料理に恋して/カレー編
A1
きれいなおばさんが入って来る。
緊張が走る。
「ここは学生さん専用のお店?」
「いえいえ、全然、
そんなことはありません。
いらっしゃいませ」
うちは仲間から目配せされる。
「ミシュランの調査かも」
と口の動きが伝えてくる。
「そんなことないって」
と答えるのも野暮で、
「抜かりのないようにね」
と抜かりばかりのうちは
しゃれで返す。
品のある見覚えのあるおばさん。
うちは今一、思い出せない。
ロダンの〈考える人〉のポーズは
どうだったかしら?
うちは考えてあれこれ、
ポーズをやってみる。
「こうだったかな」
「ああだったかな」
*
「本日はメカジキとナスのカレーです。
南インドならではの
ココナツ風味の魚のカレーです」
写真もあった。
「おいしそうね」
「絶対、おいしいです」
うちは調子に乗って
小さなガッツポーズをしてしまう。
「アハ」
えへら顔で誤魔化す。
でも、絶対、おいしい。
うちらの力が集結してるもん。
寛容な目で、包まれてしまう。
うちはオブラートに包まれた、
アメちゃんとなる。
2
「どんなカレーがいいのかなぁ?」
「ピラミッドカレー」
うちの独り言に、
加奈子が答えていた。
「絶対、ピラミッドカレー」
「うんー、でもー」
「決まりね。じゃないと、」
「その前に、それって、
どんなカレー?」
加奈子はしらっとしてる。
「それを考えるのが
中浜の仕事でしょう」
うちの顔がへのへのもへじに
変わっていく。
3
歩いていても、
犬とか猫とか、
鳥などから、
よく見られる性質だった。
うちは愛想笑いをする。
赤ん坊からも
よく見られる。
ゴキブリからも見られる。
アリなんて、
集団で見上げるので、
うちは少し怖い。
カニ歩きになって、
逃げるが勝ち。
逃げるがカニ。
4
料理に恋して――、
次のフレーズを
台所の中、
土瓶の中に
うちは探す。
指で摘み上げたのは
「恋の浅漬け?」
5
「ねぇ、中浜、浪人しようよ。
ピラミッドカレーはさて置き」
うちはまた加奈子から誘われる。
「連れないなぁ」
うちの笑顔が勝手にひくつく。
「じゃ、この料理学部に入ろっかなぁ」
うちは脅されてる。
「あたしが入るなら、看板を替えて
芸術学部料理学科の方がいい?
芸術料理学部も捨てがたい」
加奈子が一人喋り状態に突入。
一応、座学もあって、
メンバーの一人、
実家が近所でお寺、
音大生のアヤネが先生となって、
味の相乗効果について話してる。
人に任すのがコツ。
呑気でお気楽なうちは
春眠の好きな生徒となる。
*
先生役のアヤネが
AとBの紙コップを用意する。
Aのコップを先に飲むグループと
Bが先のグループに分けられた。
みんな、恐る恐る、口をつける。
「少し風味があるけど、
水と変わらない」
先生役のアヤネが応じる。
「次に飲んでない方のコップを」
「何これッ、すごく濃い味」
「だしの濃い味」
みんなは口々に喋り出した。
背の高いアヤネが説明する。
「Aの方が昆布だし、
Bがカツオだし。
片方を飲んだ時は
それほど味を感じなかった?
でも、もう一方を飲むと、
すごくだしの味がしたよね。
これを味の相乗効果と言います」
人に任すって、気持ちいい。
眠たくなるほど、気持ちいい。
寝てしまう。
6
うちはお飾りの代表になっていた。
「料理学部のイメージキャラクター」
「ゆるキャラね」
「カタツムリ系ね」
「なめくじ系よ」
「どうとでも言って」
うちは体の中がくすぐったい。
神輿はみんなが担いでくれる。
「ああ、傀儡政権の溥儀さんの
気持ちが分かるぅ」
「中浜には分からないって」
唯一の音大生、背の高いアヤネが
面倒なことを買って出てくれる。
頼るって気持ちいい。
体の中がくすぐったい。
「塩かけて塩かけて」
*
アヤネがレコードから、
CDに焼き直したという、
ジャズを掛ける。
「いいでしょ、好きなの」
「有名なピアニスト?」
「三枚出して、消えちゃった」
「そっかぁー」
「その人、神戸まつりで
脚光を浴びて、メジャーデビュー。
母によると、二、三才だった私は
ピアノの近くに座り込んで
びっくりしてたらしいの。
挙句、ピアノの脚に抱きついたって」
「アヤネがそれほど好きなのに、
そんなものなの?」
「世の中は怖いって証し」
目を瞑ってると、
アヤネってホント、
大人の女の顔になる。
7
悩もう。
「悩まなきゃ」
うちは急いでたとはいえ、
靴のかかとを踏んで
十?も歩いたことに呻吟する。
悔やんでは死にそうになる。
*
加奈子を四角にする。
アヤネを三角にする。
うちは台形。
山田さんは
「何にしよう?」
*
悩もう。
「悩まなきゃ」
卵の並べ方も
脱臭炭の替え時も、
「悩みの種って尽きないわぁ」
作品名:料理に恋して/カレー編 作家名:紺や熊の