対馬で別れて
「あら、ユリも大人になったんだねえ、おめでたいわねえ」
と喜んでいった。
そして、おばあちゃんは年金暮らしであり、とてもお金に余裕はないのに、急いで地元のお魚屋さんに行って、鯛を買ってきた。さらに急いで煮付けて、私の目の前に差し出して、「さあ、食べなさい」と言ってくれた。
私は口にごはんと鯛を頬張りながら「おばあちゃんのは?」と言った。
「おばあちゃんはあるから、あとで食べるからいいんだよ」とおばあちゃんは嘘を言った。
私は、滅多に使わない大きなお皿に盛りつけられた鯛のお煮付けを、小さく箸でつまんで食べてみた。「おいしい、すっごくおいしいよ」と言った。
おばあちゃんが「よかった、よかった、ユリもおとなになったねえ」と何度も言ったが、その意味はよく分からなかった。
食べ終わたら、おばあちゃんは
「ユリ、今日からは生理というのがずっと続くからね、毎月生理のときに当てるアンネを買っておきなさい」と言った。
おばあちゃんは、説明してくれた。女の子には、毎月あそこから血が出てくるんだって。
「ねえ、おばあちゃん、女の子が生理になるのはなんのためなの?」
「うん、それはねえ、赤ちゃんができるためだよ」
「ああ、そうか赤ちゃんが生まれるようになるんだね」
「ユリも大きくなったら、赤ちゃん欲しくなるよ」
「そうかな?赤ちゃんとか育てるのって、大変でしょう」
それから10日が過ぎた。だが、裕太は中原病院のベッドで眠ったまま、意識を取り戻せないままだった。裕太の笑顔が可愛かった。それ笑顔は、何度か一緒に楽しんだカヤックの昼寝の時の穏やかに笑っている寝顔だった。なにもしゃべらないなら、私にとって愛しくて可愛くて仕方の無い子なんだ。
それにしても、私の置かれている現実は、厳しいものだった。妊娠し、その父親は意識不明でいつ目を覚ますか分からない。私は意識不明の彼と婚約していて、結婚式もあと3か月と迫っているのに、それも全部投げ出して海と山の美しい対馬から、空気がそれほどきれいでもない福岡に逃げていた。親代わりのおばあちゃんともうまく行っていない。
私には行くべきところが二つあった。おばあちゃんのところと風音屋さんのところ。けど、そのどちらにも行けないままだった。どちらも、なにか知りたくないことが知らされそうな気がして手を付けることが出来なかった。
【8月15日午後8時10分。風音屋】
私は、トロール船の船長室の重厚な木製扉で作られた風音屋さんの重いドアを押して中に入った。そのとき、カウンターの向こうにいたマスターから
「いらっしゃい、あらユリちゃんひさしぶり。あれーーなんか元気なさそうだね」
「ええ、まあ」と答えながら、私がカウンターの右から3番目の席に座った。
「モスコミュールにしますか」
それは、私と裕太がここ来るたびに、よく私が頼んでいた沖縄の半透明のグラスでマスターが淹れてくれる夏にはとびきり美味しい、あの思い出のドリンクだ。
カンター越しに私に話しかけているマスターの上野さんに
「もしかしたら、マスター、裕太が倒れたってしらないんですか?」
と言った。
「知らない。ええっなんか大変な状態、もしかして?」
「ええ、だから多分裕太がここに来たその日に、おかしくなって倒れたんです。」
「ああ、そういえば、裕太は2週間くらい前に女性と一緒に来たね」
「そのとき、どんな様子でしたか?なんか言っていませんでしたか?」
一瞬マスターは戸惑った顔をした。
「そのときは二人はテーブル席に座っていたから、私は裕太たちとほとんで話してなくてね」
私はなにかから逃げたいという気分だった。逃げるには、音楽の中かなと思った。
「マスター、クラシックをかけて欲しいけど」
「ああ、ユリさんはモーツアルトが好きでしたね」
マスターは、背中を向けてCDをミニコンポに差し込んだ。
「この曲って重たい感じがしていいですよね。曲が重たいから、これを聞くと逆に心は軽くなるって感じかな?」
「ええ、そのとおりですね」
「これってモーツアルトが死ぬ前に作曲したんでしょ。どんな気持ちだったのかな?」
「そう、まだ34歳だったんですよね。それまでもモーツアルトは病気がちだったから、自分が死ぬことも頭の中にあったんでしょうね。でもモーツアルトはモーフィーって呼ばれてたんですけど、ひょうきん者っていうか、いつもお祭り騒ぎしているようなこころを持っていたんですよ。」
「ええ、ひょうきん者がこんなに重々しい曲を作ったんですか?不思議だなあ」
それは確かにそうだろう、矛盾している。
いま聞こえている曲は、重厚で、悲しくて、切なくて、それでいて無性に人にエネルギーを吹き込ませるものだった。
モーフィーがなくなったとき、同じ歳の妻と幼児がいた。モーフィーは生涯で人の子どもを一旦は持ったが、この当時は伝染病とかから影響を避けることが出来なかった。だから、34歳にして、人の死をたびたび見ていた。それに、モーフィー自身の父レオポルトも2年前になくしてた。だから、自分が死ぬことも現実的に感じていただろう。モーフィーは、自分が居なくなった後のことをどう考えていたんだろう。自分が居なくなったときの妻の寂しさや辛さも考えて、この曲をイメージしたんだろうか。私は違うと思う。自分の死は切実に感じただろう。だが、この曲をこれだけの完成度に高めたものは、もっぱら曲をより悲しくて、より切なくて、より重厚にしたいという技術的なことだったのではないか。そして、より切なくより重厚により悲壮にと何度も何度も繰り返して練り直しているうちに、魂の底に潜めていたエネルギーを吹き込んでしまったのではないだろうか。
このことが一番現れているのが、レクイエム続唱の中の「怒り」の章さらにその直後の「怪しきラッパの響き」章だ。「怒り」はゆっくりとしたテンポでありながら、いま重大な行進をしていることをイメージさせる。まるで壮大な葬儀の最中で、焼香台に向かう参列者が辛く悲しみの中で順番を待ちながら列に並んでいる場面を彷彿と想起させる。
モーツアルトは、この曲のこの場面で、”あなたにも必ず訪れる死に際し何を考えてどうするつもりか”と迫りながら、人の生死の荘厳さと貴重さを訴えたかったのではないだろうか。
曲は、ちょうど重々しい男女の音声を響びかせていた。
風音屋さんはレンガの建物だ。それに縦1m、横幅30センチという昭和の時代に作られたダイアトーンスピーカーが、壁にぴったりくっついて、レンガ全体を響かせていた。聴いているうちに、私は背筋がゾクッとするくらいに感動していた。しかし、音響の響きが強すぎたようだ。
「ちょっとマスター、この曲暗すぎるよ」
とテーブル席から怒声が上がった。きっとこの曲が聴いている人になにかを迫ったからだ、『あなたにも訪れる死に際しどう対処するのか』とその答えを曲が迫ったからだ。
「ああ、すみません、一番くらいところでしたね。変えますね」
一旦、マスターはCDを取り替えてから、私に向き直った。
「ユリさん、裕太と付き合っているって聞いていたけど、その裕太が倒れたってどうしたんだろう、こんな大事なときに。どうして倒れたんです?」