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夏経院萌華
夏経院萌華
novelistID. 50868
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嫌なものを思い出してしまった気がした。そういえば彼女は今どうしているか気になった。僕が巻き込まれることによってそれがクッションになって助かってくれるといいなと思ったが、次の日その淡い希望はあの榊と言う老刑事の一言で露となって消えた。彼女は即死だったみたいだ。
目が覚めてから初めての就寝。不安と恐怖が僕を襲う。
目を閉じると上階から落ちてくる女性がフラッシュバックとなって何度も再生される。そのたびに目を開け、僕は冷や汗をかく。ようやく眠りに就いたのはもうすでに朝日が空ける少し手前の灰色の空だった。
 それなのに、朝から人の事を気にしない人種がやってきた。
「おはようございます。どうですか。眠れましたか」
今寝たところですと言いたいところだったが、あまり反抗的態度を取っても特はしない。
「まあ。グッスリではなかったですが、眠れました」
「そうですか」と僕の目の上のクマを見て、寝てないんだろと言いたげだった。そして僕を朝から追い込むようにさらに、
「昨日質問ですが・・・・このあざは何でしょうね」
僕の腕を昨日とは違い、今日は優しく取り上る。
確かに手で捕まれたような青あざは不気味だ。まったく覚えのないあざ。痛みだけがそれの存在を知らしめる。
「僕にもわかりません」
「そうですか。手の大きさから韮澤さんの手と大きさが一緒なのがわかっているんですけどねぇ。それでもわからないとおっしゃいますか?」
とまるでその韮澤さんに何かをしたとでも言う疑いの目で僕を見る
「僕が何をしたって言うんですか」
声を荒げ、わずかな抵抗をする。
「じゃあ。ずばり言いましょう。このあざは彼女を殺そうとして抵抗されてできた物なんじゃないんですか」とにじり寄る
「しりませんよ。そんな事」と声をさらに荒げるとその途端、僕の頭から刺々しい痛みが襲いかかる。目前が真っ暗になる。
「おい。どうした」と遠くの方で榊の声が聞こえる。
「大丈夫ですか」と医者の微かに聞こえる声が僕の意識をかろうじて現に残している。だが、それもやがて暗闇の中へと消えていった。
 暗闇になった頭の中はやがて映画館のスクリーンのようなものが映し出された。これが夢なのか何なのか、わからない。だけどそこに映し出された色あせた映像は5年前の飛び込み自殺に出くわした時の記憶だった。
その日、早出残業をしなくてはいけなく、早めの時間に駅のホームで立っていた。
さすがに朝は、人がまばらで、混んでいる電車しか乗ったことがない僕には少し新鮮だった。そんなの時、ホームに電車が近づくアナウンスが流れ始め、ホームより少し前にでた。別にでなくてもいいのだが、なんとなく癖でそうしてしまった。
しばらくすると電車がホームに入ってくる。すると、横から一人の女性がスーっと現れ今にも電車に飛び込もうとしている。
「危ない」と思わず、彼女の手を取り、引き寄せようとしたが、彼女の体はホームへと吸い込まれる。僕も一緒に体を持って行かれたが、ホーム下に落ちる寸前に電車のボディに叩きつけられ、僕だけはホームに残った。
それは一瞬の事だった。
電車のブレーキ音が鳴り止むとあちこちから悲鳴が鳴り響く。僕は起き上がり、手に温かい何かが流れるのを見て、慌てて手からある物を放した。先ほどまで生きていた彼女の手だ。手はまるでそれだけで生命の営みをしているかのように手の甲を上にしていた。それは今にも指だけで歩き出すようであった。
 そして、映像はここで終わり、僕はまた暗闇の中へと戻される
「大丈夫ですか。荏原さん・・・」
僕はこのナースの優しい声で真っ暗な心の中から生還した。
体中からは汗が吹き出し、グッタリとする。
「今日はもうお休みになってください」
左腕から脈を取り、そしてと腕を布団にしまった。
「あの・・・警察の人は?」まだ疲れた声で言うと
「ああ・・・帰ったみたいですね」
大した時間が経っていないと思っていたが、外はすでに薄暗かった。
ナースは僕を蘇生するために使ったであろう器具を片付けながら僕に微笑み、病室を出た。
その日の夜、僕はやはり眠れずにいた。不自由な体。右の腕は全く動かない。おそらくこのままであろうと覚悟は決めていたが、僕は悔しくてならなかった。瞳の奥から熱い物を感じる。
そしてそれに触れる事すらできない自分が嫌でならなかった。
どうしてこうなったのかを何度も考えた。そして頭を整理した。
彼女は僕と目が合った。その時彼女は僕の腕を掴んだと榊は言う。
それが本当だったら彼女は死にたくなかったのかもしれない。
そして僕と目が合い、藁をもつかむ想いで僕の腕にしがみついたのなら、その想いに報いることができなかった僕は何だかやるせない気持ちになった。

誰だって生きていたいのだ。だたどこかで死に急ぎたくなる衝動が誰しもある。それをどこかで制御しブレーキを掛けながら生きているのだ。そして、ふと、そのブレーキを緩め、そのまま死へダイブするのを2度も目のあたりにしたのだ。そして僕はまた明け方眠ることになった。
 次の日も榊は現れ、僕を何度も問い詰めた。
何を言っても信じてくれないこう言った人種には。ひたすら貝になるしかなかった。
目を瞑り、その瞼の裏から映し出されるフラッシュバックを何度も繰り返す。何度目かの再生であることに気付く。
ベランダからの悲鳴が何かのうめき声に聞こえるのだ。
何度も何度も頭の中で再生をする。頭の中のイヤホンを研ぎ澄ます。
そしてようやく聞こえた。それはやがてはっきりと聞こえる。
「テオカエセ」
その言葉の意味が理解できるまでに時間がかかった。
「手を返せ」
僕はパッと目を開けるとそこには榊が僕を見ていた。
「お目覚めですか」と嫌味っぽく言う榊にうんざりしていた。
今、僕が思い出したことを言ったところで何も信じてはくれないだろうから言わなかった。
「厭な夢でも見ましたかねぇ」としつこく僕に何かを引き出そうとする。
そんな時、病室の戸を叩く音が聞こえ、僕は少しほっとした。少しでもこの嫌な間を壊してくれるノックの音が神様の計らいに見えた。そしてそれが本当の意味での神様の計らいになるとは・・・。戸を叩いて、開けて現れたのは刑事で、榊に、なにやら、耳打ちをする。
「ホントか」と聞こえた気がした。
「はい」その刑事はと僕に一礼をして、外に出ると、榊はなんだか気まずそうな顔をして
「すみませんでした。あの・・・・」と頭を?いていた。
「どうしたんですか。もしかして僕の疑い晴れたんですね」
「まあ・・・そんなところです。まあ。また何かありましたらまた訊きに来ますけど、お気を悪くしないでください。申し訳ありませんでした」と頭を深々と下げ病室から姿を消した。
「よかったですね」と刑事がいなくってすぐに声を上げたのがナースだった。
「はい」僕も素直に答える。
ようやく容疑が晴れた。だけど僕の心は曇ったままだ。「手を返せ」とはどういう事なんだ。皆目見当がつかない。
 そこへ医者がやってきて僕の目を見る。
「これでリハビリに専念できますね。」と僕の胸に聴診器をあてる。
「そうですね。ホントよかったです」
作品名: 作家名:夏経院萌華