三部作『三猿堂』
史佳はその日の仕事上がりに智樹にメールを打った。
ちょいと重要なハナシあんだけど、いい?
今日は連休前の週末だから、今日を逃すと会えるチャンスはかなり先になってしまう。
上等ぢゃ、いつもの店にいるでよ。
間髪抜きでレスが帰ってきた。史佳は心の準備なぞすること無く仕事が終われば一人いつも合コンをするいつもの居酒屋に向かった。
みなみとの間を取り持った責任、そして自分の中にある正体不明のモヤモヤを処理する必要があったためだ。
* * *
「お待たせー」
「空いてるよ、ココ座りなよ」
週末の居酒屋は普段より客が多く、一人でテーブルを確保できなかった智樹はカウンター席から手を振って、自分の隣を史佳に勧める。
「いきなりだけど、聞いたよ」座るなり詰め寄る史佳。
「何が」
「何がじゃ、ないわよ」史佳は右手で智樹のガッチリとした腕を叩いた「あんた、みなみをふったんでしょ?それも最っ低なカタチで」
「ああ……」智樹は返事だけをして史佳の方を見ることもなく、ちょうどやって来た店員に適当に注文をする。
「みなみちゃんには悪いことしたと思ってる。だけど、だけどよ高松には聞いてもらいてえんだ」
そう言って智樹はいつものリップクリームを取り出して二人の間に置くと史佳の顔を見た。史佳もその表情を見て、とにかく話は聞いてみるべきなのは言わずとも分かった。顔に嘘がない。
「いいよ、内容にもよるけど」
史佳の頭に今日のみなみの顔が浮かび上がった。しかし、失恋したとも受け取りにくい彼女の表情を智樹には伝えるのはまだ早いと思って、カードの一つとして片隅に隠した。
「ああ……」
智樹はちょうど店員が持ってきた二つのジョッキを受け取り、一つを史佳に渡した。
「俺はな、みなみちゃんと真剣に付き合おうと思ってたんだぜ。だけどよ」
「だけど?」
智樹の目に嘘はない。彼を知って長いのでそれは間違いない。しかし、どこか照れ臭そうだ。
「あのよ、なんだ。みなみちゃんと……した後によ。急に口が滑っちま
ったんだ『他に好きな人がいる』って」
「それって……」聞いていないふりをしてわざとらしく驚いた。そして史佳はカウンターの上、二人の間で立っているリップクリームを指差した「なんだ、……してクリームが取れたってコト?」
返事がない。智樹は運ばれて来たジョッキのビールを勢いよく飲んでいる。
「ああ、たぶん」遅れて返事をした「言うつもりは、なかったんだ。これは、わかって欲しい」
「それ、あたしに言うことじゃないよう」智樹から目線を逸らして心の中で呟く。といいながらもちゃんと耳は立っている「……で、みなみはその時何か言ったの?」
智樹はジョッキに残った半分ほどを一気に飲み干したあと、ボソッと答えた。
「『知ってたよ』って」
「知ってた?」
「ああ……。それでもみなみちゃんは俺の事が好きで、キヨブタで告白したんだ。だけど、だけどよ」
間髪入れずに次のジョッキが運ばれて来てはすぐに口を付ける。
「俺、受けちまったんだ」
「みなみの告白を?」
「そう」智樹の喉にビールが通る音がした「熱意に押された、って言うのか?受けた以上は俺も努力したし、リップクリームの力で余計な事言わずに最初は上手くいってたんだ。でもよ、仕事の時はいいけれど、結局は大事な人にはこういうモノに頼っちゃいけないんだ。なのに俺はよう……」
智樹はジョッキを抱いてがっくり肩を落とした。
「そもそも俺が自分の問題に決着をつけていない事が、問題の始まりだったんだ」
「藤吉……」
「ああ、俺ってホントに最低な奴だ。笑ってくれ……」
史佳は何か言いたそげな智樹の顔を見つめたが、それ以上口を挟めなかった。
* * *
一緒にいることが気まずくなった史佳は、まだ飲んでいる智樹をおいて一人店を出ると、帰りの電車で今日一日の出来事をおさらいした。
「結局、二人とも一緒じゃん――」
窓の外で一緒にかけっこする車から視線を移すと窓に自分が映っている。その自分と目が合ってしまうと自分に問い掛けた。
みなみと智樹。二人が別れたプロセスについて、史佳は何度考えても落としどころが見つからない。フラれた方のみなみは自分が至らなかったと言うし、智樹も智樹でふったはずなのに聞けば自分の努力不足と自己分析だ。
そして『三猿堂』で買った不思議な力を持つ道具――。
最初は道具の力で上手く行ったのが、道具があることで足かせにもなった。
「結局これって、どうなの?」
気が付けば史佳は両耳のピアスを外してポーチに入れていた。すると、車内の方々からとりとめのないウワサ話が飛び交い出した――。