三部作『三猿堂』
「――あれ?ここは?」
「大丈夫かい?みなみちゃん」
みなみは気が付くと自宅近くの駅のベンチに座っていた。目の前にはペットボトルを持った智樹が心配そうにこちらを見ている。
「急に寝てしまうから、心配したよ。はい、水」
「あ、ありがとうございます……」
みなみは智樹が手にしたペットボトルを受け取った。電車に乗ったことまでは覚えている。この先は智樹の話では、電車の椅子に座るなり、
「ちょっと休ませて」
と言った直後に眠ってしまい、それから最寄りの駅で智樹に介抱されて下車しここにいるようだ。
「史佳は?」
みなみは水を飲みながら首を左右に振って周囲を見回して史佳の姿を探すが、駅は電車が出た後でホームには誰もいない。
「先に、帰ったよ」
「そう……。ってことは……?」
史佳の家はまだ向こうだ、そして智樹の家も。もしかすると智樹は自分のために一緒に下車してくれたということかと酔った頭で気付いたみなみは悪いことをしたと思い、思わず立ち上がって智樹にお辞儀をした。
「あれ……?」
普段なら「まったくもぅ。気ぃつけなきゃ……」と心の中でダメ出しされるのに今日はそんな様子がまったくない。
「あ、そうか」
みなみは咄嗟に自分のこめかみに手を当てた。合コンに向かう途中で買った眼鏡を掛けているのだった。確かに、彼の考えていることが見えないのだ。今日はこの眼鏡を掛けてからペースがいつもと違う。
「そうか、って何が?」
「いえいえ、何でもないですぅ」
みなみは両手を振った。その仕草を見て微笑む智樹の顔にみなみの胸は熱くなるのを感じた。
「それよりみなみちゃん、一人で帰れる?」
「はい、大丈夫です。うち、そこですから――」
本当に相手の考えていることが見えない。今のみなみにはその言葉がとても優しい本当の言葉に聞こえた。
「あの……、センパイ!」
「ん、何?」
思い切ってみなみが智樹を呼ぶと、智樹はニコッと笑った。それと同時に帰ってきた方向から電車の光が近付いて来た。
「そっか。じゃあ、俺これ乗って帰るな」
智樹が電車に乗ってしまう前に言っておかないと後悔する。見えないことに対してこれだけ積極的になる自分が不思議としか形容のしようがなかった。どうせ言わなきゃ伝わらないんだ。思い切って思いの丈をぶちまけてしまおうという気持ちが酔いも手伝い、みなみの背中を押した。
電車のドアが開いた。時間が遅いのか、降りてくる人はまばらだ。みなみは意を決した。
「私と、私と付き合って、くれませんか?」
電車に乗ってみなみの方を向く智樹、ちょっと考えている様子は分かるがみなみには智樹の表情から気持ちを見ることはやっぱりできない。
発車しまーす、ご注意下さい
駅員の声で間が一瞬途切れ、時間が止まったような静寂が生まれた。「――いいよ」
「えっ?」
プシュー
みなみが返事を聞いたと同時に時間が動き出し、扉が閉まった。
「うそ……」
電車は定刻通りに闇の中を走り抜けて言った。みなみはさっきまでの眠気と酔いは一気に吹き飛び、離れていく電車の赤い光を見送っていた。
* * *
みなみは誰もいなくなったホームでニンマリとした。
「やったぁ」
小さくガッツポーズ、そしてみなみはスキップしながら改札の方へ向かった――。
智樹が自分の告白を受け止めてくれたのは、本意ではないかもしれない。眼鏡を外すと彼の本心が見えるかもしれない、いや、見えてしまうのだ。今はそんなことなどどうでもよかった。
それでも受け止めてくれた智樹がますます好きになったと同時に、自分勝手であるが、この眼鏡が自分に与えてくれたチャンスなのだと良いようにみなみは考えた。
「私がセンパイの前で眼鏡を外しても、センパイに気持ちが残るよう努力する。それまではこの眼鏡が離せないわね」
見えないってのもいい――
みなみはそう思い眼鏡を掛けたまま、改札を抜けたあとも誰もいないアーケードの商店街の通りをスキップ続けて家路についたのだった――。