腐りかけたリンゴ
軍曹はブーツを踏みならしながら狭い通路を後ろ手に行き来する。
「ゴキブリでも腹を壊すきさまらを敵のエサにくれてやりたいところだが、惑星地球軍の神さまのような方々が、脳みそを動かさなくても実行できる任務を我が小隊に与えてくださった! 死にたくなければ聞け!」
深い傷跡があるおっかない顔がおれの目の前を横切ってキャビンの最奥にむかった。
「まずはこちらの方からあいさつがある」
軍曹がそう言うと奥の席から一人の隊員が立ち上がった。
知らない顔だ。
彼……、いや彼女はコンバットスーツの上から下士官のマントを羽織っていた。
さらっとした金色のショートヘアに少年と見まがいそうな中性的な顔立ちをしていたため一瞬勘違いをしたが、スーツの上からでもわかる均整のとれたプロポーションは間違いなく女性のものだ。
「敬礼!」
軍曹の号令で隊員が右手をひたいにそえる。
それに応じて、彼女は見本のような敬礼をぴしりと決めると代わって号令をかけた。
「直れ! ◯八小隊のみなさん初めまして。わたしはオルタナ・ウィルクス。惑星地球軍、特殊工作部隊所属、階級は中尉です。地球軍本部より特殊な任務を受け、今度のミッションに参加しました。しばらくの間みなさんと同行することになりますので、どうかよろしく」
軍人にはめずらしい丁寧な物言いをする人だった。
オルタナ中尉はスラリとした長身の女性で、褐色の肌にシュッと引き締まった端正な顔つきをしている。いかにも機敏に動きそうな長くてしなやかな四肢。女性らしい上品な丸みを帯びたバストやヒップがタイトなコンバットスーツによって美しく強調されている。
他に気になったのは、その魅力的な身体にはなんの装備もついていないことだ。彼女の言う特殊な任務とやらが戦闘以外を目的にしているのだとしても、丸腰で戦場にむかう軍人は見たことがない。
「ありがとう、中尉殿。あとはわたしが……」
ハインツ軍曹があとを引き取ろうとすると……、
ビーーッ! ビーーッ! ビーーッ!
艦内の警告ブザーがやかましく鳴った。
「緊急事態! 緊急事態! 識別不明の高熱源体が急速接近中! みんなつかまって!」
パイロットのアナウンスが入ると同時に船が大きく傾き、急旋回による負荷がぐっとのしかかってきた。
「きゃーーーっ!」
レイチェルが叫んだ。
グォォォォン!
船のすぐそばをなにか巨大なものが通過していく音がした。
轟音と強烈なGで目がくらむ。
艦内が騒がしくなった。
「いまのはなんだ!?」
「ありえねえ! 死ぬかと思ったぜ!」
「うう、吐きそう……」
隊員がパニックを起こしかけている。
「ふざけんな! こんなところでくたばってたまるか!」
マイルスがベルトをいじくり回しながら、血相を変えて叫んでいる。
「マイルス、ベルトをはずすな危険だ!」
「うるせえ! おれは降りるぞ!」
「降りるってどこに降りるつもりだ。とにかく落ちつけって」
おれは自分に言い聞かせるように、落ち着け落ち着けとくりかえし言った。
敵の攻撃だ。それ以外に考えられない。安全なエリアを飛んでいるんじゃないのか? 外でいったいなにが起きている? 地上は?
ハインツ軍曹が手すりにしがみついて隊員を見回しながら言った。
「全員無事か!? 各隊員はとなりの席に座っている者に声をかけ異常があればすぐに知らせろ。絶対に席を離れるなよ! 本部に連絡していますぐ状況を確認する」
軍曹は席につくと無線による連絡を開始した。くちびるから血を滴らせている。いまの衝撃で切ったのだろう。
「先輩! 先輩!」
レイチェルが必死の形相で呼びかけている。ひっひっと息をあらげ、苦しそうに青ざめている。恐怖で過呼吸を起こしているのだ。
「大丈夫だから、ゆっくりと息を吐き出してみろ」
「でも、でも」
「深呼吸だ。学校で習っただろ?」
「……ハァ、ハァ。スゥー、ハァーー……」
「上手いぞ。そしたら……」
ビーーッ! ビーーッ! ビーーッ!
ふたたび警告ブザーが鳴り響いた。
「つかまれっ!」
そして、朝食のスクランブルエッグをリバースしそうな急降下、それと同時に無慈悲な旋回。しかし……。
ドッガアァァァン!
ぶん殴られたかのような衝撃。目の前が真っ白になって、このときばかりはさすがに死んだかと思った……。
我が目を疑いたくなる光景だ。キャビンの後方が吹っ飛んで、かわりに地球の空がひろがっていた。
機内を突風が荒れ狂う。
「きゃあああああっ!」
レイチェルのポニーテールが風にあおられ、座席ごと外に飛ばされそうだ。
だが、この状況でおれにできることはない……。座席からはなれれば文句なしに地上へ真っ逆さまだ。
いまの一撃で◯八小隊は隊員の三分の一を失った。
「操縦不能。操縦不能。本機はまもなく墜落します。可能なかぎり機を水平に保ちますので、生きている人はぱっぱと降りてくださーい」
メリッサ伍長から最後の艦内放送が入った。
ガチャン、ウィィィン……。
座席の下のフラップが開いてパラシュートによる降下をうながす。
おれたちは高度一万フィートの上空で宙ぶらりんの状態だ。
足のはるか下にはかつてロンドンと呼ばれていた都市がある。害虫どもの侵略によって無人の廃墟と化し、石造りの美しい街並もいまでは瓦礫の山だ。
地上のいたるところから続々と巨大な火の玉が発射されている。ドロップシップの編隊をねらっての対空砲火だ。
旧ロンドンでは数カ所から黒煙が上がっている。すでに戦闘が始まっているのだろう。
ここに降りろと……?
「◯八小隊各員に告ぐ」
ヘルメットに備え付けられた無線機から軍曹の指示が聞こえた。
「生き残っている者は各自のタイミングで降下を開始しろ。まずは生き残ることが優先だ。不測の事態だが、きさまらがやるべきことはいつもとかわらん。訓練どおりにやればいい。地上で会おう!」
軍曹はそう言い切ると、脇のレバーを引っ張って座席ごと降下した。
他の隊員も後につづいて降下していく。
「レイチェル! 早く降りろ!」
強風によって声がかすれてしまう。
「カズヤ先輩たちは!?」
「心配するな! すぐに行く!」
レイチェルは覚悟を決めたように微笑んだ。そして、小さな口を動かして何かをぼそりと言うと、力強くレバーを引いて座席ごと機から脱出した。
生きていたらまた会いましょう。
そう言ったのだと思う。
さあ、今度はおれの番だ。アーメン!
頭の横にあるレバーをガツンと引く。
……が、何も起きない。もう一度レバーを引くが降下装置が機能しない。
「どうしたカズヤ? なぜ降りない?」
マイルスがおれの方を見て言う。その顔にはすでに脂汗でぐちゃぐちゃだ。こいつは、どうやらおれを先に行かせてその後につづくつもりだったらしい。
「わからんが、レバーが故障しているみたいだ」
「はあ!? ど、ど、どうすんだよそれじゃあ!」
「いいから、お前は先に行け」
「だめだって! 一人じゃ無理だ! こんなの死んじまうよお!」
「うるせえっ。早く行け!」
おれはマイルスの方へ手を伸ばして、彼の座席のレバーを無理矢理引っ張った。