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三部作『三猿堂』

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 用件を済ませた史佳は会社に向けて暑い通りを歩いていた。今日はそんなに暑くならないという予想は見事に外れ、ジリジリの太陽が上から、熱を溜めたアスファルトが下から、そして午前の雨が落とした湿気が史佳に襲いかかり容赦無く体力を奪う。運動をしているわけでないのにジットリした汗が服を湿らすのがわかる。
 暑さに耐えられなくなった史佳は冷たいものでも飲もうと喫茶店などを探してみるものの、街中なのにこんな時に限って見つからない。
「あー、限界。ひとまず緊急避難」
 そういって近くの商店の軒先が作る日陰に身を移した。陽が当たらないだけでひんやりしているこの場所で史佳は一息ついた。通りを抜けるビル風が史佳の顔を撫でると、風につられて史佳は後ろを向いた。 
「三猿堂?」
 今立っているこの場所。何の商店かはわからないが、看板にはそう書いてある。欄間に彫られた三匹の猿、どこかで見たような……。
「ああ、あれだ。『見ざる、言わざる、聞かざる』!」
 史佳が拳で掌をポンと叩くと、いつぞやの修学旅行で日光に行った時のことを思い出した。頭が少しスッキリすると、またビル風が吹き抜けて行くのを感じた。
「おや……」
 風に耳を傾けると、また通りを歩く人が何やら話している声が聞こえてきた。いつものウワサ話だ――。

   「あそこのお店、ヤバくね?」
   「なにがなにが」
   「あそこの古い店は見えない眼鏡とか、滑らないリップ売ってるらしいぜ」
   「ホントぉ?それって売り物になるの?」
   「どうだろうな?聞こえないラジオとかもあるかもよ」
   「それ、ウケるぅ」

「なぬ!見えない眼鏡、滑らないリップだって?」
史佳の記憶と風が運ぶウワサがビタッとつながった。この三猿堂というのはみなみと智樹が欠点を克服したという勝負グッズを売っている店なのでは?猿の彫り物があるし、街灯の柱には明らかに事故で車に挟まれたであろうゴミ箱が瀕死の状態で立っている。
「これは入ってみないとダメでしょう」
と言って史佳は迷わず店の戸を引いて店の中に入った。

「いらっしゃいませ」
 史佳を迎えたのは白髪の初老の店主だった。年のわりにはしゃんとした紳士風で、若い時は男前だったんだろうなと史佳は勝手に想像する。
 店内を見回すと、いろんな種類の雑貨が綺麗に並んでいる。しかし、どこにでもありそうな、目立って不思議なものなど何一つ置いていない。
「なにか、お探しですか」
 泳ぐ目を店主に捕まえらえると、何も言えずひとまず愛想笑いで返した。
「いやあ、それが、何と言いますか……」
自分に合う勝負グッズが欲しいだなんて言えるはずがない。史佳はその場で下を向いて、目を合わせられない。
「あなたにお似合いのピアスがありますが、いかがでしょうか?」
「ピアスぅ?」
視線が上に戻った。何の前フリもなく店主はいきなりピアスと言った。その伏線が全く見当つかず、この店主の考えていることがサッパリわからない。
「そうです。これなど、いかがでしょうか?」
 店主はカウンターの下からいつの時代のものかわからないような宝箱みたいなラメラメの箱から一組のピアスを取り出してカウンターの上に置いた。
「はぁ……」
史佳は言うがままに置かれたピアスに注目した。目立たないほどの小ささで、ややピンクがかった赤色のダイヤ型をしてる。どちらかというと嫌いな感じではない。 
「これをつけていれば、根も葉もない噂話が聞こえなくなります」
「そんなはずは、ないでしょう……」
と言いながら史佳は店主の顔を見た。
 紳士風なこの店主がとても冗談を言うような人にはとてもじゃないけど見えない。表情を一つも変えないところに自信が表れている。
「試着、されますか?」
 史佳は首を縦に振った。そしてピアスを両方の耳に付けてカウンターの上にある丸鏡に自分を映してみた。
「うん。自分的には、好き」
思わず声が漏れた。
「いかがですか?」
 勧める店主、普通なら自分の顔を見て話をするのが筋というのに、その目は店の外を行き交う人波に向いている――。
 史佳は目線につられて同じように店の外に目を遣った。
「あれ――」
 史佳がその変化に気付くのに時間はかからなかった。

   道行く人の話し声が、聞こえないのだ。

「これは――?」
「先ほども言いましたが、根も葉もないウワサ話が聞こえなくなったのですよ」
「ってことは、世の中ウワサだらけじゃん!」
「そうとも言いますな」店主はゆっくりと笑っている。この人は人が見えたり聞こえたりしないものが見えたり聞こえたりしているようで、じゅうぶん不思議なオーラが出ている。
「いかが、されますかな」
「買います、買います」
 値段を聞くと店主は3000円と答えた。高いのか安いのかわからないが、史佳は迷わずにお金を払い、そのピアスを耳に付けたまま店をあとにした。

作品名:三部作『三猿堂』 作家名:八馬八朔