対馬で別れて
と言いながら、鼻をつまんだ。そうすればきっと息が苦しくなって目を覚ますだろうと思った。なんの反応もなかった。なにも動かなかった。
”どうして、どうして動かないの?
私はなにかが変わったと受け入れるしかなかった。
ママがいないけど、パパがいるから心配するな、と言ってくれる人がいなくなった。
私の頭は何も働いていないのに、涙が落ちてきた。1つ2つで涙は止まるだろうと思ったが、止まらなかった。
「パパーパパーあああ、ううう、あああ」
悲しさってなんだろう、それは親しい人が自分を置いてもう帰って来ないと決まった瞬間に最高度に高まるもの。そして、バランスの崩れを脳が取り戻そうと、涙を出させる。
悲しみの固まりが、ゼリー状になって、私の胸の奥から止めどもなく、溢れだした。
「起きてよ、起きて。パパー海に行くって言ったじゃない。ママがいなくてもパパがいるから安心しなさいって言ったじゃない。どうして嘘ついたの?私がわがまま言ったから?もうわがまま言わないから、強い子になるから起きてよ、パパ」
泣きじゃくる私を後ろからおばあちゃんが抱きしめた。
「ユリは悪くないよ、悪くないから。ねえ、おばあちゃんがいるから。」
私はベッドの横で歯を食いしばり、同時に運動靴で床を踏んだ。ダンダンダンと床を踏んだ。
「いやいやいあ、パパパパ、ユリはここだよ、ここにいるの」
と泣きながら言った。でもパパの口も目も手もなにも動いてくれなかった。
対馬行きの「ありあけ」の出航時刻は、午前0時10分だった。出航まであと20分。これから裕太に会いにいかないといけない。
私は、ざっと見て20人は楽々と入れそうな1等客室の奥、船窓の前のベンチシートに座っていた。船窓の下に、一列にベンチシートが備えられ、その前に折り畳まれた毛布が高く積み上げられていた。
私と同じように、ベンチシートに凭れている人が4、5人いた。私の左となりは、20歳代後半のお腹の大きな女性、その隣はそのご主人。
女性は、私から40センチも離れていなかった。この二人はひそひそ声で話していたが、狭い空間ゆえ自然と話しが聞こえた。
「今日は揺れないかなあ?」
「ああ、夏だから揺れないよ。玄界灘は夏が一番揺れないんだ」
「そう、じゃあお腹の赤ちゃんは大丈夫だよね」
「それはそうさあ、自動車の騒音でうるさい実家よりフェリーの方がよく寝ちゃうんじゃないか」
「そうねえ、実家は国道沿いで、その騒音のひどいのって言ったら、お話しにならないくらいだからねえ」と言うや二人して、目を合わせて笑っていた。
「シー静かにしないと迷惑になっちゃう」
また、目をあせて笑い合った。男性は女性のお腹をさすり始めた。
だみ声に近い船内放送が
「間もなく、出航となります。壱岐郷ノ浦着午前1時50分。対馬厳原港着午前6時10分の予定です。本日北の風0.5メートル。玄界灘の波はおだやか。航行中急に船体が揺れることはないものと思います。途中、ご不明なことが・・・」
と流れた。
私は、女性のおなかをさする男性の手を見ていたいと思いつつも、今の私には、裕太のあの手はないんだと思い知らされることになった。
船体がゆっくりと揺れ、博多港岸壁から離れていくのが分かった。船体は360度旋回し始め、いよいよ博多湾から出て行くことがはっきりし、私のまぶたが重くなった。
ウトウトして段々と心地よくなってきて、夢心地になってきた。耳から入ってくる「キリエ」がなぜだか私のこころを沈ませてくれた。
私はウトウトしながらも、何かが見え始めた。ぼんやりと見えたのは、大きな羽だった。その大きな羽に後ろから近づい行くと、羽が大きくなった。
”なんだろう、何の羽だろう”と不思議に思っていると、羽は人の背中から出てきて、その羽の持ち主は天使なのかと思いさらに近づいた。
”ああ、天使さんだ、いやかわいいエンゼル、幸福のエンゼル”
と羽と一体となった背中に、その背中がパパの背中ではないかと感じて、「パパー」と声を出して飛びついた。子どもの私が飛びつこうとしたからには、そこは学校とか家の前の路地とか平地のはずだった。ところが、飛びついたと思った瞬間に、エンゼルの背景は空中になり、エンゼルの足元は断崖、絶壁だった。その絶壁は見たことがあるなあと思っていると、淺生湾の中央の海に突き出た鋸割り岩の最上段だった。
エンゼルは顔をこちらに向けて、その顔を私に見せた。その顔を。
その顔は、長い黒髪に覆われていて、黒髪の奥は最初見えにくかったものの、粋来られるようにずっと見ていると、鬼夜叉の顔だった。油光りした黒光した鼻が見えた。そして、その鼻の下の口が見えた。その口は横に大きく広がってさらに両端がつり上がり、唇は赤く黒くて出血したところが黒くこびりついていた。本当に鬼夜叉の顔だった。その夜叉と目が合うや羽が大きく動き出して前に飛び出した。飛び出したと思うやあたりは、淺生湾中央の『鋸割り』岩の最上から夜叉は飛び出して行った。羽を持った夜叉は真っ逆さまに淺生湾に飛び込んだ。
「わッ」と声を上げるや目が覚めた。そこは客室であり、周りの乗客は皆寝入っていた。 私の心臓は、吐き気がするほどドクドクと高鳴っていた。
”なんだんだろう、パパが夜叉になった?それとも私のお腹の子どもが夜叉になるってこと?”
船体が揺れた。前から揺れていたかもしれないけど、ちょうど今深く揺れた。午前1時45分、もうすぐ壱岐郷ノ浦か?
私は今見た悪夢を忘れようと、毛布を頭からかぶって身を丸めた。
意外にもその後は深い眠りに陥った。フェリーは予定とおり厳原港に午前6時に到着した。私は、午前7時までフェリー「ありあけ」の客室にいて荷物を転がしながら、厳原港前のバス停に来た対馬交通の定期バスに乗り込んだ。
昨晩の午後9時半頃、私は福岡市内から中原病院に電話をかけて、「詳しいことは教えられませんが、今日明日生死にかかわる状態ではありません。いま眠っておられません」と看護主任だという女性から説明を受けていた。
3年前私は対馬で臨時教員をやっていた。それから、私は裕太と3年間付き合った。
初めて裕太に会ったのは、3年前の夏だった。その日私は、教員同士の飲み会の2次会で厳原町の石畳が残っている住宅街にある「風音屋」というアイリッシュパブ風のカフェのカウンターでのことだった。
私は、厳原中学の同僚の女性教員の中村俊子、佐藤木実と3人で入ったけど、テーブル席が満席だった。カウンターの向こうには、やや丸顔で年齢50歳代のスポーティーなマスターから
「すみません、あいにくテーブル席は満席なんでカウンターでいいですか?」
ちょうど3席が空いていて、私は3人の中で右端に座った。隣りは私たちと同じくらいの男性だった。
「なににしましょう?」
とマスターが私たちに声を掛けてきた。それで、私は右隣りの男性のテーブルの上の涼やかなグラスを見た。
私の隣りの木実が「あれにしない?」と涼やかなグラスを差した。
俊子が「私も同じで!」と言ったが、木実が「ちょっとあんたぐらい違う物にしなさいよ」と冷やかした。
「じゃあ、マスターあれを3つね」