アキちゃんまとめ
それならわたしとけっこんしよう-4
夏の海は、寂しい匂いがする。そう言った私のことを、福チャンは責めなかった。
あの後朝日を見ながら福チャンは私の希望を聞かずに高速道路をひた走り、気付いた時には私たちは海の前にいた。漁船がいくつも遠くに見えて、私は思わず海岸沿いのテトラポットを渡って歩く。サンダルは少しヒールがあるけれど、歩きなれているから平気だ。でも、福チャンは危ないからといって、私のぴんと伸びた左手を、まるでダンスするみたいに握っていた。
ネ、と私は海の方を見ながら言う。
「福チャンは、どうして私を好きになったノ」
福チャンは私の質問を聞いて、すぐに私の顔を見る。私にはそれがすぐに分かった。それからさらりと、なんでもないことのように言った。
「一目惚れだった」
私はぽかんと間抜けに口を半開きにして、思わず、福チャンの顔をまじまじと見てしまった。そんなことを言う人だとは、これっぽっちも思っていなかった。たとえば、そうだ、私の性格であれ、声であれ、髪色であれ(これは染めているのだけど)、そういう分かりやすい何かを引き合いに出すんだと思っていた。
「お前が生まれたとき、オレはちょうど海外チームとの契約の如何についての交渉時期に居た。オレ以外の皆がお前を祝いに訪れていたというのに、オレが小野田家に行くことが出来たのは数週間も経ってからだった。
だが、初めて会った時のお前を見て、思ったのだ。美人だ、と」
「赤ちゃん相手でショ……冗談……」
「悪いがオレは冗談が苦手だ」
そうネ、と私は言いたかった。言えなかったのは喉が詰まっていたからだ。私の、言おうとした言葉は口の中でもごもごとした塊になって喉につっかかる。私が窒息したら、福チャンに看取ってもらわないといけない。
「もちろん、外見だけではない」
福チャンはなおも続けようとする。私はそれを、ふるふると首を振って制した。なんとなく、その先を聞いてしまうのは、いけないような気がしたから。福チャンが私のことを好きだと言ってくれるのは嬉しい。ママの代わりじゃなくて、私のことを好きなんだって言ってくれてるのが分かる。だから、つらい。私は今も心のどこかでやすとものことを考えているし、福チャンの顔を見ると、やっぱりやすともと比べてしまう。こんなに全然違うのに、と私は思う。
考え事をしていると、テトラポットの上でぐらりとバランスを崩しそうになる。咄嗟に福チャンが手を引いて、すぐに私をアスファルトの上まで引き戻してくれた。私が「ビックリした」と言うと福チャンは「オレもだ」と言った。福チャンもびっくりするんだ、と私は思わず言ってしまうくらい、福チャンの声は震えていた。
「もうすぐ夏休みに入るだろう」
「ウン」
「長野へ行かないか」
「え?」
「ジュニア向けのロードレースがあるんだが、指導者として呼ばれている」
福チャンは私の手を、ほんの少しだけ力をこめて握る。私の力でもすぐに振り払ってしまえるくらいの力だ。
「一緒に来ないか」
夏休みはすぐそこまで迫っている。福チャンの言っているそのレースがいつなのかは分からないけれど、きっと学生たちに合わせた日程になっているのだろう。インターハイの後くらいにあるんだろうな、と私は思う。いつもその時期は皆が忙しそうに動き回っていて、私はどことなく置いてけぼりだった。去年まではその置いてけぼり仲間のやすともの所へ行って、ご飯を作ったり掃除をしたり、たまにやすともの書いた記事の草稿を読んで感想を言ったりするような夏休みだった。
私は福チャンの手を、少し、こちらからも力を込めて握ってみた。ぴくりと福チャンの眉毛が上がる。こうしてみると、福チャンは結構、表情が豊かかもしれない。反応が多い、ということかもしれないけど。
「……もっと、」
私の声は小さい。海辺の道路を、まばらに車が通り始める。そうだ、世間様は朝の出発の時間なのだ。
「もっと、恋人に言うみたいに言って」
私の言葉に福チャンはやっぱり驚いた顔をした。私はそれが少しおかしくて、ふふ、と笑ってみる。海風にワンピースがはためいていた。
私はただ、目の前の彼の言葉を待っている。