アキちゃんまとめ
さよならの魔力
久しぶりに見たあの夫婦は、いつもと違った。とても、違った。
「こんにちは」
品出しをしていた私の手が止まってしまったのを見たんだろう。若い奥さんはちょっと申し訳なさそうにわらった。
「随分ご無沙汰だったわねぇ!他のトコに切り替えたのかと思っちゃったわぁ」
私がわざと明るくそう言うと、奥さんの後ろで旦那さんが頭を掻いた。
髪の毛を水色にした若い女の子がこのスーパーに出入りするようのなった
のは随分と前で、私はその間にアラフォーという肩書きを手に入れるようになった。子供におばちゃんと呼ばれるのもどうにか受け入れられるようになってきた最近。その中で、私がパートを始めた当初にやってきた彼女はいっとう不思議な女の子だった。
髪の毛は水色で、背伸びした服を着て、手書きのメモを大事そうに抱えながら何度も店内を往復していた。彼女が女子高生だと気付いたのはしばらく後になってから。マフラーに顔を半分埋めて、泣きはらした赤い瞳で、しわくちゃになったメモをもって、カゴを引っ張っていた。短いスカートから覗いた膝小僧は真っ赤で、痛々しかった。私はレジ物品の補填ををしながら横目でなんとなく彼女の様子を伺ってみたものだ。彼女は時折、人の目から隠れるようにして鼻をすすったり目をこすったりしていた。彼女がレジにやってきた時、いつもみたいに野菜をメインにいくつかの食材を買う彼女。他の、私よりもうんとお節介なおばちゃんたちが彼女に食材選びのコツを仕込んでいたから、いつものようにさっさとレジを通していく。その中で、一つ、袋の中で明らかに潰れたものがあるタマネギを見つけた。彼女はまだ俯き加減で、心ここにあらずといった様子だった。私は、あの、と彼女に声をかける。
「これ、ちょっと痛んでるみたいだから、取り替えてくるわね」
できるだけ優しい声をかけようとしたけれど、彼女にはどう聞こえていたんだろう。でも、小さな声で、ありがとうございます、と言われたからマイナスではないはずだ。
そのときの彼女の表情を、私はつい思い出してしまっていた。
私の視線は、ずいぶんと低くなってしまった彼女の視点に合わせるべきかと悩んでしまう。
彼女はコンパクトなタイプの車椅子に乗っていた。その後を、買い物カートを転がす彼女の長男くんがトコトコとついてきている。その下の次男くんは車椅子の上の、彼女の膝に乗っていた。
「何が欲しいのォ?」
「うんと、まずは大根が欲しいかナ。一本まるまるじゃなくていいんだけど。あ、あとじゃがいも」
「ン」
私に一礼するが早いか、旦那さんが彼女の注文を聞く。言われたものを取って、彼女の目の前に持ってくる。もうちょっと太いのがいいナァ、あ、こっちはこの種類じゃなくて隣の。二回くらい繰り返した後に、旦那さんが買い物カートに食材を入れていく。
ママ、と次男くんがぐずると、彼女はぽんぽんと背中を叩く。その姿を見る旦那さんの目が、私がこれまで見てきた彼の瞳のどんなときよりも優しかったから、私は息を飲んでしまう。
この二人が喧嘩をしつつも手を繋ぎながらお店にきたときも、柔軟材のメーカーを真剣な顔で選びあっていたときも、大きなお腹になった彼女の歩調にあわせて彼が歩いていたときも。そのどれより、優しくて、寂しくて、いとおしいと言いたげな瞳をしていた。
店内をゆっくりと回る一つの家族を、他のお客さんがちらちらと見ている。その視線に気付いていない訳がないのだろう。けれど、旦那さんの左手の薬指には変わらず指輪が光っているし、彼女の次男くんをなでる手のひらは優しかった。
入店してから退店するまで、旦那さんは車椅子の持ち手から決して手を離さなかった。何かを取るときも、ずっと片手は彼女の車椅子が何処かへ行かないように支えていた。彼女は気付いているのだろうか。気付かなくてもいい、と私は思う。それがきっと彼の愛情だからだ。
私は、じん、と熱くなる鼻の奥がばれないように指先でごしごしと擦る。指先からは人参のにおいがした。
またのご来店をお待ちしております。その言葉が、こんな重みを持つ日がくるなんて、私は今まで想像もしたことがなかった。
*2014/12/18
退院したアキちゃんが少しだけ前向きになった話