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アキちゃんまとめ

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アイ・ネ・クライ・ネ


彼女が死んだ。
晴れた、とてもよく晴れた日のことだった。

「……嘘だろォ?」

荒北の言葉に、巻島と小野田が目を伏せた。その目尻は赤く、嘘のにおいはどこにもしなかった。ただ、病院特有の消毒液と、どこかから香る死臭が鼻の奥を刺してくる。
相手の過失で、という言葉を遠くに聞きながら、荒北は霊安室へと通される。戸籍上の夫である荒北がそこに通されたのは、小野田夫妻と彼女の姉よりも一時間半も遅かった。
少しばかりの出張に行ってくる、とすんなりと玄関を離れていった荒北を笑顔で見送った彼女はもう居ない。居ないのだ。目の前に横たわっている彼女は、この世に認められない存在になってしまった。ようやく膨らんできた腹を撫でて、いつごろ動き出すかと指折り待ち望んでいた笑顔を再び見ることはできないのだ。
霊柩車が駐車場に止まる音がする。それは同時に、荒北と彼女の別れを告げる、発車ベルでもあった。


淡々としたままに葬儀を終え、これだけは、と納骨の日を二日延ばしてもらう。荒北の要望を止めようとした人間は居なかった。誰もが荒北の心中を推し量ろうとし、さらには失敗を重ねていくのが分かる。
福富が荒北の腕を掴み、言いかけた言葉を飲み込んでいた。荒北は、福富が殴ってくれればいいのに、とも思った。胸にくすぶる感情を、どう操っていればいいのか。荒北には分からない。
同級生の娘を嫁に貰っただけでは飽きたらず、その娘を親より先に死なせてしまったのだ。孫も連れて。
きっと小野田は「荒北さんのせいじゃありません」と言うだろう。けれどもしも、荒北が妻が心配だから短期出張は代わりの人員を見つけてくれと上に打診していたら何か変わっていたかもしれない。まだ安定期ではないのだ、と説明すれば、チームワークがウリの自部署はどうにか対処してくれただろう。反省しているのか、後悔しているのか。ともかく、荒北は小野田の前で曖昧に口元を上げるだけしかできなかった。大丈夫だ、とも、心配すんな、とも言えなかった。何を言っても、荒北の本心にはならない。荒北の心は彼女と共に宙に放り出されてしまったのだ。遠い、荒北の知らない場所へ。

真っ青な空の下、荒北は久しく相手をしていなかった愛車を引きずり出して箱根の山を上っていた。あの高校三年の夏。急転直下で降りてきた新しい道。無我夢中で走りきった最後の日。
あの日以来に見上げた国道一号線の標識が、やけに小さく見えたのは年月のなせるわざか。
荒北は手袋をはめ直し、ヘルメットを改めて被った。前後を間違えてかぶったのなんて、最初の一度きりだ。

いろは坂のてっぺん。ここからは下りが続く地獄の道。行きはよいよい、帰りは怖い。逆だと言われそうなコースだが、あの夏を体験した奴らはそうは言うまい。
荒北は細く息を吐いた。そして勢い良く飛び出した。
風が質量を帯びて頬を掠めていく。肩で余ったジャージの布がはためいて肌を打つ。傾けた車体のフレームがしなり、うねる。上がり続けるスピードに構うこともなく、ただペダルを踏む。

『前を見ろ』

福富の声が荒北の耳の奥で反響する。

『遠くを』

前を見て、そこに何があるというのだろう。過去も、しがらみも、忘れていいと笑ってくれたのは彼女だった。彼女はもう居ない。荒北の手の届かない場所へ、行ってしまった。目に見えないくらい、遠く。
肩がガードレールにこすれた。
痛みは感じない。インコースぎりぎりにカーブを曲がる。サイコンはつけていないが、きっとあの夏にも負けないスピードを出していることだろう。
急カーブを減速せずに走るべく前傾の姿勢を貫き、荒北は笑う。
あぁ、自分の人生は、間違いなくもう終わったのだ。
最初に死んだ、野球を捨てた日から、随分と生にしがみついてしまったけれど。
トラックのクラクションが遠くに聞こえる。接触はしなかった。運転手は荒北の死に責任を負わずとも良い。荒北が勝手にガードレールを越えて、走り続けようとしただけだ。
荒北は今度こそ声を上げて、笑った。彼女の居ない世界に、どんな未練があるものか。自転車も諦め、友を祝福し、それでも縋っていた人生の柱はもう消えた。
仰向けに放り出される体の浮遊感に身を預け、荒北は目を閉じる。人生の幕引きにはいい天気だ、と、やはり笑いながら。




「嘘だろォ……?」

死んであの世に行くはずが。どこをどうしてこうなったのか。
青い空は変わっていない。愛車が原チャに変わったことと、自分の頭が重いことと、体がやけに軋むこと以外は。たぶん。きっと。
痛む頭は本物の筈なのに、着ているものはやけに遠い記憶と合致する。
胸ポケットには生徒手帳と高校一年の時に取った免許証。ペーペーの若葉マークも忘れられず。

「どうなってんだよ……」

箱根学園一年、絶賛グレ期の自分の様相に合致していることを認められず、荒北は頭を抱える。
誰がどうして信じるものか。
空を飛んだと思ったら、二十年以上前にタイムスリップしていました。

ライトノベルにしては笑えない。荒北靖友の二度目の高校生活が幕を開ける。そんなニオイがした。




※逆行荒北さんのはじまり(2015/04/09)
作品名:アキちゃんまとめ 作家名:こうじ