花は咲いたか(もうひとつの最終章)
小屋の壁から手に取ったのは、父の銃であった。同じスペンサー銃だが父のものは少し長くて重いのだ。父は馬に乗らないので歩兵型の銃を愛用していた。
小屋の入り口に座り込み月明かりの下で銃の点検を始める。
伝習歩兵隊に銃の点検方法を教えた時のことが思い出された。伝習隊の銃も歩兵型のスペンサー銃だった。歩兵はどうしても胸壁から撃ったり片膝をついて扱うため、うめ花の銃のようなアクションレバーは邪魔だったからだ。
七つの弾を込め、照準をもう一度のぞく。
点検と準備を終え、暗い小屋の外をただながめている。
明日はきっと長い一日になるのだろう。勝てる見込みのない戦いにそれでも、なおも持てる精一杯で挑もうとしている愛しい男を思う。
どんな終わりになるのか、それとも終わらないのか・・・。意識はぼんやりとしていたが、眠りは訪れそうにない。
木立の中で気の早い鳥たちが、薄闇の中でかすかな声を上げる。
小屋の壁にもたれてうたた寝をしていたらしく、ハッと目を覚ました。遠くから砲の音が響く、戦端は開かれているらしかった。あわてて立ち上がり大きく伸びをしてそのまま小屋を出る。沢の水で顔を洗い、頭のてっぺんで結んだ髪の束をするりとしごいて夕霧に飛び乗った。
夕霧の首をポンと叩くと、ブルッと答えゆるやかな山道を小走りに駆け下った。
目標はない。
目の前に千代ヶ岳の陣屋、背後に五稜郭。
土方が五稜郭や陣屋にこもっているはずがない。戦場にいるに違いない。
箱舘山に錦旗が翻り湾には無数の敵軍艦、七重浜方面からも銃の音が響く。
うめ花は一瞬目を閉じた。
土方だったらどこへ出陣するだろう。
市中を守る伝習士官隊、箱舘山の下に新選組、そして弁天台場。箱舘山に錦旗が翻ったことで、市中に新政府軍がなだれこんでくることは土方と共にいて学び取っていた。
だったら市中に向おう。
新政府軍が市中を制圧するのを、土方が黙って見過ごすはずはないからだ。
戦闘の真っただ中に入っていくことを少しも恐ろしいとは思っていない。
なにより怖いのは、自分の視界から土方が消えてしまうこと。そしてもっと恐ろしいのは、戦が終結して生き残った土方が新政府軍に捕らわれその身を拘束されることだった。
慶応3年、京で土佐の坂本龍馬が暗殺され、その実行犯は新選組だと今でも土佐藩は考えているらしかった。その恨みを受けて近藤局長も斬首になったのだと、新選組の島田魁が教えてくれた。
土方が新選組の副長であったことはまぎれもない事実であるとしても、新政府軍に土方を渡すくらいなら自分が身代りになりたいと思う。たとえば、土方が戦場で斃れたとして…土方の首はもとより指一本、髪の毛一本も新政府軍にくれてやる気などない。
うめ花はもう一度、銃を肩からおろして照準を合わせ弾の装填を確かめると、懐から取り出した赤い鉢巻をきりりと巻いた。赤は土方の色だ、自分の持ち物の差し色のほぼすべてを赤で統一しているほどだ。
そして自分が向かおうとしている前方を真っ直ぐに見据え、夕霧の腹を蹴った。
うめ花は間道を進み、時々視界の開けた場所から松前街道をうかがった。松前街道は五稜郭と箱舘市中をつなぐ主要な道だ。両軍がぶつかるのも、松前街道と思われた。
戦闘の音は聞こえていたが、うめ花は冷静でいようとした。
湾から放たれる砲撃の地響き、敵味方どちらともわからぬ銃声、叫び声、馬と人の入り乱れた足音、金属のぶつかり合い、衝撃音。
ひとたび、この物陰から飛び出したら否応なく自分も戦いの渦に巻き込まれていく。
ひとつ、深い息を吸い込んで静かに吐き出すとうめ花は夕霧の腹を蹴った。
「ハッ!」
街道上はすでに戦闘の真っただ中だった。左手の市中側では松前藩兵と伝習士官隊が入り乱れていた。
パパパパンと銃声の音が重なって響き、馬上から転がり落ちる戦士。立ちあがる白っぽい砂埃で視界が遮られた。
と、そこに土埃の中から騎馬が単身飛び出してきた。士官隊の滝川充太郎だ。何か怒鳴り声を挙げて、右手の関門方面に駆けていく。
「土方奉行はどちらですかーっ!」
遅れてばらばらと伝習士官隊が関門へと退きはじめた。
「あっ・・・」
市中は新政府軍であふれかえっているのだろう。無事なら後ろから新選組も退却してくるかもしれない。
夕霧の手綱を引くと、うめ花は滝川充太郎の後を追った。
土方を探しながら馬を駆る滝川が、確実にそこへ導いてくれるだろう。
男たちの戦に手を出すつもりはない。
だが、土方の姿をこの視界の中に置きたい。この一日がどう終わるのかこの戦いの終わりをどう迎えるのか、この目で見ておきたいのだ。
数十騎の騎馬と、銃を手にした歩兵がどんどん関門を目指し退却をしている。この流れの端でうめ花も流されている。
流れの中に目を凝らしても市中から新選組が退いてくる気配がない。取り残されてしまったのか。
一本木関門の柵が見え、その向こうに探している人の姿を見た。
一番上等な軍服をつけ胸に揺れる銀の鎖。上着はうめ花の手元にあるから、白いシャツに黒のチョッキ姿だ。遠目にもすでにその姿は土埃にまみれていた。
滝川充太郎が、土方のもとへ馬を寄せ何やら叫んでいたが、そのまま五稜郭の方へと滝川は駆けていく。
湾では浮き砲台としての役目を終えた回天丸を捨てて、荒井海軍奉行と海軍の男たちを乗せた小舟が関門の後ろの浜に着いた。このまま五稜郭へ退くのだろう。
そこを七重浜方面にいた新政府軍の兵がちょっかいを出しに来た。銃を撃ちかけられ海軍も腰のピストルを向けるが、ライフル銃とでは相手にならない。
「蹴散らせっ!味方を援護するんだーっ!」
土方の良く通る声が聞こえ浜へと突進していく。手には和泉守兼定、土方自慢の愛刀だ。下げ緒が赤いのですぐに判断がつく。
七重浜方面からの敵は、土方らの騎馬を見て後ずさりして尻もちをつく者、銃を放り出す者、そして馬上からスカリスカリと斬りおろされて倒れる者。瞬く間に敵は蹴散らされ、その勢いはまさしく軍神。
「走れーっ!このスキに五稜郭へ退けーっ!」
荒井郁之助が一瞬立ち止まり、土方に何か声を掛けた。その時、土方の顔に笑みが浮かんだ。口の動きから(また会おう)と言っているように見えたのは気のせいか。
浜の敵兵があらかたになってくると、
「戻るぞっ!市中へ押し戻すんだっ!」
すばやく関門へと駆けだす。疾風のように駆け戻って来た土方が市中から退いてくる箱舘軍を見た。
新政府軍に押されている。
弁天台場が孤立する。
箱舘市中を新政府軍に掌握されてしまうと、新選組は五稜郭との連絡が途絶え滅亡への道を辿ることになる。
その時、大地を揺るがすような大爆音が港であがり、いっせいに箱舘湾に視線を引き付けられた。
箱舘軍の蟠龍丸が新政府軍の軍艦朝陽丸を撃沈したのだ。爆音があがった瞬間に破片と化した船体が炎をまとって海に落下。
「この機を逃すなーっ!敵軍艦は撃沈されたっ。今こそ市中へ押し返し弁天台場を救えーっ!」
土方が大声で味方を鼓舞する。
作品名:花は咲いたか(もうひとつの最終章) 作家名:伽羅