腐りかけたリンゴ
重たい金属音がして船がぐらついた。
搭乗しているドロップシップが母船から切り離されたのだ。
これでおれたち第五歩兵大隊第十三中隊◯八小隊は袋のネズミ。戦場に引っ張りだされ、人食い虫どもに追いかけまわされ、弾倉が空になるまでライフルをぶっ放したあと、上官からありがたく帰還命令を頂戴するまでは、どうあがいたって自力で母船に戻ることはできない。
三十機からなるドロップシップの編隊は地球へむかう。地球と言っても、人類が地上を支配していたころとはまるでちがう腐りかけた惑星だが……。
この小型の降下艇はおれたちを地獄の戦場まではこぶ、鉄の棺桶だ。
長方形のキャビンには壁際にシートが並んでいて、小隊員が向かい合わせに着席している。窓一つないせまい船内に二十六名の武装した兵士が隙間なく詰め込まれ、待機しているだけで息がつまりそうだ。
「おい、いまのはなんだ? 揺れたぜ?」
となりに座っているマイルス・ロングボトム一等兵が大げさに反応して言った。
「なんでもない。ただの発艦の衝撃だ」
「そ、そうか。いきなり揺れたもんだから、ちょっと驚いただけだ」
マイルスは一向に落ちつかない様子できょろきょろと船内を見回している。
「おい、みっともないからじっとしてろよ」
おれはマイルスの小刻みに震える身体を肘でこづいて言った。
「だってよう。ただ座って待ってるだけじゃあ神経が持たねえよ。のんびり飛んでたら地球につく前に敵に撃ち落とされちまう……」
「しっ!」
案の定、マイルスが口を滑らせた。出撃にそなえている他の隊員たちから非難の視線がそそがれる。ほとんどが二十代前半の若い隊員ばかりで、今回が初の出撃任務だというやつもいる。それをこいつときたら……。
「大丈夫。そんなことは絶対にない。安全が確認されてるエリアを飛んで行くんだから」
おれは部隊の連中に聞こえるように訂正した。
「ああ、すまねえ。どうも頭が回らなくて……」
「回さなくていい。余計な心配をするだけだ」
おれがそう言うと、マイルスはしょげたようにうなだれてしまった。
マイルスは身長一九〇センチ、体重一二〇キロを超える巨漢である。アフリカ系の黒い肌に濃い髭をはやしたその姿は猛獣だって恐れをなすだろう。しかし、神さまはなんのつもりかこいつにノミの心臓を与えやがった。おかげでやたら神経質なキングコングが完成した。普段は日本製のアニメーションをこよなく愛する心の優しい男で、おれの一番の友人である。戦場でも頼りにしたいのだが、この病的なビビリ症が土壇場でどう影響するか不安でしょうがない。
「ちょっと、あなたたち」
向かいがわで待機している隊員が呼びかけた。
「すでに作戦は始まっています。私語はつつしむべきです」
レイチェル・シモンズ二等兵がぴしりと言いはなつ。その語気はつよく容赦ないが、一五〇センチに満たない彼女の小さな身体が頑丈な四点式シートベルトに拘束されている姿から、遊園地のジェットコースターに座らされている女の子を連想してしまう。それは彼女の子供っぽい丸顔と相まって、戦場にむかう恐怖を忘れさせる光景だった。
「ちょっと聞いてるんですか? カズヤ・キリシマ一等兵殿」
レイチェルが怪訝な顔つきでおれの名を呼んだので、遊園地から我に返った。
「ああ、なんだレイチェル。ベルトが苦しいのか?」
「ちょっ……、子供扱いしないでください! わたしは平気です! 先輩たちがぺちゃくちゃしゃべっているから注意したんです!」
ムキになって足をばたつかせている。
「あんまりはしゃぐとベルトがゆるむぞ」
「はしゃいでないー!」
ベルトの拘束がなかったら飛びかかってきたかもしれない。小さいながらマイルスよりもよほど手のかかる怪獣だ。
レイチェルは十七歳で◯八小隊の最年少だ。真っ白な肌をしたアイルランド系の少女で、ふんわりとした金髪の巻き毛を後ろでひとつにまとめている。あどけなさが残るふっくらとした輪郭に水色の瞳が輝いていて、上等な西洋人形のように愛らしい容姿をしている。その細い首が、かぶっている重厚なヘルメットの重みで折れてしまわないかと心配になる。
彼女は士官候補生で、卒業後は一般兵であるおれの上官になるだろう。しかし、実戦での経験を積むため、今回の作戦に二等兵として参加している。だから、作戦が終了するまではおれやマイルスの部下である。
「あっ!」
言わんこっちゃない。レイチェルのタクティカルベストの弾薬ポーチから予備の弾倉がこぼれ落ちて、無重力の船内に浮遊した。
「待って! 待って!」
彼女はあわてて小さな手を伸ばすが、座席から離れることができないため、むなしく宙をつかむばかりで届きそうにない。
そのとき、
「ピンポンパンポーン♪ ◯八小隊のみなさーん。こちら美人パイロットのメリッサ・ハドソン伍長さんでーす」
場違い感を隠そうともしない陽気な艦内放送がはいった。
「本日は惑星地球軍のドロップシップをご利用いただきまことにサンキューでございまーす。本機はこれより大気圏に突入し地球へと降下します。しばらくの間とーっても揺れますので、ベルトをしっかりとしめて、装備を落っことさないように注意してくださいね」
それを聞いたレイチェルの顔からさっと血の気が引いた。
おれはこちらに漂ってきた弾倉をキャッチして、座席に着いた状態から限界まで腕を伸ばしてそれを持ち主にパスする。
「それをしまって大人しくしていろ。きちんとベルトを締めなおしてな」
「うー……」
レイチェルはまだなにか言いたそうに口を尖らせているが、大人しく従った。これでしばらくは黙っていてくれるだろう。
彼女もおれたちと同じ地球軍から支給されたコンバットスーツを身につけているが、その華奢な身体はどうみたって戦闘には向いていない。とうぜん、部隊では後方支援を担当する。
士官学校では優秀な成績をおさめているエリートらしいが、現実の敵はシミュレーション通りには動いてくれない。気性の荒い彼女が、部隊の後方で大人しくしていてくれればいいが……。
ゴゴゴゴ……。
つまった便所みたいな音とともに機体が激しく揺れる。地球に降下するのはこれで三度目だが、この瞬間はいまだに生きた心地がしない。
「ぐうううう……死んじまう、死んじまうよおおおおおお……」
マイルスがかたく目を閉じて小さな悲鳴をあげている。
「死にゃしねえって……」
おまえだって大気圏突入は初めてじゃねえだろ。なさけない悲鳴を聞かせないでくれよ、頼むから……。
轟音と揺れが次第に小さくなると、かわりに地球の重力がぐっとのしかかってきた。母船やコロニーにも人工重量が存在するが、この身体にかかる重みが地球によるものだという感慨には特別なものがある。
「どうだレイチェル? しょんべん漏らしたんじゃないか?」
「ふん、言うと思いました。ですが残念でしたね。こんなの全然へっちゃらです」
レイチェルは鼻で笑って、大いばりに言った。
まったく。かわいげのない後輩である。
「気をつけ! 無駄口を許した覚えはないぞウジ虫ども!」
ハインツ軍曹の張りのある檄がとんだ。全隊員が一斉に背筋をのばして上官の指示を聞く態勢をとる。
搭乗しているドロップシップが母船から切り離されたのだ。
これでおれたち第五歩兵大隊第十三中隊◯八小隊は袋のネズミ。戦場に引っ張りだされ、人食い虫どもに追いかけまわされ、弾倉が空になるまでライフルをぶっ放したあと、上官からありがたく帰還命令を頂戴するまでは、どうあがいたって自力で母船に戻ることはできない。
三十機からなるドロップシップの編隊は地球へむかう。地球と言っても、人類が地上を支配していたころとはまるでちがう腐りかけた惑星だが……。
この小型の降下艇はおれたちを地獄の戦場まではこぶ、鉄の棺桶だ。
長方形のキャビンには壁際にシートが並んでいて、小隊員が向かい合わせに着席している。窓一つないせまい船内に二十六名の武装した兵士が隙間なく詰め込まれ、待機しているだけで息がつまりそうだ。
「おい、いまのはなんだ? 揺れたぜ?」
となりに座っているマイルス・ロングボトム一等兵が大げさに反応して言った。
「なんでもない。ただの発艦の衝撃だ」
「そ、そうか。いきなり揺れたもんだから、ちょっと驚いただけだ」
マイルスは一向に落ちつかない様子できょろきょろと船内を見回している。
「おい、みっともないからじっとしてろよ」
おれはマイルスの小刻みに震える身体を肘でこづいて言った。
「だってよう。ただ座って待ってるだけじゃあ神経が持たねえよ。のんびり飛んでたら地球につく前に敵に撃ち落とされちまう……」
「しっ!」
案の定、マイルスが口を滑らせた。出撃にそなえている他の隊員たちから非難の視線がそそがれる。ほとんどが二十代前半の若い隊員ばかりで、今回が初の出撃任務だというやつもいる。それをこいつときたら……。
「大丈夫。そんなことは絶対にない。安全が確認されてるエリアを飛んで行くんだから」
おれは部隊の連中に聞こえるように訂正した。
「ああ、すまねえ。どうも頭が回らなくて……」
「回さなくていい。余計な心配をするだけだ」
おれがそう言うと、マイルスはしょげたようにうなだれてしまった。
マイルスは身長一九〇センチ、体重一二〇キロを超える巨漢である。アフリカ系の黒い肌に濃い髭をはやしたその姿は猛獣だって恐れをなすだろう。しかし、神さまはなんのつもりかこいつにノミの心臓を与えやがった。おかげでやたら神経質なキングコングが完成した。普段は日本製のアニメーションをこよなく愛する心の優しい男で、おれの一番の友人である。戦場でも頼りにしたいのだが、この病的なビビリ症が土壇場でどう影響するか不安でしょうがない。
「ちょっと、あなたたち」
向かいがわで待機している隊員が呼びかけた。
「すでに作戦は始まっています。私語はつつしむべきです」
レイチェル・シモンズ二等兵がぴしりと言いはなつ。その語気はつよく容赦ないが、一五〇センチに満たない彼女の小さな身体が頑丈な四点式シートベルトに拘束されている姿から、遊園地のジェットコースターに座らされている女の子を連想してしまう。それは彼女の子供っぽい丸顔と相まって、戦場にむかう恐怖を忘れさせる光景だった。
「ちょっと聞いてるんですか? カズヤ・キリシマ一等兵殿」
レイチェルが怪訝な顔つきでおれの名を呼んだので、遊園地から我に返った。
「ああ、なんだレイチェル。ベルトが苦しいのか?」
「ちょっ……、子供扱いしないでください! わたしは平気です! 先輩たちがぺちゃくちゃしゃべっているから注意したんです!」
ムキになって足をばたつかせている。
「あんまりはしゃぐとベルトがゆるむぞ」
「はしゃいでないー!」
ベルトの拘束がなかったら飛びかかってきたかもしれない。小さいながらマイルスよりもよほど手のかかる怪獣だ。
レイチェルは十七歳で◯八小隊の最年少だ。真っ白な肌をしたアイルランド系の少女で、ふんわりとした金髪の巻き毛を後ろでひとつにまとめている。あどけなさが残るふっくらとした輪郭に水色の瞳が輝いていて、上等な西洋人形のように愛らしい容姿をしている。その細い首が、かぶっている重厚なヘルメットの重みで折れてしまわないかと心配になる。
彼女は士官候補生で、卒業後は一般兵であるおれの上官になるだろう。しかし、実戦での経験を積むため、今回の作戦に二等兵として参加している。だから、作戦が終了するまではおれやマイルスの部下である。
「あっ!」
言わんこっちゃない。レイチェルのタクティカルベストの弾薬ポーチから予備の弾倉がこぼれ落ちて、無重力の船内に浮遊した。
「待って! 待って!」
彼女はあわてて小さな手を伸ばすが、座席から離れることができないため、むなしく宙をつかむばかりで届きそうにない。
そのとき、
「ピンポンパンポーン♪ ◯八小隊のみなさーん。こちら美人パイロットのメリッサ・ハドソン伍長さんでーす」
場違い感を隠そうともしない陽気な艦内放送がはいった。
「本日は惑星地球軍のドロップシップをご利用いただきまことにサンキューでございまーす。本機はこれより大気圏に突入し地球へと降下します。しばらくの間とーっても揺れますので、ベルトをしっかりとしめて、装備を落っことさないように注意してくださいね」
それを聞いたレイチェルの顔からさっと血の気が引いた。
おれはこちらに漂ってきた弾倉をキャッチして、座席に着いた状態から限界まで腕を伸ばしてそれを持ち主にパスする。
「それをしまって大人しくしていろ。きちんとベルトを締めなおしてな」
「うー……」
レイチェルはまだなにか言いたそうに口を尖らせているが、大人しく従った。これでしばらくは黙っていてくれるだろう。
彼女もおれたちと同じ地球軍から支給されたコンバットスーツを身につけているが、その華奢な身体はどうみたって戦闘には向いていない。とうぜん、部隊では後方支援を担当する。
士官学校では優秀な成績をおさめているエリートらしいが、現実の敵はシミュレーション通りには動いてくれない。気性の荒い彼女が、部隊の後方で大人しくしていてくれればいいが……。
ゴゴゴゴ……。
つまった便所みたいな音とともに機体が激しく揺れる。地球に降下するのはこれで三度目だが、この瞬間はいまだに生きた心地がしない。
「ぐうううう……死んじまう、死んじまうよおおおおおお……」
マイルスがかたく目を閉じて小さな悲鳴をあげている。
「死にゃしねえって……」
おまえだって大気圏突入は初めてじゃねえだろ。なさけない悲鳴を聞かせないでくれよ、頼むから……。
轟音と揺れが次第に小さくなると、かわりに地球の重力がぐっとのしかかってきた。母船やコロニーにも人工重量が存在するが、この身体にかかる重みが地球によるものだという感慨には特別なものがある。
「どうだレイチェル? しょんべん漏らしたんじゃないか?」
「ふん、言うと思いました。ですが残念でしたね。こんなの全然へっちゃらです」
レイチェルは鼻で笑って、大いばりに言った。
まったく。かわいげのない後輩である。
「気をつけ! 無駄口を許した覚えはないぞウジ虫ども!」
ハインツ軍曹の張りのある檄がとんだ。全隊員が一斉に背筋をのばして上官の指示を聞く態勢をとる。