アキちゃんまとめ
OH MY JULIET
今年の卒業式は平日に行われるそうだ。その言葉に間違いはなく、アキは大安であるこの日、卒業証書を受け取った。
クラスメイトよりかは自転車競技部の面々に卒業者としてはただ一人の女子として祝われ、送り出された。皆には悪いが、どうしても同年代の女の子たちと泣きじゃくりながら肩を抱く気にはなれなかった。私が冷たいのだろうか、と同級生に零したけれど、段竹は無言で首を振っていた。例えばアキが荒北と離れることになれば、それはそれは泣きじゃくって縋り付いて置いていかないでと言うだろう。
アキはぼんやりと歩き、両親が待っている筈の来客用駐車場へと向かう。お祝いをしようね、と笑う父親には照れもあったが素直に頷くことが出来ていたため、この後は食事に行く予定になっていたのだ。軽い鞄に卒業証書を詰め込んで、アキは履き慣れた革靴でコンクリートを蹴る。
来客用の駐車場には人気が無かった。校舎の裏手にあるということと、未だ主役たちが体育館の周囲に留まっているからだろう。喧噪を遠くに聞きながら、アキは見慣れた姿がそこに立っていることに気付く。
「やすとも?」
「ン」
車に凭れながら立っていた荒北が、アキの呼びかけに向き直る。言葉少なに口角を上げた荒北の元に小走りで寄れば、卒業オメデト、と短く祝われた。アキは喜色を浮かべながらも両親の姿を探してくるりと周囲を見渡す。駐車場には他に人が居るようには見えなかった。
「パパとママを見なかった?」
「先に行ってんヨ。アキちゃんは俺と一緒」
言って荒北が目を細める。アキは大好きな両親や姉と同じくらい、違うベクトルで愛している荒北の言葉に破顔した。
「今日が大安で良かったワ。もう待てないトコだったからヨォ」
「お祝いの席はそういうのあんまり気にしなくてもイイってママが言ってたけど、やすともは気にする?」
「気にするだろ」
荒北の傍に寄ると、春物のコートからは陽だまりの香りがして、アキはそっと目を細めた。荒北の指先が肩を抱きながらアキの耳元を擽れば、ふふ、とアキが笑い声を上げる。卒業のお祝いを荒北もしてくれるというのならば、これ以上の幸せは無いのだろう。アキはうっとりと荒北の腕に凭れ掛けようと体重を移動させる。すると荒北はもう片方の手で、開いた窓から車の中の紙面を取り出してみせた。アキの目の前に差し出された緑色の紙。アキはそれに見覚えは無かった。けれどもそこに書かれていた文字が、時間をかけてアキの視界から脳に届く。
夫になる者の名前に荒北靖友と記入されている。それから、妻になる者の欄に、アキの自分の名前が書いてあった。書いた覚えは無かった。けれどもその字は間違いなく、自分の字であった。ずっと昔に書かれたかのように、インクが薄くなっている。書類の四面は少しふるぼけていて、けれども大事に保管されていただろう。損傷は見当たらない。
「結婚しヨ、アキちゃん」
ぽろり、とアキの見開かれた双眸から涙が零れた。悲しくて溢れてきたものではない。嬉しさが困惑を伴って胸の奥からやってきたのだ。
「二十年も待ったんだ。これ以上は待ってらんねェよ」
うん、とアキは頷いた。一度零れてきた水滴は次から次へと止め処なく、卒業式ではついに一滴も零れなかったとは思えない程だった。
すい、とまだ冷たい風が二人の間を駆け抜け、桜の花びらを伴って頬を撫でる。泣き止んでヨ、これから結婚式なんだから。小野田チャンたちがあっちで待ってる。そんなことを荒北が精一杯の優しい声で言えば、とうとうアキはわんわんと声を上げて荒北の胸に飛び込んで泣き始めた。婚姻届に記入した記憶などなかったが、間違いなく自分が書いたと断言できる。夢の中の出来事のようであるのに、それは確かにアキの中に現実感を齎し、何処かにそっとしまわれてきた事実なのだろう。
荒北はアキの背に腕を回し、加減をしながら力を込めて抱きしめる。あの日、消えてしまった彼女は確かにここに居る。自分のために、時を越えて、世界線すら越えて。腕の中の感触を確かながら、アキに気付かれないように、荒北もそっとその涙をまだ幼さの残る未来の妻の肩に滲み込ませる。
永い冬が、ようやく明けようとしていた。
※逆行経験済みのゲス北さん(記憶もち)とアキちゃん(記憶なし)のプロポーズ
2015/03/27