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腐りかけたリンゴ

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「あ、なにする、やめ、うわああああああああ!」
 大男は獣じみた叫び声をあげながら消えていった。
 やっとうるさいヤツがいなくなった。しかし……、
 ガチャ、ガチャ、ガチャ。
 だめだ、なんどやっても反応しない……。
 機体の落下速度が早まっている。地上がぐんぐん近づいている。
 降下装置が作動しない場合の対処法など習った記憶がない。
 ど、どうする……?
「故障か?」
 オルタナ中尉がおれに声をかけた。
 彼女は穴だらけでもはや機内とは言えない場所をゆうゆうと歩いている。
「ちゅ、中尉!? まだ機内に!?」
「うん。どうやらわたしたちで最後のようだ」
 平然と言ってのけた。
「レバーから手を離せ。わたしがやってみよう」
「なにを言っているんですか! はやくご自分のパラシュートで脱出を……」
「わたしには必要ない。キミは上官の命令に従うべきだ」
 頭がおかしいんじゃないか? 
 だが、その紫色の瞳は冷静そのもので、おれは黙って従うしかなかった。
 オルタナ中尉はおれの方へ右手を突き出すと、
「これからなにが起きても決してあわてるな。そして、このことは他言無用だ」
 と忠告した。
 キュイィィィン……!
 中尉の身体からエンジンが回転するような音がして、突き出した細い指さきが青白く発光した。それと同時に座席のレバーが独りでに動きだし、ガチャガチャと激しく前後した。
 ガチャン! ガチャン! ガチャン! バキッ!
「うわっ!」
 ステンレス製のレバーが根元から折れて、機の後方へ飛んで行ってしまった。
 ……。
 ってことは、あれ? 終わったんじゃないの、おれ?
「…………」
「……そ、そんな目で見るな。いまのは試してみただけだ」
 中尉がはじめてうろたえた。どうも、気づかぬうちに非難の目を浴びせていたらしい。
「もう一度いくぞ」
 ふたたび中尉の指さきが発光した。よく見ると、手の甲についている水晶のような装置が青い光を放っている。
 座席を固定している鋼鉄製の金具が粘土のようにひん曲がって外れていく。ネジやボルトが四方八方に飛び散り、メリメリと悲鳴をあげている。
 この現象は彼女の力によるものだと信じるしかない。なにがなんだか分からないが、とにかくすげえおっかない。
「中尉! 中尉! もっと優しくお願いできませんか!」
 思わず口に出したものの、彼女の耳には入らなかったようで。
「最後だ。しっかりつかまって!」
 有無を言わさぬ彼女の言葉に、おれはベルトを強く握り込んだ。
 オルタナ中尉がギュッと拳を握ると、
「うわあああああああ!」
 正体不明の見えない力に引っ張られる感覚がして、おれは座席ごと無理矢理ドロップシップのそとに投げ出された。
 機体がぐんぐん遠ざかっていく。
 不安定な状態で射出されたため身体がきりもみ状態に回転して目が回る。
 中尉は? 脱出したのか?
 はっきりしない思考のなか、おれに光る手をかざしているオルタナ中尉の姿が目に焼き付いて離れない。
 座席の背もたれからパラシュートが発射されて、落下速度が遅くなると同時に身体が安定した。
 上空にはいくつもの落下傘が確認できる。このまま風に乗っていくとロンドンの旧市街地に降りることになりそうだが、そこも安全なエリアではないだろう。
 郊外を流れる川のそばに僚機のドロップシップが墜落している。バラバラになって黒煙をあげているその機体に、四方から虫どもの群れが這いよってきている。搭乗員がもし生きていたとしても、あれでは助かる見込みはない……。
「◯八小隊聞こえるか。こちらハインツ」
 ハインツ軍曹からの無線が入った。
「ただいま旧市街地において敵と交戦中。地上はすでに地獄だ」
 ライフルを発砲する音がひっきりなしに交じっている。耳をそむけたくなる無線連絡だが、覚悟を決めるしかない。
「各員、ナビゲーターを起動して座標をX54Y32に設定しろ。繰り返す座標を……」
 おれはコンバットスーツの二の腕の部分についている超小型の情報端末を操作して、ナビゲーターを起動し、言われたとおりの座標を入力した。こいつが現在地と座標の相対距離を計算し、おれを目標地点に連れて行ってくれる。
「そこが十三中隊の合流地点だ。隊員の多くが風に流されて落下地点がバラバラだ。そのすべてを回収してまわる余裕はない。生き残りたかったらそこまで走れ! 以上! 交信を終了する!」
 軍曹はあわただしく無線を中断した。最後の部分には至近距離でライフルを発砲する音が交じっていた。敵に襲われているんだ。
 なんてこった!
 レイチェルは? マイルスは? あいつらがこの状況で生き残れるはずがないだろう!
 あきらかに作戦本部の手落ちだ。軍の上層部はどうしてこういつもいつもヘマをやらかすんだ!
 墜落寸前のドロップシップが目にはいった。おれたちが乗ってきた船だ。半壊している機体が黒煙を上げ、ありえない角度まで前のめりになっている。それはすでに落下するだけの巨大な鉄の塊だ。
 それはロンドンのビルに衝突し、ピンボールのようにビル群の間を跳ね回って見えなくなってしまった。
 オルタナ中尉は無事に脱出したのだろうか。パラシュートが不必要だという言葉も、虚勢を張っているようには見えなかった。とにかく、奇妙な人だった。
 それに……美人だった……。
 また会えるといいのだが……。
 妄想にひたっている場合ではない。目の前に巨大なビルがせまっていた。
 しかし、地上はまだ五十メートル以上はなれている。
 風があまりにも強くトグルを引いてもターンが間に合わない。このままではおれもビルに激突してドロップシップの二の舞だ。
「くそっ!」
 おれは両方のトグルを思いっきり引いてフルブレーキをかけた。激突が避けられないなら、減速して衝撃を抑えるしかない。
 巨大な壁が猛スピードでせまってくる。
 なるたけ垂直にビルにむかうように調整すると、脇から拳銃を引き抜いて窓に向けて発射する。
 ガン! ガン! ガン!
 窓ガラスに円状の穴を開け、両腕で後頭部をガードする。
 ガッシャーン!
 分厚いガラスを体当たりでぶち割ってビル内に飛び込んだ。
 装備品とともに激しく室内を転がり、そこら中のものに身体をぶつけた。
 重たいなにかに衝突して全身に鈍い痛みが走ったが、ようやく終点に付いた。このまま朝まで横になっていた気分だったが、即座に立ち上がって拳銃を構える。
 敵は確認できない。ビルの中はしんとしていて人間はもちろん敵の気配もしない。
 オフィスビルのようだ。同じ型のデスクがいくつも並び、旧式のパソコンがほこりをかぶっている。かつてはここで銀行員や商社マンなどがあくせく働いていたのだろう。
 最後に衝突したのは旧式のコピー機だった。いまの衝撃で側面が破壊されて横倒しになっている。コンバットスーツを着ていなかったら背骨がくだけていたかもしれない。八階から落ちても無傷でいられるスーツだ、と軍がうたうだけのことはある。
 窮屈なベルトをやっと外すことができる。切り離されたパラシュートが窓枠にひっかかってパタパタと風にあおられている。
 ……ひとまず安全だ。しかし、いつまでもここにいるわけにはいかない。
作品名:腐りかけたリンゴ 作家名:橘慶斗