の心に暗い影を落とし、何か頑なな物でその心を塞いでしまった。

 箱舘戦争は終結し、降伏した者達もそれぞれに身柄を拘束され預けられたり、投獄されたりしたが、殺されたり斬首になった者はいなかった。やがて月日がたち許され自由の身となる者達だ。