料理に恋して/カレー編
B1
石垣りんの詩集を
軽んじていた偽悪的な彼。
「バカにはしてなかったけど」
わたしは古い文庫本を取り出す。
「軽んじるどころか、
今の子らは石垣りんなんて、
知らないでしょうね」
カバンの中に
ナイフを忍ばせた気分で、
キャンパスを歩く。
*
関大料理学部、
なんて大げさな看板。
ただのカレー屋に入るのに、
どうしてこんなに
勇気がいるのかしら。
「ああ、いい匂い」
2
友達関係で悩むなんて、
バカみたいだった。
社会に出てからの
気を遣う人間関係とは
「違っていて欲しい」
わたしは目を留める。
「ん?」
小亀だった。
それも甲羅の直径が三?。
辺りを見回し、
わたしは急にしゃがんでは
ケータイでカシャ。
小亀が手足や首までも
引っ込めている。
わたしは指先でつんつん。
「♪角出せ、首出せ、頭出せ」
出さない。
わたしって、バカにされてる?
池はかなり離れていた。
「どうして、こんなとこまで」
*
小亀を摘み上げては
わたしは池に向かう。
柵のところから、
投げ入れようとした途端、
ポロッと砂地に落としてしまう。
金の斧、銀の斧の話を思い出す。
わたしは柵の下を潜り抜け、
小亀を拾う。
そのまま、池に投げ入れる。
ちゃぼっと沈んでいく。
3
再び、柵を潜って砂だらけ。
服に付いた砂を手で払う。
「♪助けた亀に連れられて、
龍宮城に行ってみれば、」
幸運が巡ってくる予感に
わたしは打ち震える。
振り返っては池を見て、
涙が膨れる。
「泳げないなんてないわよね」
亀が泳げたかどうか、
自信がない。
「もしかして、水死させた?」
泳げない種類の山の亀とか?
まだ、幼い子供だった?
*
わたしは柵に取って返していた。
姿は見当たらない。
「波紋すらない」
祟られるかも!
わたしはへなへなと
その場に崩れる。
4
最悪に追い討ちを
掛けられる予感に打ち震える。
「これ以上の最悪って
どこにあるの?」
あるような気がする。
わたしはびくびくしながら、
関大のキャンパスを歩く。
舞い降りる小鳥に
ビクッとする。
すべてが敵に思える。
恨みの方向が定まらず、
右に左に振れる。
わたしは悲鳴の塊りとなる。
ちょっと触れられるだけで、
爆発してしまう。
5
学生の頃から、四十まで
一足飛びで老けた気がする。
二十年前なんて、
「この間の気がするわ」
玉手箱を開けた、
記憶なんてないのに――。
6
「開けたら、ちらし寿司か
天丼にして」
うううん、カツ丼かパスタがいい。
うううん、
「やっぱり、カレーがいい」
NGOの看板を掲げる、
部室のドアを押し開ける。
中には誰もいないのに、
テレビは点けっ放し。
どん底から這い上がろうと
頑張ってる人を放映してる。
わたしにとって、他人事だった。
苦境からの脱出を目指す、
密着ドキュメント。
今のわたしにとって、
オリンピック級の
選手みたいなもの。
自分には到底、無理だった。
あれを見て、
頑張ろうって思う人より
惨めになる人の方が
断然、多い気がする。
作品名:料理に恋して/カレー編 作家名:紺や熊の