三部作『三猿堂』
連休の間、みなみとは連絡を取り合わなかった。フラれた相手も後悔している事を教えることができる筈もない。それでも、何も言わない訳にはいかないのはわかっている史佳はヤキモキしただけで連休が過ぎ、気が付けば通勤電車の中で電車に揺られてここ数日の出来事を頭の中で繰り返していた――。
「っはようございまーす」
いつものようにタイムカードを押して席に座った。正面を見ると向かいにいる筈のみなみはいない。そういや彼女は夏期休暇中だ、ちょっと前に実家に帰って家業を手伝うって言ってたっけ。去年もこの時期みなみは家族で切り盛りしていると言う旅館の手伝いをすると言っていた。この時期実家は猫の手も借りたくなるそうだ。
「まぁ、いいか……」
先週智樹と話したことを告げるのは来週でいいや、それまで心の準備をしておこうと思い、安心して自分のデスクに就いてPCの電源を入れた。
「ねえねえ、聞いた?」
「何が?」
PCが立ち上がるまでの合間に、先に出勤していた、いつもあることないことウワサをしては盛り上がっている同僚二人が奥の給湯室で何やら話しているのが聞こえる。
「あっ……」
史佳は思わず耳に手を当てた。昨日からピアスをはずしたままだった。ポーチにいれてあるピアスに手を伸ばそうとする前に二人の声が耳に入り、史佳の神経は呪文に掛けられたように両耳に集中した。
「みなみちゃん、会社辞めるみたいよ」
「失恋したからかな?」
「かもねー。あまりモテる方に見えなかったし、ショック
大きかったんだろうね」
「途中で誰も気付かなかったのかな」
「ホント、ホント。近くに……さんもいるのに」
「ええーーっ!」
史佳はその場で叫びながら立ち上がり声の聞こえる方を向いた。すると給湯室の二人の話はピタッと止まりこちらを怯えたように見ていた。
「それって、本当?なんで?」
一人を捕まえて問いただす史佳。聞こえないように場所を外して話していたのに史佳の耳に聞こえた事とその形相に解せない様子で彼女を見ている。
「さ、さぁ。詳しくは知らないけど課長が言うから本当みたいよ」
「そう……」史佳はすごすごと自分のデスクに戻り、椅子に腰掛けた「なんで……、なんで私に相談してくれなかったのよ……」
史佳はすぐさまデスクの下で携帯を出してみなみにメールを打った。
ハナシあるけど、いい?
すると始業直前に返信が入った。
いいよ。昼休みにこっちから電話するね。
それを確認したと同時に始業のチャイムが鳴り、史佳は携帯の電源を切った――。
* * *
昼休み、史佳はコンビニで買ってきたパンを提げて会社横の公園のベンチに座って携帯電話を握りしめた。几帳面なみなみの事だ、自分がこの時間にここへきてこうして電話を待っている姿まで把握しているだろう。
ブルルルルル…………
「もしもし、みなみ?」
携帯のバイブが震えたとほぼ同時に着信のボタンを押した。慌てているのか声が上擦っているのが自分でわかる。
「史佳ぁ、慌てないでよ。どうしたの?」
対称的におっとりとした声で答えるみなみ。
「どうしたもこうしたも、ないわよ!」
史佳は今朝会社で聞いたことを一方的に捲し立てた。それに対しみなみはじっと話を聞いていた。
「なんだ、聞いちゃったんだ。みんなには、内緒にしてたんだけど」
受話器からクスクス笑う声が聞こえた。自分の問題なのに気にしていない様子で、さらに実家にいるので安心しているのが声でわかる。今の自分とは大違いなことにズレを感じる。
「ホントに会社、やめちゃうの?」史佳が恐る恐る質問すると、その通りの返事がすぐに返ってきた「何で?なんで?」
「勘違い、しないでね」
落ち着きのない史佳を収めるようにみなみはゆっくりと答える。その気持ちがわかるから史佳は必死に自分を落ち着かせようと大きく深呼吸した。
「旅館の事務の子がもうすぐ退社するんだ。それで一人欠員ができるんだよ」
「それで、辞めちゃうの、会社」
「うん。そうだよ。引き継ぎとかまだだから『今すぐ』じゃないけど」こっちの心配はまるで気にしていない様子でみなみは話を進める「うちは家族みな社員だから。お兄ちゃんは経営担当だし弟は厨房、遅かれ早かれ戻るつもりだったんだ」
「ま、まあ、確かにそうだけど。でもイキナリじゃない?」
史佳は去年、みなみの実家である旅館を訪ねたことを思い出した。確かに家族経営という感じのこぢんまりとした旅館だった。しかし、普段のみなみは実家に戻らなければならないなんて言ったことは全く無かったし、全くの想定外だった。
「私はそうでもなかったんだけどね」はははと小さく笑う声が受話器の向こうから聞こえた「史佳に言ったら絶対びっくりするから、もうちょっと落ち着いてから言おうと思ってたの。それに、タイミング悪いしね……」
史佳はそれについては回答しなかった。確かに智樹にフラれたのはつい先日のことだ。そしてこのタイミングでの帰省、自分がみなみなら確かに親友にはそんな話などできるわけがない。
やっぱり、みなみが会社に戻ってくるのは少し先の事になる。先日あったことはやっぱり言っておこうと史佳は思った。
「あのね、みなみぃ」
「なあに?」
「先週、藤吉に会ってきたんだ――」
「そう――。で、何か言ってた?」
動揺している様子はない、史佳は包み隠さずに智樹の現状について説明すると、みなみは時おりウンウンと合いの手を入れながらしっかり聞いている様子だった。
「じゃあ、言ってないんだ。センパイ」
「何が?」
「ううん、なんでもない」
「なに、その含みのある言い方……」とは言おうとしたが寸前で止まった。あの時、智樹は自分に何か言おうとしたのか?
「私思うんだけど、大切なものにはフィルター、要らないんだ。あったら本当の事がわからないから。いずれにしたってそのやっかいなモノとは付き合って行かなきゃなんないワケだでしょ?」
「うん、そりゃあわかるけど……」
史佳はみなみの言いたい事がわからない。いつもと逆でみなみのペースで話が進んでいてなんだかしっくり来ない。
「何言われても、自分のしたいことは押し通すくらいの本気はあってもいいんじゃないかと思う」
「みなみ――」
「ごめん、こっちは仕事の途中なんだ。私のことは心配しないでね!、それと邪魔してゴメンね――」
えらく真剣な口調だったので史佳も喝を入れられたように背筋が伸びた。かと思うとみなみはそう言い残して素っ気なく電話を切った。というよりもみなみは大きな含みを残して逃げるように電話を切ったとしか思えなかった。
「みなみ、ホントは何が言いたかったんだろう」
史佳は手にしていたコンビニで買ってきたパンの袋を開けると、
「あのね史佳。私、人の考えていることが見えるんだ――」
とみなみが言ってた事が脳裏にフラッシュバックした。
「それって……、あっ!」
「急に口が滑っちまったんだ『他に好きな人がいる』って」
次は智樹の言葉だ。みなみの話では智樹は自分に何かを言おうとしていた。史佳は二人に関係する全ての情報をもう一度総括した。
「もしかして、藤吉……」