アキちゃんまとめ
三千世界の刀を屠り 主と添い寝がしてみたい-6
荒北と、それに従う刀剣男子たちが、おそらく待宮の居城であろう場所に辿り着いた時、そこは既に奈落の修羅であった。
夕闇が周囲を支配しようと領土を拡大し、立派に佇んでいたのだろう出城を藍色に染めている。地に沈んでいく太陽が、まるでタイムリミットを指し示すかのようにじりじりと身を削っていた。
身の小さい、おそらく狸か狐だろうという骨格が他の屍の影から飛び出してくる。ぐっと息を詰めた荒北の前に出た鯰尾がそれを一線に切り伏せた。
「なんか、ここっぽいね」
「主、大丈夫?」
「あぁ……」
血の臭いよりもずっとほの暗い、誰かの憎悪に臭いをつけたならばこのようになるのだろう、という鈍重な空気が荒北の足を取る。元は小さくも美しい外観をしていたのだろうが、見上げる先には面影などない。荒北は、小さく細い息を吐くと敷地内へと踏み出した。
庭は荒廃しており、てんでばらばらに生えた草たちがそこかしこに骸骨を隠している。まだ動く気があるらしい獣の姿をした骨たちが、時折荒北たちの前に立ちはだかり、その度に加州や乱が間に入る。一つずつから負う傷は小さいが、次第に疲労の色が濃くなっていく刀剣男子を、荒北は歯がゆい思いで見やっていた。
ふう、と加州が一息ついた瞬間、屋根瓦たちが突然に形を変え、ばらばらと荒北たちに降りかかってくる。とっさのことにたたらを踏んだ一行の頭上を守ったのは、岩融でも、鯰尾でもない。
「ーー何故来た!」
黄金の鎧と共に輝く太刀筋で斬り伏せたのは蜂須賀であった。薄紫の長髪の所々に赤黒い汚れが張り付いている。
「何故って、」
荒北が言い淀むより早く、乱が続投の骸骨たちを刺しながら叫ぶ。
「うちらの主は優しいの! 援軍にきてやったのにその言い種はなに?!」
「誰も頼んでなどいない!」
とっさに言い返した言葉も、蜂須賀は苛立ちと共に一蹴した。乱と共に前へ出ようとした鯰尾を制したのは、意外にも岩融だった。
「それはそちらの言い分だがな、お前たち、苦戦しておるよではないか」
息を整えながら岩融の言葉を聞いていた蜂須賀は、自虐めいた笑みを口元に浮かべるとその身を翻す。
おい!と荒北が叫ぶより早く、外門までの道を駈け、周囲の影や骸骨を切り刻む。何度も何度も、斬り伏せては、執拗に立ち上がってくる異形たちを。ただの主への忠誠心だけでは収まらぬ何かに突き動かされるようにして。
「ーー乱、鯰尾。ここに残れ」
荒北の静かな言葉に、二人は意外にもすんなりと受け入れた。あーあ、と軽い言葉と裏腹に、二人は冷たく刃を構える。敵の本拠地の懐で大暴れなどと、彼らの元の主が知れば恐れおののくかもしれない。
「じゃあね、主、ちゃんと迎えにきてね!」
「すぱっといっとくから、任せといて!」
加州と岩融を連れ、荒北は内門を潜った。
点在する小さな池たちの上には赤く塗られた反り橋が建っている。横は人がすれ違うのもやっとという幅の、小さなものだ。しかしそれぞれの池が、浮島を介して繋がっているために、橋を通らずして向こう側へは行けない。全部で七本の、小さな橋の向こう側に、この本丸の入り口があるのだろう。いよいよ闇が深くなってきた視界に荒北が舌打ちをしようとすると、加州が背後から声をかけた。
「ねぇ、本当に行くの? 主がアイツを助けても、何の得もないんだよ」
「分かってンだヨ、ンなこたァよ」
それでも見過ごして生きていくことはできまい。あの少女の体を撫でさすった待宮の手を切り落としたいと、そう叫ぶ内情を清く正しく飼い慣らすことなどできない。
そう、と加州は静かに言った。機嫌を損ねたか、と荒北が振り向こうとするが、加州自身がそれを制した。
「振り向かないで。このまま行って。今振り向かれたら、俺、ブサイクだから。早く行って」
加州の言葉に乗って、骨の崩れる音が聞こえる。キィキイと耳障りな異形の悲鳴が、荒北の項を見えない手でなぞった。
「行ってよ!」
悲痛な叫びと共に、荒北は走り出した。けたけたと笑う骸骨が宙に浮き、誘い込むように屋根の上へと消えていく。
二メートルは越える長身である岩融が、荒北の屈んだタイミングで横に払い、いつ崩れるかと危ぶまれる橋を渡っていく。
泳がされているのか、と思う程、荒北の周囲を漂う獣の骨たちは楽しげに揺れるだけだ。しかし、一つ目、二つ目、と順番に橋を渡っていくにつれて様子が変わってくる。近くなった居城の中から、断末魔のような金切り声があがっている。それを皮切りに、一瞬だけぴたりと動きを止めた骸骨たちが一斉に歯を打ち鳴らし始める。
カタカタ。
カタガタガタ。
カタカタカタカタカタカタカタカタ。
上がりそうになった悲鳴を飲み込み、全速力で走り抜ける。数ばかりが増えていく魑魅魍魎たちに、あわや後ろ髪を掴まれそうになった荒北の背を守ったのは、最後の一本の刀である岩融だ。
ぐい、と荒北の首根っこを掴んだかと思えば、対岸の地へと投げる。どうにか受け身を取って顔を上げた荒北の眼に、岩融の大きな背が映る。
「さぁ行け、主!」
「岩融!」
ここに岩融を残していく、というのは苦渋の決断である。もちろん、荒北は鍛刀した彼に対して愛着を持っていたし、人並みの情はあった。だが、それ以上に最後の一本である彼を置いていくことは、荒北の持つ戦力が皆無になることと等しい。
後ろ向きな思考の迷路に入り込みそうな荒北を浮上させたのは岩融の笑い声だ。
「がっはっは! ここはこの岩融が任されよう! 惚れたはれたは人間の特権! 我らが異形に邪魔だてされてはかなわぬであろう!」
惚れた? 誰が誰に? そんな疑問を抱くより前に、荒北は拳を握る。なぜ彼女を救いたいのか、それとも単に寝覚めが悪いから見届けたいと願うだけなのか。
しかし許せないことははっきりしている。あの、にやけた顔の呉の闘犬を、一発ぶん殴ってやりたいことだけは。
荒北は下唇を噛み、無言で走り出した。こんなにも自転車がほしいと思ったことはなかった。こんなにも和装を煩わしいと思ったこともなかった。
荒北を追おうとひらりと躍り出た骸骨が、ぱきん、と軽い音を立てて砕け散る。
「ーー思い出すのう、思い出すのう」
骨を砕く大薙刀が、昇る月の光を跳ね返す。
闇に沈む内庭にぎらりと輝くのはいっとう大きな刃と、岩融の双眸だ。
「かつての主、武蔵坊弁慶が振るったこの岩融。その弁慶がたった一人を逃がすため、立ちはだかったのもあの大橋よ! こうして似通うなどとは数奇なもの、さぁ来い小さきものどもよ!」
大地を揺るがす程の声が、荒北の背を押す。玄関口から静かに入る程の行儀の良さなど持ち合わせず、荒北は縁側に飛び乗ると内へと続く障子を蹴破った。
※大事なことを為しに行く主の背を守るのが、彼らの主命
2015/09/24