アキちゃんまとめ
ぼくの小鳥はよく笑う-3
「ヨォ」
前触れもなく現れた上司に、黒田の口元はじわりと嫌な曲線を描いた。苦虫を噛み潰したのに、それを隠そうとしているような、そんな動作だった。荒北は黒田の反応にさして興味も抱かず、一瞬で間合いを詰め、首もとを掴み上げた。
「オメェの頭の中もスカスカになったモンだなァ。鳥が一匹入り込んでたっつーのにも気付かず机上でお仕事とはいい身分だネェ」
「と、鳥……!?」
荒北は握った手に力を込める。あれはまさしく鳥であっただろう。有翼人種、といったほとんど人間の形をしてはいたが、背に生えたものは見まがうこともない鳥の血を引いている証だ。
黒田は何度も言葉を発しようとしたが、ねじ上げられた服が喉元を圧迫し、声にならない。荒北は舌打ちをした後、放り出すようにして黒田を解放する。途端に空気を吸い込み、むせ込みながら膝をつく黒田を荒北は冷めた瞳で見下ろしていた。
「そ、んな、このあたりに鳥は……」
「現に来てんだよ。それとも俺が嘘ついてるってかァ?」
いいえ、と黒田は静かに首を振る。黒田も荒北の言葉を否定しようといている訳ではない。
「……分かりました。処分は、謹んで受け入れます」
「おー」
「それから、その鳥の処遇ですが」
「空に戻す。福チャンに知られる前にやンぞ。元老院のジジイたちがまた叩いてきやがるだろうかな」
「はい」
黒田は荒北に向かって改めて膝を突いて頭を垂れた。
「そいつは一体どこに?」
「泉田ン所ォ」
「ハァ!?」
「そうでもしねぇとテメェのケツに火ィ着かねぇだろうが!きりきり働け!」
追い立てられながら黒田は空の種族との古い協定を探すべく古い石作りの書庫(というには、いささか本は少ない)に走る。荒北は狼の血を引く人狼であるため、拠点は違うが猫又である黒田とは近しい獣人族として扱われる。現在、地上の国の周辺警備の任を受けているのは狼、犬、猫の種族である。その中での頭領を荒北が担い、黒田が次席についている。地に足をつけて生きる地上の生き物と、獣の血を引かない人間の種族が手を結んだのはここ最近だ。今でも人間が自分らと肩を並べるなどおこがましいと怒りを表現する獣も少なくないが、現在それぞれの長を務める荒北と福富が双頭となって睨みをきかせてはいる。
そこからは別離した存在としてあるのが、空の民だ。獣や人間の住まう土地からはだいぶ離れた場所にある大樹が、その繋ぎ目となっているときく。そこを登っていけば空の民の巣へ辿り着くのだというが、荒北がそれを試したことは一度だけだ。東堂と福富の護衛として空に上った日。しかし地上は地上、空は空。長らく沈黙を守り続けていた関係でもある。一つ手を出せば、得体も知れぬ向こうの手中に招き入れられると危惧する者は少なくあらず、荒北が主と認める福富も同じ心境のようであった。
昔話に聞く空の民とは血気盛み、曖昧なものを酷く嫌った。人間の持つ聖書に出てくる神のように傲慢で、彼ら以外のものを決して認めなかった。それ故に空の上に広く巣をつくり、地上とは決して関わろうとしなかったと。東堂が執着していたあの空の民たちとも、東堂の地力があってこそ殺されずにいたのだ。竜の婚姻式を観覧したときも、荒北は生きた心地などしなかった。
しかし今日、わざわざ戦の火種が向こうから降りて、もしくは落ちてきたのだ。あちらがこちらに乗り込んでくる前にどうにか返さなければならない。だが、どうやって?というのが正直なところだ。福富の耳に入ってしまえば、律儀な彼のことだ、空の民の所まで足を運ぶというだろう。しかしそこで有事があれば主を失った人間の国が崩れることは目に見えている。獣であり、古来の身体能力を保持する自分たちであれば空の民にも拮抗できる望みがあるやもしれぬというのが荒北の僅かな期待であった。そうまで負の方向に考えてしまう程、空に住まうものたちは異質で、不可解だ。
ようやく戻ってきた黒田を連れ、またも泉田の居る神殿まで足を向ける。ざんざんと降り注いでいた雨脚は弱まってきたとはいえ、未だ晴れる気配はない。
*
「荒北さん! ユキ!」
神殿に足を踏み入れ侍女に奥までの目通りを許可されれば、そこに居たのは簡素な衣服に着替えた泉田と、膝に乗せられた有翼の少女だった。
少女――アキは、今度こそ意識がしっかりしているようで、荒北と黒田のことをじっと見つめてくる。ぱくぱくと何度かアキの口が動くが、そこから零れるのは荒北たちに解読できるものではなかった。耳に届いたものをそのまま文字にするならば、「ピィ」だとか「キュウ」だとか、そういった音だ。空と地上では使っている言語も違うのか、と改めて頭を抱えたくなる事実に、荒北は乱暴に髪の毛を掻いた。頭を抱えなかったのは、黒田の手前だ。
「チッ、チュイ」
「なんつってんのォ、ソイツ」
「すみません、ボクもそこまでは……」
申し訳なさそうに答える泉田の腕の中で、アキは随分と大人しかった。冷たく水に濡れていた翼も髪の毛も湯あみと暖炉の火によって綺麗に水分を飛ばしている。連れてきた当初は気付かなかったが、よくよく見ればあの竜の花嫁のように、髪の毛がゆるくうねり、肩先でくるりと遊んでいる。
「豪雨だったのも、この子の力かもしれません。空の民で、竜の血を引く女は水に愛されるといいます」
「お前みたいにか?」
「ボクは地上の血が濃いですから、少し違います。水流を司る女神にお仕えしているという点では起源の近さを持ちますが」
泉田が話していると、きょときょとと新登場した二人を見比べていたアキが突然もぞもぞと体をよじった。ぎょっとする荒北と黒田をよそに、アキはすい、と両手を差し出したのだ。
「……ハァ?」
「えと、あの、……抱っこして欲しいんじゃないでしょうか」
泉田の戸惑った声を聴きながら、荒北はとりあえず黒田を小突いておいた。アキがその腕の中でぐずり、荒北に抱き上げられるまで泣き止もうとしなかったのには、もう諦めを抱く他無かったけれど。
※小鳥のさえずりアキちゃん(2015/05/06)